『崖の上のポニョ』(がけのうえのポニョ)はスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。監督は宮崎駿。宮崎の長編監督作品としては2004年(平成16年)の『ハウルの動く城』以来4年ぶり、原作・脚本・監督のすべてを担当するのは2001年(平成13年)公開の『千と千尋の神隠し』以来7年ぶりの作品。また、宮崎駿にとっては1979年(昭和54年)公開の『ルパン三世 カリオストロの城』から10作目の監督作品となった。
海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳の少年・宗介の物語。
2008年(平成20年)7月19日に東宝による配給で公開された。
魚の女の子・ポニョは、海の女神である母・グランマンマーレと魔法使いの父・フジモトに育てられている。ある日、家出をして海岸へやってきたポニョは、空き瓶に頭が挟まっていたところを、保育園児の宗介に助けられる。宗介は魚のポニョが好きになり、ポニョも宗介が好きになる。ところが、ポニョがいなくなったことに気づいたフジモトに追いかけられて捕まり、ポニョは海底に連れ戻されてしまう。
フジモトは、海底にある家の井戸に、"命の水"を蓄えていた。その井戸が一杯になると、忌まわしき人間の時代が終わり、再び海の時代が始まるのだという。ポニョは、宗介に会うために家から逃げ出そうとして、偶然に、その井戸へ海水を注ぎ込んでしまう。すると命の水はポニョの周りに溢れ出し、ポニョは人間の姿へと変わる。強い魔力を得た彼女は激しい嵐を呼び起こし、津波に乗りながら宗介の前に現れて、宗介に飛びついて抱きしめる。宗介は、女の子の正体が魚のポニョであるとすぐに気づいて、彼女が訪れたことを嬉しがる。
一方、フジモトは、"ポニョが世界に大穴を開けた"と言って、このままでは世界が破滅すると慌て出す。しかし、グランマンマーレは、ポニョを人間にしてしまえば良いのだとフジモトに提案する。古い魔法を使えば、ポニョを人間にして、魔法を失わせることができるのだ。だが、それには宗介の気持ちが揺らがないことが条件だった。さもなくば、ポニョは泡になってしまうという。
嵐が落ちつくと、宗介の母・リサは、彼女が勤めている老人ホーム「ひまわりの家」の様子を見に出かけていく。翌朝、宗介はポニョと一緒にリサの後を追うと、途中でポニョは眠り出し、魚の姿に戻ってしまう。そこへやってきたフジモトが、二人を海底に沈んでいるひまわり園まで連れて行くと、そこにはリサとグランマンマーレが待っていた。
グランマンマーレは、宗介が心からポニョを好きなことと、ポニョが魔法を捨てても人間になりたいことを確かめて、ポニョを人間にする魔法をかける。ポニョと宗介が陸に戻り、ポニョにキスをすると、ポニョの姿は5歳の女の子に変わったのだった。
本作のスタッフクレジットは従来のジブリ作品と異なり、「このえいがをつくった人」として全出演者とスタッフの名前が50音順に表記されている。役名や肩書きなしに氏名だけが表記され、誰が何を担当したのか判らないという珍しい作りで、その後は「スタジオジブリ」「おわり」の順となっている。この様式は次作の『借りぐらしのアリエッティ』でも採用されている。そのため、本来使われるスタッフクレジットは、後年発売されたDVDのジャケット裏面で型に埋めるような形で記載された。
なお、オープニングではタイトルの前に「はじまり」という異例の演出が取り入れ、キャスト・スタッフは代表的な人物数人のみであるものの、担当した業種も添えて表示されている。
本作はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』(1836年発表)をモチーフとした作品とされている[8]。しかし、『人魚姫』をそのまま原作としては使用しておらず、宮崎は「キリスト教色を払拭」[8]するとしたうえで、舞台を現代の日本に移すなど大きな変更を行っている。ただ、ヴェネツィア国際映画祭での記者会見では、宮崎から「製作中に『人魚姫』の話に似ていると気付いたものの、元来意図的にベースとしたわけではない」という旨の発言も出ている。
