柳田 殖生横浜DeNAベイスターズ 野手コーチ #85 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
兵庫県西脇市 |
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生年月日 |
(1982-03-31) 1982年3月31日(42歳) |
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身長 体重 |
180 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
一塁手、三塁手、遊撃手 |
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プロ入り |
2005年 大学生・社会人ドラフト5巡目 |
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初出場 |
2007年6月20日 |
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最終出場 |
2016年7月2日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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コーチ歴 |
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柳田 殖生(やなぎだ しげお、1982年3月31日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
経歴
プロ入り前
1999年に福知山商高(現・福知山成美高)が甲子園に初出場した時の4番ショート[1]。その時は2回戦まで進出した。
卒業後は社会人野球のデュプロへ入社したが、1年で退部して野球を諦めアルバイト生活を送っていた[2]。
1年半のあいだ瓦屋として働いていたが、周りに説得されて野球の道に戻り、2003年にNOMO Baseball Clubに入団[2]。2005年のクラブ選手権で優勝した。都市対抗は1回戦で敗退。
2005年11月18日に行われた大学・社会人ドラフト会議では、中日ドラゴンズから5巡目で指名され、入団[2]。本クラブ出身選手としては初めてのプロ野球選手になった。
中日時代
- 2006年
- ルーキーイヤーは一軍出場なしに終わったが、二軍では遊撃手としてチームトップの57試合に起用され、将来のレギュラー候補と期待された。
- 2007年
- 6月20日の対オリックス・バファローズ戦で、代走として一軍初出場を果たす。6月23日、対福岡ソフトバンクホークス戦で、8番・三塁手で初めてスタメン出場し、第1打席でプロ初安打を、第2打席ではプロ初本塁打をそれぞれ杉内俊哉より放った。
- 2008年
- 内野のレギュラーが固定されていたため一軍出場なしに終わったが、二軍では内野の全ポジションで起用された。
- 2009年
- 過去3年間2割台前半だった打撃が成長し、二軍でリーグ2位(チームトップ)の打率.325、リーグ3位の出塁率.403を記録した。
- 2010年
- 二軍で100試合に出場し、打率.270、出塁率.353に終わる。また4年連続で内野の全ポジションを守った。
- 2011年
- 二軍では主に4番で出場し、自身初タイトルの首位打者となる打率.319を記録し[3]ウエスタン・リーグ優勝に貢献、なお2位は同僚の中田亮二で、最終戦まで抜きつ抜かれつの僅差であった。しかし、ジョエル・グスマンや佐伯貴弘らがいたために、この年も一軍での出場機会に恵まれなかった。
- 2012年
- 高木守道新監督から「期待の選手」として名前を挙げられ[4]、昨年までの実績を買われてシーズンの多くを一軍で過ごした。5年ぶりの適時打[5]や、好走塁でサヨナラのホームを踏むなど[6]過去最高の成績を残した。8月2日の東京ドームでの読売ジャイアンツ戦では、勝ち越しとなる押し出し死球を受けてお立ち台に登った[7]。
- 2013年
- 一軍で24試合に出場したが、10月28日に球団から戦力外通告を受けた[8]。
DeNA時代
2013年11月10日に横浜DeNAベイスターズが獲得する事が発表された[9]。
- 2014年
- オープン戦での打撃好調と内野守備のユーティリティ性を買われ開幕一軍入りを果たす[10]。5月29日のソフトバンク戦では欠場した石川雄洋に代わり2番・二塁で先発出場し、7年ぶりの本塁打を含む5打数4安打2打点と活躍[11]。自身初の猛打賞を記録した。この年はほぼ全ての面で自己最高の成績を残し、キャリアハイの74試合に出場した。遊撃手や三塁手として先発出場することもあった[12]。
- 2015年
- 7月14日の巨人戦では代打で同点適時二塁打を放つと、その次の打席でも二点適時打を放つ活躍を見せ[13]、お立ち台に登った。だがシーズンを通しては24試合の出場で打率.209、3失策と打撃でも守備でも粗い面が目立った。
- 2016年
- 開幕一軍ベンチ入りし、主に代打、守備固めで起用されるも安打1本のみの打率.048と活躍することはできなかった。7月3日にシーズン二度目の二軍落ちをし、以後の昇格は無かった。10月2日、球団より戦力外通告を受け[14]、その後現役引退を表明した[15]。12月2日、自由契約公示された[16]。
現役引退後
2017年はDeNAの球団職員に転身し、編成業務に就いた[17]。10月2日にDeNAのコーチ契約締結が発表された[18]。11月25日から台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜の打撃コーチを務める[19]。
2017年11月6日、2018年はDeNAの二軍打撃コーチを務めることが発表された[20]。その後、2019年は二軍打撃兼内野守備コーチを担当[21]。2020年は二軍内野守備走塁コーチ専任となった[22]。2021年から2022年までは二軍守備走塁コーチを務めたが、実際は外野守備を担当[23]。現役時代は外野手としての経験はほとんどなかったが、指導力や選手と向き合う姿勢などを買われ、同コーチ就任を打診された[23][24]。2023年は二軍外野守備走塁コーチ[25]、2024年は再び二軍内野守備走塁コーチ[26]を務めた。
2025年からは田代富雄、大村巌、石井琢朗、鈴木尚典の4コーチと共に役職が一・二軍の肩書のない野手コーチに変更となった[27][28]。
人物
クラブチーム時代は堺市にある株式会社コアー建築工房で朝8時から建築現場でアルバイト、夜7時からNOMO Baseball Clubで毎日野球をしていた。
入団会見には婚約者同伴で臨んだ。
