大森隆志 |
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YouTube |
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チャンネル |
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活動期間 |
2020年 - |
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ジャンル |
音楽 |
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登録者数 |
約2900人 |
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総再生回数 |
約56万回 |
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年9月26日時点。 |
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大森 隆志(おおもり たかし、1956年〈昭和31年〉12月12日 - )は、日本の男性ミュージシャン、ギタリスト[3][4]。ロックバンドであるサザンオールスターズの元メンバーで、結成時から2001年8月7日の脱退まで、ギターを担当していた[1]。宮崎県出身[2]。宮崎大宮高等学校卒業、青山学院大学経済学部夜学中退。愛称は、ター坊[1]。身長は178センチメートル。
概要
1975年に青山学院大学経済学部夜学に入学。大学の音楽サークルに所属、アマチュア時代の桑田佳祐がやっていたバンドに興味を持ち、1977年にサザンオールスターズにギタリストとして加入した[5]。頻繁にメンバーが入れ替わっていたバンドの状態に懸念を示し、松田弘や野沢秀行[注釈 1]らを勧誘して「EastWest」に参加、デビューの契機を作る[6]。1978年6月25日にビクター音楽産業より、サザンとして「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューした。23年間在籍したが、2001年8月7日に脱退。所属していたアミューズとビクターからも離れ独立、ソロアーティストとなる[1][4]。2006年5月11日に妻と共に覚醒剤取締法違反と大麻取締法違反の現行犯で逮捕され、7月に執行猶予付きの有罪判決を受ける[8]。2007年12月からは音楽活動を再開している[9]。
人物
音楽
- サザンではギターを担当していた。桑田が大森を加入させた理由として、候補がほかに2、3人いたが、1人は「チャランポランでダメ」、もう1人は「テクニックはあるけれどどうもボクよりも音楽を知ってる」といい、大森に対しては「彼はそのどっちでもない」「じゃ下手かっていうと、違う、しっかりちゃんとやってる」「本当にこいつならまかせられると思った」と述べていた[10]。
- アマチュア時代、大森はバンドのメンバーチェンジを何度も繰り返す桑田の状況に懸念を示し、「ちゃんとしたバンドをやろうよ」と声をかけ、青山学院大学の学生ではなかった松田弘、野沢秀行をバンドに勧誘し、各メンバーの親の承諾を得たうえで自ら「EastWest」に申し込んだ。EastWestで桑田がベストボーカル賞を獲得したことがきっかけでデビューしている[6][7]。これについて桑田は「サザンにとってもデビューするきっかけを作ってくれたのが大森君。彼がいなければ『いとしのエリー』も『TSUNAMI』もなかった」と振り返っている[11]。
- 2000年の年越しライブを肉体的疲労や、リフレッシュなどを理由に欠席し[12]、2001年8月7日に「2、3年という短い期間ではなくじっくりと長い時間をかけて大森個人のソロ活動に集中するため」という理由で脱退。ソロ・アーティストとなる。この脱退は同月11日に桑田のラジオ番組で初めて発表。12日にはスポーツ紙などで報道され、13日にはサザンの公式サイト及び脱退を受けて作成されたファンクラブ会報『代官山通信』の臨時版で改めて6人の写真・コメント付きで報告された。アミューズはこの脱退はあくまでもサザンのメンバー全員が前向きに検討した末に出した結論であり、グループとしての活動やメンバー間の関係を否定するものではないことをコメントした[1][11]。これについて桑田は「おれとしては、まぁ23年間やってきた家族みたいなもんだから、ギター練習したりして、また戻ってくるのを待ってるからさぁ、みたいなことを言いまして、彼もまたそれを承諾してくれたんですけど……。ただ、彼の律義な性格からすると、最終的に脱退、独立という形が一番前向きな結論かなということになりました」「彼の持ち味を出してあげられなかった。繊細で傷つきやすい男だから、私のように自分のことしか考えない者が無神経な一言でソロ活動に拍車をかけたのも事実」といった自責の念を発言している[13][11]。各メンバーも大森に対して前向きなコメントを出し[1]、後に大森はサザンのメンバーに関しては「戦友」であると述べた[14]。
- サザンでも何曲かボーカル曲があり、その際には作詞・作曲も自ら担当している。また、ソロユニットTABO'S PROJECTを結成しシングルとアルバムを発表しているほか、大森隆志名義でのソロアルバムも1枚発表している。サザンを独立後にもソロミュージシャンとしてライブを中心に活動しており、新ユニットPROJECT OAとしてテレビ出演も果たす。以後、さまざまなアーティストとジョイント・ライブ活動、また障害者の施設にて演奏披露、大和ミュージアムのオープン記念式典プロデュースと、ボランティア活動にも意欲を見せている。
- 高橋ジョージとは「盟友」であり、BOROとは「兄弟以上の関係」と述べている[15]。
- 桑田佳祐とまた音楽をやりたい気持ちが残っている[16]。
その他
来歴
- 1980年
- 1982年
- 1stソロアルバム『真夜中のギターボーイ』を発表した。
- 渋谷、京都、神戸、大阪にてライブハウスツアーを行った。
- 1986年
- 135のデビューシングル「0%麗人」を作曲・プロデュースした。カップリングの「SOLDIER」も作曲した。
- 音楽ユニットTABO'S PROJECTを、矢島賢(ギター)、NATSU(ボーカル)と共に結成。1stシングル「DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ)/TRUTH」、1stアルバム『EYES OF A CHILD』発表した。
- 原宿ラフォーレ・ミュージアムにて同アルバム発売記念ライブを2日間に渡り行う。結局このプロジェクトはこの2枚のみ発表し解散した。
- 中村雅俊に楽曲「風が踊る午後に」を提供した。
- 若林加奈にシングル曲「COOL~アナタガタリナイ~」を作曲した。
- 1988年
- 1989年
- 1990年
- 永田真代のアルバム『JUST ME』収録曲「水の惑星」を作曲した。
- ビクターエンタテインメントの企画作品、『スノー・バードホテル』のプロデュースに参加。収録曲『SILENT MORNING』を作曲した。
- 原田知世のアルバム『Blue in Blue』をプロデュース。収録曲「Silence Blue」「白い朝」「蒼い夢」を作曲した。
- 1991年
- BOROのアルバム『薔薇と女』で、タイトル曲「薔薇の女」を作曲した。
- 原田知世のアルバム『彩』をプロデュース。収録曲「Breeze」を作曲した。
- ラングラーTVのCMソングを製作した。
- 浅香唯のアルバム『硝子の都』収録曲、「宇宙への手紙」「サイクリング・ガール」を作曲した。さらにアルバム『STAY』のサウンド・プロデュースを担当、収録曲「友情」「Rhythm of Universe」を作曲。シングル曲「愛しい人と眠りたい」の作曲も担当する。
