青森県立八戸高等学校(あおもりけんりつ はちのへこうとうがっこう、英: Aomori Prefectural Hachinohe High School)は、青森県八戸市長者にある公立高等学校。略称は八高(はちこう)。
概要
- 歴史
- 1889年、青森にあった青森県尋常中学校が弘前の士族の誘致活動の末に移転したのを機に、県南三戸地区の代議士有志が誘致活動を展開し、1893年に「青森県尋常中学校八戸分校」として創立。以後、数回の改称を経て現在に至る。2023年に創立130周年を迎えた。
- 課程・学科
- 全日制課程・普通科
- 校風
- 文武両道・質実剛健・自主自立
- 綱領(校訓)
- 須ク自重スベシ(すべからくじちょうすべし)
- 唯本分ニ向ツテ猛進セヨ(ただほんぶんにむかってもうしんせよ)
- 師ヲ敬シ友ヲ愛セヨ(しをけいしともをあいせよ)
- 校章
- 「高」の文字。
- 新制高等学校歌
- 作詞は北村小松、作曲は堀内敬三による。歌詞は4番まであり、最後に校名の「八高」が登場する。旧制中学校歌とは歌詞や曲調が異なるものの歌詞における相互交換が可能である。
- 進路
- 卒業生は、ほとんどが四年制大学をはじめとする上級学校へ進学する。2007年、春の大学入試においては東北大現役合格者64人の実績を上げ、現役合格力ランキング全国第11位となった[2]。
- 他校との連携
- 下記に属し、大学入試のデータやノウハウを共有し合っている。
沿革
学校行事
主な行事を掲載。
- 4月 - 入学式、新入生歓迎式
- 5月 - 高総体壮行式
- 6月 - マラソン大会(全校生徒対象。男子6000m/女子4800m)
- 7月 - 八高祭(文化祭、球技大会、運動会、ファイヤーストームの順に開催)
- 9月 - 1年野外巡検、3年遠足、創立記念日
- 11月 - 2年修学旅行
- 1月 - 1年スケート教室
- 2月 - 2年スキー教室
- 3月 - 卒業式
部活動
運動部
- 陸上競技部
- 硬式野球部 - 県内で3番目に多い甲子園出場回数を誇る。青森県勢初の甲子園出場を果たし、盛岡第一高校とは定期戦が毎年行われている。
- 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)-(旧制中学校時代)第12回・第14回・第16回・(新制高校)第47回・第67回・第76回
- 選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)- 第28回
文化部
廃止した部活動
- 運動部
- 文化部
特記事項
- 北上夜曲
岩手県を代表する名曲「北上夜曲」は、同校の生徒だった安藤睦夫(岩手県洋野町出身)が1941年に作曲。自然発生的に流行したものの、1961年に同氏が名乗り出るまで作者不詳だった[3]。
- 八高の森
1976年、生徒の健康管理に役立つようにと、生徒のキャンプ用地の取得を考慮、八戸市南郷字大森に108,200m2(11町歩)を購入。八高の森と呼ばれている。しかし、通常使用されることは少ない。
- 八高会館の建て替え
敷地内の八高会館(財団法人八高後援会所有)は、建材にアスベストの含有が認められた為に取り壊された3階建てのビル型会館を建て替えたもの。純和風な会館に生まれ変わった。本来は120周年記念事業で建て替える予定だったが、これを前倒しして実行したもの。
2007年3月に起工式を行い、11月に建設工事を完了させた。施設概要は256.365坪、大ホール兼食堂、生徒宿泊室、研修室、マネージャー室、浴室・シャワー室などを備える。
なお、協賛会総会では、指定寄付金によらない寄付金だけでは建設資金が集まらないということになり再検討の結果、生徒一人につき年1万円ずつ協力してもらい、さらに寄付金を募ることで建設費を捻出するという提案で、2005年11月の協賛会臨時総会で同意を得て建設する運びとなった[4]。
アクセス
鉄道
バス
周辺
著名な出身者
旧制中学校出身者と新制高等学校出身者の双方について記載[5][6]。
脚注
注釈
- ^ 中等教育令の施行される前、1941年(昭和16年)と1942年(昭和17年)の入学した生徒にも修業年限4年が適用されることとなった。
出典
参考文献
- 島守光雄『八戸高校物語―母校賛歌』(第1刷)北方新社、1996年3月。
関連項目
外部リンク