平岡町(ひらおかちょう)は、兵庫県加古川市の地域である。
前身は加古郡平岡村(ひらおかむら)である。平岡村は1950年6月15日に加古川市が成立したことに伴い、地方自治体として消滅した。その村域は現在の加古川市平岡町に相当する。
概要
平岡町にある大字は、新在家・西谷・高畑・土山・つつじ野・二俣・山之上・中野・八反田・一色・一色東・一色西にあたる。
加古川市では、当地域中央の東加古川駅周辺地域を副都心として位置付けし、「文教・都市型商業アミューズメント拠点」として整備する。また、東加古川駅に設置が予定されていた貨物駅予定地は、阪神・淡路大震災の際に仮設住宅用地として利用され、現在宅地開発されている[1]。
戦後、東加古川駅開業・宅地開発(神戸製鋼二俣社宅・川崎重工社宅の建設、鶴池タウン・城の宮団地・平岡団地)によって、急速に人口が増加した。加古川市が発足した当時、町内に小学校1校、中学校0.5校(中部中に野口・平岡町全域から通学)であったものが、現在(2016年)は町内に小学校4校、中学校2校にまで生徒数が増えたことからも読み取れる。
1988年(昭和63年)、南隣の別府町にイトーヨーカドーを核店舗とする商業施設のグリーンプラザべふ(現・アリオ加古川)ができ、以前からあった新在家のイオン加古川店(旧・ニチイ→サティ)も含め、平岡町周辺に大規模小売店が集積したことで、平成になってからも人口流入が続き、加古川町と肩を並べるまでに発展した。その影響で、平岡町内を南北に貫く県道383号八幡別府線は、加古川東ランプや新在家のイオン、明姫幹線や別府へ向かう道路は南北両方向ともラッシュ時を中心に慢性的な渋滞が発生する。
土山地区のみ、市外局番が神戸市などと同じ「078」となっている(加古川市の他の地区は「079」)。
安倍晋三も職場の関係で町内に居を構えていたことがある。
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平岡町の住宅地
平岡町土山で撮影
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平岡町の農業地帯
平岡町新在家で撮影
歴史
交通
鉄道
バス
道路
教育
- 幼稚園
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
- 短期大学
- 大学
- かつて存在した教育機関
- 兵庫農業短期大学
- 兵庫青年師範学校 - 兵庫県立農学校(兵庫県立農業高校の前身)甲種別科として設立。のち、姫路市へ移転。
- 私立別府中学校 - 大正9年(1920年)に加古郡平岡村に設立認可された私立学校[7]。人工肥料で財を成した別府村の多木粂次郎が設立したが、県の要請で寄付し、1922年より校舎を兵庫県立農業高等学校が使用[8]。
公共施設
脚注
参考書籍
関連項目