- 「ワンコリアフェスティバル」に対して「もともと一つの家族なんだから、一日も早くあるべき姿に戻られんことを願ってやみません。」と賛同のコメントを寄せる[31]。翌年の1992年にも同じコメントを寄せている[32]。
- 1993年
- 1994年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 渋谷A-X ハプニングス・フォーのライブにゲスト出演した。
- 2003年
- 1月
- 渋谷A-X 大阪 バナナ・ホールにて独立後初のライブ開催した。
- シングル「遠い夏/熱いくちづけ」リリースした。
- 自身専用レーベル“guitar-boy”を設立した。
- 3月、BS朝日『原宿ロンチャーズ通り』で出演者にギター指導の協力をした。
- 5月、活動視野を広げるために渡米した。難波正司がプロデュースする新人女性歌手、チェルシーのCDリリースに編曲とギターで参加。曲目は「イマジン」、「ホテル・カリフォルニア」など。
- 7月
- 横浜を皮切りにライブハウスツアーを行なう。
- 神奈川、大阪、広島、宮崎、千葉、東京の6か所のライブハウスでアコースティック・ライブ及びプロ活動25周年記念ライブを開催した。
- 8月、再び渡米。難波正司のCDリリースに再び協力、参加。滞在中はかつて親交を持った現地アーティストたちとの旧交をあたためる。
- 9月、京都、名古屋のライブハウスにゲスト出演した。
- 11月、元ゴダイゴのギタリスト、浅野孝巳の率いるT.A.G.C.のライブにゲスト出演した。
- 12月
- 横浜、横須賀の2か所のライブハウスにゲスト出演した。
- 浅野孝巳とユニット結成を発表した。
- 2004年
- T.A.G.C. with OAとして横浜、東京を中心に活動。
- 2005年
- インストゥルメンタルアルバム『Song For You』をリリースした。
- 2006年
- 5月11日、覚醒剤取締法違反と大麻取締法違反(いずれも所持)の現行犯で神奈川県警に逮捕される。
- 7月13日、同事件で検察側は3年6か月を求刑。大森は「メンバーに迷惑をかけた」「ファンに大変申し訳ないことをした」と謝罪した。冒頭陳述では1991年ごろから大麻を使用していたことが発覚。裁判の内容を聞いた桑田をはじめとしたサザンのメンバーが大変ショックを受けていたことをアミューズの関係者がコメントしている[34]。
- 7月19日、判決公判で懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。
- 2007年
- 12月19日、公式ブログを開始。以後、音楽活動も再開している。
- 2011年
- 7月8日、シングル『THE THEME OF YAMATO』をリリースした。
- 2013年
- ブルースバンド・Cold Waters[注釈 9]に参加した。Cold Watersには、大森との親交の深いドラマー、古屋テツが在籍している。
作品
TABO'S PROJECT
シングル
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ) (1986年10月21日)
- 作詞:神沢礼江/作曲:矢島賢/編曲:TABO'S PROJECT
- b/w TRUTH (Song For World Peace) 作曲:大森隆志/編曲:TABO'S PROJECT
アルバム
発売日
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タイトル
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収録曲
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1986年11月5日
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EYES OF A CHILD
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- FEEL
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ)
- TIME’S STREET
- EYES OF A CHILD
- 突然炎のように
- ティアーズ
- LOGICAL PRESSURE
- ふたりの宝島
- TRUTH (Song For World Peace)
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ソロ
シングル
- 熱いくちづけ / 遠い夏 (2003年1月1日)
- 作詞:大森隆志/作曲:大森隆志
- ピアノ:渋井博/プログラミング:宮城壮一
- THE THEME OF YAMATO (2011年7月8日)
- 作詞:小林和子/作曲:大森隆志
- b/w 九月の風(Featuring 日野 'JINO'賢二)
アルバム
発売日
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タイトル
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収録曲
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1992年6月27日
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真夜中のギター・ボーイ
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- 情熱のラスト・キッス
- ハイ・スピード
- 君を想えば
- ユダヤ人のように
- オーロラに乗って
- リトル・ウィング
- グッドバイ・ハードボイルド
- Together
- グッドナイト・スウィートハート
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2005年1月1日
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Song For You
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- 9月の風 (with Bennie Maupin)
- The Rhythm Of 8beat
- Kenji
- Ferrari
- なんば君の事務所 (Acoustic Version)
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2015年1月9日
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Guitar Boy Fantasia
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- Sunrise
- 長者町の散歩道
- Solbar
- Bell Song
- J-45 (For My Dear Friend)
- Fantasia
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2016年12月12日
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RISING
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- Love Sick Chicken
