松本 染升(まつもと そめしょう[1][注釈 2]、(1903年〈明治36年〉3月20日[1] - 1985年〈昭和60年〉8月12日)は、日本の男性俳優、歌舞伎役者。本名は野村 八郎(のむら はちろう)。1915年に養子に入り、以後は中村 八郎(なかむら はちろう)と名乗った[3]。屋号は高麗屋、定紋は四つ花菱である[4]。
1903年(明治36年)3月20日、東京市[1]牛込区[注釈 1]に野村八郎として生まれる。1915年(大正4年)、神奈川県川崎市の中村家に養子に入り、以後は中村八郎と称した[3]。
川崎尋常小学校卒業後、1923年(大正12年)、七世松本幸四郎門下となり松本錦三郎と名乗り市村座の舞台に立つ[4]。1935年(昭和10年)には歌舞伎座で名題に昇進、以後は初代・松本染升と名乗る[3]。当時は、女形を得意としていた[4]。
1942年(昭和17年)、前進座に移籍。第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)からは前進座ユニットの映画にも端役出演するようになり、1956年(昭和31年)に前進座を退団して映画俳優となる[3]。東宝、日活、松竹、東映で活躍し、特撮作品、若大将シリーズ、クレージー・キャッツシリーズ、渡り鳥シリーズ、赤木圭一郎主演作などの人気シリーズから、黒澤明の大作映画や川島雄三などの文芸作品、そして日活アクションから時代劇にいたるまで幅広いジャンルの映画に出演。
1971年(昭和46年)に68歳で二代目尾上松緑傘下に入り歌舞伎に復帰。以降は歌舞伎に専念する[4]。
1985年(昭和60年)8月12日、死去した。満82歳没[4]。(同日に発生した日本航空123便墜落事故とは無関係)
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