野田町(のだちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
野田という地名は、アイヌ語の「ノタ・サム(ノッ・サム)」(岬の傍ら)による[2]。
現在はロシア連邦がサハリン州チェーホフ (Чехов) などとして、実効支配している。
概要
西は間宮海峡に面していた。主な産業は漁業と炭鉱業であった。公共交通機関としては樺太西線があった。
1921年、鉄道が開通するとともに王子製紙野田工場が操業を開始し、製紙業の街となった[3]。
歴史
町内の地名
- 旧野田寒村地域
- 野田
- 西知取(にししりとる)
- 梅香(ばいか)
- 杖遠(つえとお)
- 釜牛(かまうし)
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- 有戸(ありと)
- 上南沢(かみみなみのさわ)
- 南沢(みなみのさわ)
- 北沢(きたのさわ)
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- 旧久良志村地域
- 久良志(くらし)
- 小霜(おしも)
- 美多良(びたら)
- 亜牛(あうし)
- 荒鯉(あらこい)
- 初志(はつし)
- 桑間(くわま)
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- 小岬(こみさき)
- 有部(ありべ)
- 崎越(さきごし)
- 知登(ちと)
- 辺宇気(へんうけ)
- 鵜巣(うす)
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([4])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
- 樺太公立小岬国民学校
- 樺太公立久良志国民学校
- 樺太公立野田国民学校
- 樺太公立北沢国民学校
- 樺太公立南豊国民学校
観光
脚注
- ^ 樺太年鑑 昭和8年(樺太敷香時報社・著、出版者 樺太敷香時報社 1933年)に「面積三萬七千六百五十六町歩」とあり。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.335
- ^ 樺太林業史編集会 『樺太林業史』 p109-110 1960年 農林出版株式会社
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1684
- ^ 明治・大正・昭和の鉄道地図を読む (中村建治・著、イカロス出版、2013年2月15日発行)41頁(引用元は『鐡道交通案内圖』(松榮堂、1944年4月25日発行))
関連項目