- 猫
- Still I Love You
- Rising
- Southern Breeze
- なんば君の事務所
- プロヴァンスの夜明け
- Father
- 月夜の横浜
- Song For You
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2019年11月18日
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Sky Dreams
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- Pathetique Sonata 2nd Mov .「悲愴」
- Ferrari (Reiwa Version)
- Jamming (J.T.M.A)
- Scarlet Sarafan (Russian Folk Song)
- Pomp and Circumstance「威風堂々」
- Over The Rainbow
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2023年7月19日
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TRUE LOVE
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- ミス・ブランニュー・ディ(MISS BRAND-NEW DAY)
- Oh!クラウディア
- チャコの海岸物語
- いとしのエリー
- 慕情
- ラッパとおじさん(Dear M.Y’s Boogie)
- メロディ(Melody)
- TSUNAMI
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脚注
注釈
- ^ ただし、野沢は当初はセミプロであることを理由に大森の誘いを断っており、「EastWest」が終了しデビューが決まったころに加入を決断している[6][7]。
- ^ 『Southern All Stars』収録の「GORILLA」には作詞:LINDA OMORIというクレジットがされている。
- ^ ただし、逮捕前の2004年に発売されたミュージック・ビデオ集『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』には6人時代の楽曲のPVやライブ映像も収録されている。
- ^ ただし、2005年のシングル及び2008年のアルバム再発時には、写真・クレジット共に発売当初のまま印刷されており、大森自身が作詞・作曲した楽曲もそのまま収録されている[21]。なお、2013年のSWITCHの特集ではレコーディングやライブなどの写真が大森が映らないよう編集されている一方で[20]、レコード・CDのジャケット写真に関しては問題なく掲載されている[22]。2015年に桑田のインタビューと編集部による各アルバムのレビューを掲載した『ROCKIN'ON JAPAN』では、『NUDE MAN』のレビューの中に大森が作詞・作曲した「猫」を再評価する文面が存在し[23]、大森が映っている『熱い胸さわぎ』『Young Love』のジャケット写真もそのまま掲載された[24]。
- ^ 2013年のSWITCHでの特集では「桑田、関口、原の三人が在籍していた青山学院大学の軽音サークル「Better Days」の学生バンドに松田と野沢が合流した」と書かれている[25]。一方でサザンオールスターズの公式サイトのバイオグラフィーの「1977~1972(夜明け前)」の項には大森に関する記述もなされている[26]。
- ^ この件は大森が自身のFacebookで指摘しており、アルバムがアミューズから送られて来たことも伝票の写真で報告している。J-CASTニュースの取材に対しアミューズは「企画アルバム」という性質もあるとしつつ、クレジット表記については「既発曲については作詞・作曲・編曲のみ」「新曲については作詞・作曲・編曲のほか、ゲストミュージシャンらの名前も表記」「バンドメンバーやスタッフについては現在、在籍している人のみ」という3つの決まりごとがあったことをコメントしている[21]。
- ^ サザンオールスターズ名義。
- ^ 関口和之がサウンド・プロデュースを担当。
- ^ 山梨県を中心に活躍する。
出典
関連項目
外部リンク
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桑田佳祐 (ボーカル・ギター) | 原由子 (キーボード・ボーカル) | 関口和之 (ベース) | 松田弘 (ドラム) | 野沢秀行 (パーカッション) 元メンバー : 大森隆志 (リードギター) |
シングル |
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オリジナル |
1970年代 |
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1980年代 |
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1990年代 |
90年 | |
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91年 | |
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92年 | |
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93年 | |
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95年 | |
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96年 | |
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97年 | |
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98年 | |
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99年 | |
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2000年代 |
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2010年代 |
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配信 |
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アルバム |
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楽曲 | |
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企画作品 | |
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ライブ | |
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出演 | |
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関連項目 | |
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