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この項目では、宮城県の自治体について説明しています。名古屋市昭和区にあった地名については「村田町 (名古屋市)」をご覧ください。 |
村田町(むらたまち)は、宮城県柴田郡にある町。
概要
地誌『柴田郡村田郷風土記御用書出』(安永7年=1778年)によると、公家が京都から下向してこのあたりに暮らし、「お館様」」と呼ばれて16代を数えた後に村田氏が城に入ったとされる[2]。その村田城が築かれた室町時代に入ると、下野国小山氏に連なる九郎業朝(くろう なりとも)が合戦に敗れて奥州へ逃れ、村田に住んだのが嘉吉年間(1441年–1444年)とされる。姓を村田に改めて6代目の村田近重(ちかしげ)には男子がなかった。そこで永禄8年(1565年)、後嗣ぎとして伊達稙宗(たねむね=第14代)の九男宗殖(むねふゆ=万好斎[注釈 1])を迎え、村田氏は伊達氏の係累に入った[2]。西根荘村田郷の領地は村田町内の大字村田から同大字足立の辺りで、宗殖から7代にわたって治めた[2]。
江戸時代の村田は水運を生かし仙南地方における紅花の集積地となり[3][4]、明治時代にはカイコの繭を集めて各地へ出荷する中心地として栄えた[注釈 2]。
中心市街地の村田は、「なまこ壁」を用いた「店蔵」(たなぐら)と呼ばれる土蔵造りの店舗と豪壮な表門とが並ぶ古い町並みが残っており[3][4]、7.4ヘクタールの区域が2014年(平成26年)9月18日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された[4][6][7]。」「みちのく宮城の小京都」[8]とも称される。
その他、「スポーツランドSUGO」を有しており[9][10]、町内の一地名である」「菅生」「SUGO」はモータースポーツ界では鈴鹿と並び知名度は高い[16]。
地理
位置
宮城県南部に位置する。町の7割を緩やかな丘陵が占める。町の中心部は東・西・北の三方を山に囲まれた盆地であり、また市街地の東部を川(荒川)が流れるなど京都に類似した地形となっており、小京都と言われる所以の一つとなっている。
地形
河川
主な川
湖沼
主な湖
人口
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村田町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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村田町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 村田町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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村田町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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13,337人
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1975年(昭和50年)
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13,265人
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1980年(昭和55年)
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13,370人
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1985年(昭和60年)
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13,807人
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1990年(平成2年)
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13,632人
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1995年(平成7年)
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13,539人
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2000年(平成12年)
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13,166人
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2005年(平成17年)
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12,740人
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2010年(平成22年)
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11,995人
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2015年(平成27年)
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11,501人
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2020年(令和2年)
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10,666人
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総務省統計局 国勢調査より
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隣接自治体・行政区