なお、同記者会見において宮崎は、ポニョ発想のルーツを質問され「9歳の頃初めて読んだ文字の本がアンデルセンの人魚姫であり、そこにある『人間には魂があるが、人魚は"物"であり魂を持たない』という価値観に納得が行かなかった事が、遡ればポニョの起点なのかもしれない」と答えている[9]。
本作は、ストーリーの起承転結が明確になっておらず、ほとんど伏線が存在しない。天変地異が起こっても詳しく理由が説明されることなく、全体的に消化不良のまま物語が収束するなど「スピード感と勢い」を重視しており、ファンタジーと現実社会が入り混じったストーリー構成となっている。この点について、宮崎は「ルールが何にも分からなくても分かる映画を作ろうと思った」「順番通り描いてくと、とても収まらないから思い切ってすっ飛ばした」「出会って事件が起きて、小山があって、最後に大山があってハッピーエンドというパターンをずっとやってくと腐ってくる、こういうものは捨てなきゃいけない」と話している[10]。
『ハウルの動く城』完成の後、しばらく宮崎が構想を練っていたものを、ジブリスタッフを伴っての制作が2006年10月に始まった。元々は今まで通りの手法で作る予定であったが、制作前にイギリスのテート・ブリテンで鑑賞したジョン・エヴァレット・ミレーの絵画、「オフィーリア」に感銘を受け、改めて作画方法について見直すことになる。
その後、宮崎が「紙に描いて動かすのがアニメーションの根源。そこに戻ろうと思う。もう一遍、自分たちでオールを漕ぎ、風に帆を上げて海を渡る。とにかく鉛筆で描く」という意向を固め、コンピューター(CG)を一切使わず、手書きによって作画されることとなった(ただし作画以降の彩色・撮影はデジタル)。作画にコンテを使うなど、絵のタッチは素朴なものになり、これまでのジブリと違った新しい試みになっていると鈴木敏夫は話している。特に海(波)の描写に力を入れているという。
その一方でジブリの背景美術たちはすごく暇になったため『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』は半分近く描いてもらったと押井守は発言している[11]。
構想段階では、宮崎が中川李枝子の作品が好きであったために「崖の上のいやいやえん」らしいものを作ろうと考えていた。作品を作るにあたり「人魚姫」や「雪女」「安珍・清姫」などの民間伝承、童話などに数多くにある変態過程の描写と背景が「淡白」に描かれていることを踏まえ、そこを重点にしてポニョの変態過程を構成させた。
海を舞台にした作品は、宮崎がいつか描きたいと長年夢見てきたが、「波を描くのが大変」という理由で、それまで踏み切れずにいた。2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦(とものうら)を非常に気に入り、準備として2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもった[12][13][14][15]。本作の構想もこの時に練り[12][13][14][16]、自身を極限に追いつめる鬼気迫った姿がNHKで放送された[15]。2ヶ月間滞在では、瀬戸内と関東の屋根瓦との違いや、太平洋との波の違いに特に興味を引いた[13]。この宮崎の行動に対し、妻の出した条件は「生きてる証拠として、毎日絵手紙を出すこと」だったという。
三鷹の森ジブリ美術館で上映されている宮崎の短編監督作『くじらとり』『水グモもんもん』『やどさがし』などからも影響も受けているという[17]。
宮崎が劇場公開以前に描いた初期ボードのポニョの姿は本作と異なっており、カエルのような姿をした魚という設定になっていた。人間姿のポニョの髪や衣装も全く異なっている。
ポニョが1人で宗介の家までたどり着き、宗介とリサの前に玄関で迎えられるという設定になっているが、本作の場面には描かれていない。その他にもポニョが宗介が描いたポニョの似顔絵を見つけて驚いたり、ポニョが宗介にぶたれて泣いたり(『となりのトトロ』のメイが泣いたシーンとよく似ている)、ポニョが宗介と一緒に海の中を泳いだり、ポニョが人間のままグランマンマーレの「魔法が使えなくなりますよ」という話を聞いて快く頷いている場面が設定されていたが、すべて没となった。
