エロー県
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エロー県章 |
位置 |
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概要 |
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県番号 |
34 |
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地域圏 |
オクシタニー |
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県庁所在地 |
モンペリエ |
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郡庁所在地 |
ベジエ ロデーヴ |
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郡 |
3 |
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小郡 |
49 |
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コミューン |
343 |
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県議会議長 |
クレベール・メスキダ
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統計 |
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人口
国内位 |
(2011年) 1,062,036人 |
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人口密度 |
171人/km2 |
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面積¹ |
6,101 km2 |
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¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 |
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エロー県 (エローけん、Hérault) は、フランスのオクシタニー地域圏の県である。名称は県内を流れるエロー川に由来する。
歴史
フランス革命期の1790年3月4日、かつてのラングドック州の一部を分割して誕生した。ビテロワ地方、エスピノーズ地方、ロデヴォワ地方、モンペリエレ地方、ラルザックの一部を含んでいた。
エロー県は、20世紀初頭にワイン醸造業が衰退したことで知られている。ワイン価格の急落、ブドウの病気、ワイン醸造業者の反発で下降の一途を辿った。この醸造業者の活動は、当時のジョルジュ・クレマンソー政府によって抑圧された。
1956年冬の霜被害によって、オリーブ栽培の文化は打ちのめされた。しかし1980年代後半から再び息を吹き返した。ロデーヴ、ピニャン、アニアーヌのオリーブ協同組合は閉鎖され、唯一クレルモン=レローの協同組合が活動している。
20世紀半ばのモンペリエ盆地は、フランス有数の人口集中地域として知られていた。
地理
オード県、タルヌ県、アヴェロン県、ガール県と接し、南東は地中海に面している。オード川、オルブ川、エロー川、ヴィドゥル川が流れる。モソン川やレ川のような内陸河川も存在する。多くの人工湖も見られる。県南部の地中海から、北部のセヴェンヌ山脈まで約87kmである。
18世紀から19世紀の間に貴重な自然環境を失ったとはいえ、現在も多くの自然の景勝を保存している。
行政区画
エロー県は3郡に分けられる。
人口統計
エロー県の人口の推移
(出典: SPLAF[1]と2006年と2011年のINSEE[2][3])年 | 1968 | 1975 | 1982 | 1990 | 1999 | 2006 | 2011 |
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人口 | 591 397 | 646 202 | 706 499 | 794 603 | 896 441 | 1 001 041 | 1 062 036 |
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主なコミューン
コミューン |
人口 2007 |
変遷 2007/1999 |
コミューン |
人口 2007 |
変遷 2007/1999
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モンペリエ |
253,712[B 1] |
12,5 % |
アグド |
21,104[B 2] |
5,2 %
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ベジエ |
72,461[B 3] |
4,5 % |
ラット |
16,635[B 4] |
20,9 %
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セット |
42,971[B 5] |
8,6 % |
モギオ |
15,567[B 6] |
4,9 %
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リュネル |
24,043[B 7] |
7,6 % |
カステルノー・ル・レズ |
15,201[B 8] |
7 %
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フロンティニャン |
23,067[B 9] |
20,6 % |
メーズ |
10,336[B 10] |
35,4 %
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出典 : Insee[4]
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観光
-
モンペリエ
-
クラムーズ洞窟
-
フロンティニャンのブドウ畑
-
サラグー湖
-
ナヴァセユ圏谷
その他
脚注
出典
- ^ "Montpellier". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Agde". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Béziers". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Lattes". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Sète". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Mauguio". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Lunel". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Castelnau-le-Lez". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Frontignan". 2024年3月6日閲覧。
- ^ "Mèze". 2024年3月6日閲覧。
外部リンク
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