- 宮城県
歴史
近代
- 明治時代
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、村田本郷・足立村・薄木村・小泉村の計4か村が合併し、村田村が発足。
- 1895年(明治28年)10月31日 - 町制施行し、村田町となる。
近現代
- 昭和時代
現代
- 平成時代
- 令和時代
政治
行政
首長
- 歴代村長
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
安積公 |
1889年(明治22年)4月23日 |
1894年(明治27年)4月15日 |
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2 |
桜中荘次郎 |
1894年(明治27年)4月23日 |
1895年(明治28年)10月30日 |
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- 歴代町長
-
- 昭和の合併以前
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
桜中荘次郎 |
1895年(明治28年)10月31日 |
1899年(明治32年)7月1日 |
村長より留任
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2 |
八島糾 |
1899年(明治32年)7月25日 |
1907年(明治40年)8月2日 |
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3 |
田山孫八 |
1907年(明治40年)8月16日 |
1923年(大正12年)9月 |
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4 |
大沼万兵衛 |
1923年(大正12年)10月16日 |
1932年(昭和7年)12月20日 |
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5 |
升敏之助 |
1943年(昭和8年)1月24日 |
1941年(昭和16年)7月7日 |
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6 |
武田恭次郎 |
1941年(昭和16年)7月8日 |
1946年(昭和21年)6月13日 |
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7 |
善積康平 |
1946年(昭和21年)6月18日 |
1947年(昭和22年)3月31日 |
都市計画区域の策定[24]
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8 |
大沼千吉 |
1947年(昭和22年)4月6日 |
1951年(昭和26年)4月4日 |
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9 |
升健蔵 |
1951年(昭和26年)4月23日 |
1955年(昭和30年)4月19日 |
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- 昭和の合併以後
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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升健蔵 |
1955年(昭和30年)4月20日 |
1955年(昭和30年)5月24日 |
職務代執行者
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1 |
大平良治 |
1955年(昭和30年)5月25日 |
1983年昭和58年)5月24日 |
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2 |
大沼勘右衛門 |
1983年(昭和58年)5月25日 |
1991年(平成3年)5月24日 |
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3 |
桜中良寿 |
1991年(平成3年)5月25日 |
1999年(平成11年)5月24日 |
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4 |
佐藤洋治 |
1999年(平成11年)5月25日 |
2007年(平成19年)5月24日 |
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5 |
佐藤英雄 |
2007年(平成19年)5月25日 |
2019年(令和元年)8月27日 |
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6 |
大沼克巳 |
2019年(令和元年)8月28日 |
現職 |
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町章
1961年(昭和36年)5月16日制定。村田町の「む」を図案化したもので、村田町をめぐる「山」を上部にとり入れ、和と飛躍する恒久発展の姿を現した。
施設
警察
- 本部
- 駐在所
消防
- 本部
- 消防署
医療
- 主な病院
郵便局
- 主な郵便局
交流施設
対外関係
姉妹都市・提携都市
国内
- 提携都市
- その他
- 陸前の小京都「村田」として全国京都会議に加盟している。
海外
- 姉妹都市
経済
第一次産業
農業
第二次産業
工業
- 村田工業団地(プラスエンジニアリング、竹内ハガネ商行、三丸化学、東邦メッキ、東亜工業、東北特殊鋼、他7事業所)を中心に、町内の各地で42社が操業。
第三次産業
商業
- 主な商業施設
金融機関
情報・通信
マスメディア
中継局
教育
高等学校
- 県立
中学校
- 町立
小学校
- 町立
- 統廃合
交通
鉄道
町内を東北新幹線が通過しているが、鉄道駅は在来線を含め存在しない。鉄道を使用する場合の最寄り駅は、JR東日本東北本線大河原駅。
バス
道路
一般道
起業道路 - 改築のため土地を収用(町内の大字村田字西38、49、52、53宅地[27])
