構図において、ルーベンスはフランドルのタペストリー、ルーベンスが模写したレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『アンギアーリの戦い』(Battaglia di Anghiari)など様々な図像をまとめている。画面左の馬と騎手は、ジェノヴァのスピノーラ宮殿(英語版)所蔵の、1606年頃に劇的な短縮法で描いた『ジャンカルロ・ドリア騎馬像』 (Ruiterportret van Giancarlo Doria) に基づいている[1]。
本作品は1616年12月30日にイングランド王国の作家トビー・マシュー(英語版)が初代ドーチェスター子爵ダドリー・カールトン(英語版)に宛てた手紙の中で言及されている。それによると、当時ハーグの駐イングランド大使であったルーベンスは、狩猟画の縮小版を制作しているという。なぜならそれは「非常に大きな作品であったため、偉大な貴族のほかにはそれを飾るのに適した邸宅を所有する人がいなかった」からであった。最後にトビー・マシューはこの「狩猟を描いた素晴らしい作品」が1617年4月24日に100ポンドで落札されたと報告した[1]。このとき絵画を購入した人物がアールスコート公爵フィリップ=シャルル・ダランベールであることはほぼ確実視されている。彼のコレクションは1640年にマドリードで死去したのちに売却された[1]。本作品を含むアールスコート公爵が所有した6点の絵画を購入したのは、初代レガネス侯爵ディエゴ・フェリペ・デ・グスマンであった。絵画はレガネス侯爵の1642年の目録、および死去した1655年作成の財産目録に記載されている[1]。絵画はレガネス侯爵家で相続されたのち、1711年にマドリードのアルタミラ伯爵家(スペイン語版)に相続された。その後、1814年から1815年にかけてジョゼフ・ボナパルトによってパリに運ばれたが、当時の所有者であった第12代アルタミラ伯爵ヴィセンテ・イザベル・オソリオ・デ・モスコソ(英語版)はナポレオン失脚後の1820年に、パリで美術商のジョン・スミス(John Smith)に5万フランで売却[1]。さらにジョン・スミスは1824年に初代アシュバートン男爵アレクサンダー・ベアリングに2200ポンドで売却した[1]。絵画はその後、息子の第2代アシュバートン男爵ウィリアム・ビンガム・ベアリング(英語版)、その未亡人であり美術収集家であった男爵夫人ルイーザ・ベアリング(英語版)に相続された。その後、1908年にロンドンの美術商サリー&カンパニー(Sulley and Co.)に売却され、1910年にメトロポリタン美術館によって購入された[1]。