左がプトレマイオス2世ピラデルポス であり、ギリシア語 でΑΔΕΛΦΩΝ (母を同じくする子ら)とある。デザインそのものは伝統的なものだが、地中海美術の流れをくんでやや丸みを帯びている
アルシノエ2世 (Ἀρσινόη , 紀元前316年 - 紀元前270年 から紀元前268年 )は、プトレマイオス朝 エジプト の女王である。リュシマコス 王との結婚によりその妻としてトラキア 、小アジア 、マケドニアの女王となり、後に弟であり夫ともなったプトレマイオス2世 とともにエジプトを治めた。その権力は強く、実質的統治者として君臨したことから、クレオパトラ やベレニケ4世 に並ぶプトレマイオス朝の女傑 とも称される。
略歴
ヘレニズム 国家をエジプトに興したプトレマイオス1世ソーテール (Πτολεμαίος Σωτήρ は「守護者プトレマイオス」の意)とその2番目の妻ベレニケ1世 との間に長女として生まれた[ 3] 。
アルシノエ2世は15歳のときにリュシマコスと結婚し、3人の子をもうけた。その名はプトレマイオス1世エピゴノス (英語版 ) [ 4] [ 5] [ 6] 、リュシマコス[ 5] 、ピリッポス[ 5] と伝わる。息子たちを玉座に座らせるために、アルシノエ2世は反逆を企てたかどで夫の長子アガトクレス (英語版 ) に毒 を飲ませ処刑した。
リュシマコスが紀元前281年 の戦い(コルペディオンの戦い )で亡くなると、急ぎカッサンドレイアへ向かい、異母兄弟であるプトレマイオス・ケラウノス と再婚した。2番目の夫は、プトレマイオス1世とその前妻エウリュディケ (英語版 ) の子供の一人だった。この結婚には2人がマケドニアとトラキアの覇権を争っていたという政治的な背景がある(生前のリュシマコスは両地を支配し、その権勢は南ギリシア と小アジアにも及んでいた)。2人の関係は長続きしなかった。プトレマイオス・ケラウノスがさらに力をつけはじめると、アルシノエ2世はその勢いを抑え、前夫との息子たちとともに夫に反旗を翻す時期だと判断した。しかし陰謀は露見する。プトレマイオス・ケラウノスはアルシノエ2世の2人の息子リュシマコスとピリッポスを殺害するが、長男のプトレマイオスは北へ脱出し、ダルダニア人の王国に逃れた。当のアルシノエ2世も弟プトレマイオス2世 の庇護を求め、エジプトのアレクサンドリア へ逃れた。
ゴンザーガ・カメオ (エルミタージュ美術館 )
エジプトでもアルシノエ2世は術策を巡らせ、弟を唆してプトレマイオス2世の最初の妻であるアルシノエ1世 に夫の暗殺疑惑の濡れ衣を着せて離婚させ、南エジプトに追放させた。そして紀元前275年 頃、アルシノエ2世が自分の同母弟の妻となった。かくて2人を形容して「兄弟姉妹を愛する者達」(古希 : Φιλάδελφοι 、英 : Philadelphoi )[ 7] という言葉が、おそらくは憤慨したギリシア人により与えられた[ note 1] 。アルシノエ2世は弟のもつ肩書き全てを自らも名乗り、女王に捧げられた街や崇拝者、その肖像を象った貨幣 ができるなど、強い影響力をもった。外交政策にも深く関わったとみえて、それは中東でセレウコス朝 と対峙した第一次シリア戦争 (紀元前274-271年)でのプトレマイオス2世ピラデルポスの勝利にもつながった。女王の死後もプトレマイオス2世は公文書でたびたびその名に触れており、貨幣や礼拝 もかつてのままにさせ、さらにアルシノエ2世を女神として崇めさせた。それはそのまま自らの神格化 につながったのである。
脚注
注釈
^ 換言すれば、エジプトの因習的な文化がギリシア世界に持ち込まれたとみることもできる(古代エジプトでは兄弟姉妹の結婚は禁忌ではなかった)。そしてこれはまたプトレマイオス朝で初めての近親婚 だった。
出典
伝記
エリザベス・ドネリー・カーニー『アルシノエ二世 ヘレニズム世界の王族女性と結婚』 森谷公俊 訳、白水社、2018年
参考文献
H. Bengtson, Griechische Geschichte von den Anfängen bis in die römische Kaiserzeit, C.H.Beck, 1977
S.M. Burstein, "Arsinoe II Philadelphos: A Revisionist View", in W.L. Adams and E.N. Borza (eds), Philip II, Alexander the Great and the Macedonian Heritage (Washington, 1982), 197-212
R.A. Billows, Kings and colonists: aspects of Macedonian imperialism, BRILL, 1995
ピーター・クレイトン 著、藤沢邦子 訳『古代エジプト ファラオ歴代誌』吉村作治 監修、創元社、1999年。ISBN 4422215124 。
波部雄一郎「プトレマイオス2世とディオニュソスのテクニタイ : アテナイオス第5巻198bを手がかりとして」『人文論究』53(4)、関西学院大学、2004年1月、140-153頁。
物應忠 (2006). クレオパトラと共和政ローマ (修士 thesis). 学位授与年度:平成18年度. 兵庫教育大学. 2023年4月12日閲覧 。
関連項目
外部リンク