高速道路
国道
県道
- 主要地方道
- 一般県道
道の駅
観光
名所・旧跡
- 重要伝統的建造物群保存地区
- 主な城郭
- 主な神社
- 白鳥神社 奥州の蛇藤、縄文けやき、大銀杏、白樫などの巨木群 パワースポット
- 主な寺院
- 龍島院 京都「詩仙堂」の庭園美を呈した池泉鑑賞式庭園
- 願勝寺 悲恋の恋塚伝説
- 主な遺跡
- 主な史跡
観光スポット
文化・名物
祭事・催事
- 主な祭事
- 城山公園 桜まつり(4月)
- 奥州の蛇藤まつり(5月第2日曜日)
- 宗高公まつり花火大会(8月17日)
- 布袋まつり(10月 体育の日の前日[28])
- 主な催事
- むらた 町家の雛めぐり
- 小京都むらた写真展
- 蔵の工芸市
- そら豆まつり(6月第2日曜)
- みやぎ村田町蔵の陶器市
- 蔵ing村田 新そばまつり
名産・特産
- 地酒(日本酒)
- 納豆
- 味噌
- そら豆加工品(うどん、コンニャク、アイス、サブレ、ケーキなど)
- 陶器
- ガラス細工
- 草木染
- 日本画、石板画
スポーツ
モータースポーツ
出身関連著名人
出身著名人
ゆかりの著名人
参考文献
脚注の典拠。主な執筆者、編者の順。
K. SAITO「フォーミュラニッポン(第6戦)(SUGO)から」『自動車工学』第45巻第11号、鉄道日本社、1996年10月、186-189頁、doi:10.11501/3271577、国立国会図書館書誌ID:000000010207-d3271577。
関連資料
発行年順。脚注に未使用。
- 青柳・今泉・大槻・養賢堂文庫和漢書目録
脚注
注釈
- ^ 父、伊達稙宗は長享2年生まれ、永禄8年没(1488年–1565年)。宗殖の兄の孫が伊達政宗。
- ^ 重要伝統的建造物群、種別1:商家町。選定年月日:2014.09.18(平成26.09.18)選定基準1:(一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの[4]、『都市計画法令要覧』(2014年8月1日時点(平成26年)の情報[5])。
- ^ 大字支倉のうち、字櫛挽・字道海・字道海前山の全部と、字東湯沢の一部。
出典
- ^ “町章制定について”. 宮城県村田町. 2013年10月23日閲覧。
- ^ a b c 村田町生涯学習課 2024, p. 3, 「2 村田の歴史:古代〜中世」
- ^ a b 金森崇之「文化審答申:村田の蔵や門の町並み、重要伝統的建造物群に 国の文化審、保存地区選定を答申」『毎日新聞』毎日新聞社、2014年5月17日。
- ^ a b c d “【主情報】名称:村田町村田”. 国立国会図書館WARP事業. 文化庁. 2021年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月23日閲覧。
- ^ ぎょうせい 2014, 「第5節 伝統的建造物群保存関係」
- ^ 「平成26年9月18日文部科学省告示第133号」“平成26年(2014年)文部科学省”. 法庫2. 文部科学省. 2024年9月23日閲覧。 “一三三:9月18日:伝統的建造物群保存地区を重要伝統的建造物群保存地区に選定する件”
- ^ 苅谷、西村 2016, pp. 1, 8–10, 「巻頭:図」、「村田町 村田〔宮城県〕」
- ^ a b 大友 2004, pp. 9–13
- ^ 『サンデー毎日』 1982, doi:10.11501/3370006
- ^ 清水 1993, pp. 96–104
- ^ K. SAITO 1996, pp. 198–201
- ^ K. SAITO 1996, pp. 186–189
- ^ K. SAITO 1996, pp. 178–181
- ^ I. IWATA & K. SAITO 1997, pp. 198–201
- ^ K. SAITO 1999, pp. 196–199
- ^ 『自動車工学』(鉄道日本社、1952-2016年)第45巻[11][12][13]、第46巻[14]、第48巻[15]。
- ^ 『日本災害史事典』 2010, p. 141
- ^ a b 『東北自動車道関係遺跡発掘調査概報』 1972, pp. 2-
- ^ 宮城県遺跡地名表, 「7014村田字西原、丘陵斜面(集落、縄文・平安、畑、縄文土器、土師器、須恵器、鉄製品)」
- ^ 宮城県遺跡地名表, 「7022東足立遺跡(乗越遺跡)ひがしあしたて(のりこし)村田町足立字乗越他、丘陵斜面(集落、縄文後・晩・弥生・平安、畑、縄文土器(金剛寺・大洞B)、石器、弥生土器、土師器)」
- ^ 「II 東北自動車道と関係遺跡」[18]、「III 各遺跡の発掘調査概報」[18]
- 岩渕康治「(10)西原遺跡」121頁[19]
- 佐々木安彦「(11)東足立遺跡」133頁[20]。
- ^ 建設省 1949, 「第322号 / 宮城縣村田都市計画区域」
- ^ 建設省 1949, p. 207, 「第323号」
- ^ 都市計画法第1条の規定により、宮城県村田町を都市計画区域とする。昭和24年4月21日 建設大臣益谷秀次[22]。都市計画法第2条第1項の規定によりて、宮城縣柴田郡村田町の区域をもって宮城県村田都市計画区域とする。建設大臣益谷秀次[23]。
- ^ 「姉妹都市提携一覧」(姉妹都市提携データ)
- ^ 『月刊教育ジャーナル』 1993, pp. 44–48
- ^ 大蔵省印刷局; 日本マイクロ写真(製作), eds (1931-05-20). 土地收用公告. “道路改築柴田郡村田町長(宮城県)”. 官報 (大蔵省) (1314): 499(コマ番号5). doi:10.11501/2957782. 国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2957782.
- ^ 村田町布袋まつり保存会(地域産業推進課): “蔵の町むらた布袋まつり”. web.archive.org. トップ > イベント. 村田町役場 (2013年12月13日). 2013年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月23日閲覧。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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外部リンク