一般公開前にスタジオ内にある映写室で、スタッフや知人の子供を集めて試写を行うも、子供達の反応は鈍く、宮崎は不安を抱えたまま公開日を迎える。本作の公開に合わせ、「公開カウントダウン「崖の上のポニョ」に秘められた謎」がPR番組として日本テレビ系列で2008年7月15日から18日まで放送された(後述)。
宮崎と親交の深い押井守監督の『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』と時を同じくして公開されるのは鈴木敏夫が同時に公開しようと提案したため。鈴木は「かたや空、かたや海、時を同じくして似たようなのが出てくる。歩みは違ってもなんだかんだでずっと接点がある押井守との友情です」と語る[18]。
東京の日比谷スカラ座での初日舞台挨拶の際、偶然にも震度3(宮城県で震度4)の地震が発生。津波注意報が出たことから宮崎は「ポニョがいる」とつぶやいた。キャラクターのモデルは、スタジオ内のスタッフやその子供たちで、その子育てを見ながら制作したので、新しく生まれてくる子供たちに向けた作品にしたという。
通常、舞台挨拶などのイベントはメイン劇場とされる劇場での公開初日の初回上映および2便上映のみだが、主題歌が大ヒットしたため、公開初日の初回上映で舞台挨拶を行った日比谷スカラ座で9月15日に「大ヒット御礼主題歌祭り」を行った。
本作のPR番組として日本テレビ系列で2008年7月15日から18日まで放送されたミニ番組。
プレゼンターとして宮崎宣子(日本テレビアナウンサー)、ジブリアカデミー生徒として東貴博(Take2)、女優の柊瑠美、タレントの山田五郎、スタジオジブリからは鈴木敏夫が出演。第3回ゲストとして、本作の主題曲「崖の上のポニョ」の歌手・藤岡と大橋も出演している。
2008年末までの興行収入は155億円、観客動員数1200万人以上[19]。スタジオジブリ作品の映画サイトとして史上最高の月間訪問者数100万人を達成[20]。全米では『Ponyo』のタイトルで、ジョン・ラセター、キャスリーン・ケネディ総指揮、ブラッド・ルイス演出によるローカライズが行われたバージョンが2009年8月14日より公開。リーアム・ニーソン、ケイト・ブランシェット、マット・デイモンなどの映画スターが吹き替えを担当したことが話題となった。ジブリ映画としては過去最大となる927館一斉封切りが行われ[21]、オープニング興収351万ドル、週末のBox Officeランキングで全米第9位を記録している[22]。
全米での最終的な興行収入は約1500万ドル(『千と千尋の神隠し』の米国における興行収入の約1.5倍である)。全米で公開された日本アニメ映画の中では第5位の記録となっている[23]。
特記のない限り、放送日は金曜日に日本テレビ系列で放送されている『金曜ロードショー』での放送日時を示す。
2022年5月6日は本来なら『耳をすませば』の放送が予定されていたが、諸事情により本作に差し替えられることになった[25]。差し替え理由は公表されていないが、『耳をすませば』に出演していた高橋一生が裏番組のドラマ『インビジブル』(TBS・金曜ドラマ)に主演として出演しているため、裏被りを回避するためであると思われる[26]。
2009年7月3日、製作ドキュメンタリーDVD・Blu-ray Discの「ポニョはこうして生まれた。〜宮崎駿の思考過程」と、「崖の上のポニョ 特別保存版」が音楽に関する許諾を取っていなかったことが発覚したため、12月に発売延期となった。なお、通常版のDVDは発売延期されていない。少数ながらVHSでも発売されている。2011年11月16日には高精細フルHDのアップコンバートと音質向上を施したブルーレイディスク版が発売。
括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
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