遊撃手を中心に内野ならどこでも守れる器用さから、懸念問題とされていた「ポスト渡邉博幸」の筆頭と期待され、本人の目指すところも同じと語っていた。その後、ウエスタンリーグの打撃トップ10に名を連ねるなど打撃面での注目度も高かった。
プロ入り2年目の2007年のシーズンで周囲に指摘されるまで、デッドボールのことを「ゼットボール」と勘違いしていた。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2007
|
中日
|
9 |
12 |
12 |
1 |
2 |
0 |
0 |
1 |
5 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
.167 |
.167 |
.417 |
.583
|
2009
|
3 |
5 |
5 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.200 |
.200 |
.200 |
.400
|
2010
|
2 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
2011
|
3 |
3 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
2012
|
29 |
26 |
24 |
3 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
6 |
1 |
.208 |
.269 |
.208 |
.478
|
2013
|
24 |
32 |
32 |
1 |
7 |
1 |
0 |
0 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0 |
.219 |
.219 |
.250 |
.469
|
2014
|
DeNA
|
74 |
101 |
88 |
12 |
24 |
3 |
0 |
4 |
39 |
10 |
0 |
0 |
6 |
0 |
2 |
0 |
5 |
20 |
2 |
.273 |
.326 |
.443 |
.769
|
2015
|
24 |
49 |
43 |
1 |
9 |
2 |
0 |
0 |
11 |
5 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
2 |
11 |
2 |
.209 |
.261 |
.256 |
.517
|
2016
|
23 |
24 |
21 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
6 |
0 |
.048 |
.130 |
.048 |
.178
|
通算:9年
|
191 |
254 |
230 |
21 |
49 |
6 |
0 |
5 |
70 |
18 |
0 |
0 |
10 |
0 |
5 |
0 |
9 |
62 |
5 |
.213 |
.258 |
.304 |
.563
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 |
二塁 |
三塁 |
遊撃
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2007
|
中日
|
4 |
4 |
0 |
0 |
2 |
1.000 |
- |
4 |
4 |
3 |
0 |
0 |
1.000 |
-
|
2009
|
- |
1 |
3 |
1 |
0 |
1 |
1.000 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1.000 |
-
|
2012
|
12 |
30 |
0 |
0 |
2 |
1.000 |
9 |
8 |
8 |
0 |
4 |
1.000 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1.000 |
2 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
2013
|
3 |
8 |
0 |
0 |
1 |
1.000 |
2 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1.000 |
5 |
2 |
4 |
0 |
1 |
1.000 |
7 |
9 |
16 |
1 |
3 |
.962
|
2014
|
DeNA
|
36 |
97 |
5 |
1 |
8 |
.990 |
9 |
16 |
18 |
1 |
6 |
.971 |
8 |
2 |
6 |
1 |
0 |
.889 |
9 |
8 |
18 |
1 |
2 |
.963
|
2015
|
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
6 |
6 |
8 |
0 |
1 |
1.000 |
2 |
0 |
4 |
1 |
1 |
.800 |
6 |
4 |
12 |
2 |
3 |
.889
|
2016
|
8 |
17 |
1 |
0 |
2 |
1.000 |
4 |
5 |
4 |
0 |
1 |
1.000 |
5 |
0 |
2 |
0 |
2 |
1.000 |
2 |
1 |
3 |
0 |
2 |
1.000
|
通算
|
64 |
157 |
6 |
1 |
15 |
.994 |
31 |
40 |
40 |
1 |
13 |
.988 |
27 |
8 |
21 |
2 |
4 |
.935 |
26 |
24 |
50 |
4 |
10 |
.949
|
記録
- 初記録
背番号
- 53(2006年 - 2013年)
- 36(2014年 - 2016年)
- 85(2018年 - )
登場曲
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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監督・コーチ |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ |
- 83 桑原義行(監督兼投手コーディネーター)
- 89 中井大介(オフェンスチーフ)
- 73 藤田一也(ディフェンスチーフ兼内野守備兼ベース)
- 84 上田佳範(外野守備兼ベース兼野手)
- 88 入来祐作(投手兼アシスタント投手コーディネーター)
- 86 八木快(投手)
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その他コーチ | |
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