大蔵 (世田谷区)
大蔵(おおくら)は、東京都世田谷区の地名。住居表示実施済み。現行行政地名は大蔵一丁目から大蔵六丁目。郵便番号157-0074[2]。砧地域に属する。 地理東京都世田谷区の南西部に位置し、砧地域に属する。東で環八通りを境に上用賀、南で鎌田・岡本・砧公園、西で喜多見・宇奈根、北で砧・成城と隣接する。一丁目から四丁目までは概ね世田谷通り沿いに東西に伸び、五丁目と六丁目は南北に伸びている。世田谷通り南側、砧公園の北側、西側にあり、同通り周辺には商店が見られる。また、砧公園に隣接して世田谷総合運動場や、国立成育医療研究センターなどの大規模な施設も見られる。 一丁目は砧公園、世田谷通り(旧道)、東京都道311号環状八号線に挟まれた地域で、主に住宅地。二丁目には国立成育医療研究センターが面積で大きな比重を占めている。三丁目は仙川と国立成育医療研究センターに挟まれた地域で、ほぼ全域が集合住宅「大蔵住宅」となっている。四丁目は世田谷総合運動公園とウェルサンピア東京がほとんどの面積を占めており、居住人口も142人(2019年9月1日現在)[1]と少ない。五丁目と六丁目は野川と仙川に挟まれた住宅地で、東名高速道路の北側が五丁目、南側が六丁目となっている。 東京都都市整備局が2022年に発表した地震に対する総合危険度の町丁別評価では、大蔵一丁目から六丁目までいずれも、5段階評価のうち相対的に最も安全とされる「レベル1」となった[4]。 河川地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、大蔵5-18-12の地点で35万9,000円m2となっている[6]。 歴史『江戸名所図会』は延暦期に武蔵国守兼大蔵卿の石川豊人が居住していたことを由来とする。1240年(仁治元年)安達景盛の次男兼周が石井郷を拝領して石井氏を名乗り、現在に至るまで旧家として残る。永享の乱で鎌倉を逃げ延びた二階堂盛秀の子秀高(清仙上人)が1490年(延徳2年)、鎌倉大蔵ヶ谷にあった永安寺を同じ地名のここ大蔵に再建した。16世紀には吉良頼康の所領で、1557年(弘治3年)大平氏に給付された。1633年(寛永10年)彦根藩領となる。江戸時代後期には国学者石井至穀を輩出した。 1889年(明治22年)砧村の大字となる。1936年(昭和11年)に世田谷区が成立した際、大蔵町となる。1971年(昭和46年)に住居表示が実施され、現在に至る。 当地にまつわる作物に大蔵大根がある。江戸時代、豊多摩郡で源内という農家が栽培していたという源内つまり大根を1953年(昭和28年)に石井泰次郎が品種改良したもので、間もなく区内各地で栽培されるようになった。1974年(昭和49年)頃青首大根に取って代わられ、一旦は姿を消したが、1997年(平成9年)に復興された。 世帯数と人口2024年(令和6年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
交通鉄道
道路
路線バス世田谷通り経由
多摩堤通り経由 施設
かつてあった施設関連作品
ギャラリー
関連項目脚注
外部リンク
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