大原 重朝(おおはら しげとも)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。貴族院伯爵議員。幼名は常丸。
経歴
山城国京都で、大原重徳の三男として生まれ、兄・大原重実の養子となる[1][2]。万延元年(1860年)孝明天皇の児に就任し、文久2年3月(1862年)元服して重朝と改名し備後権介に任じられた[3]。慶応2年2月(1866年)左馬頭に就任[1]。同年8月、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控を命ぜられた[1]。慶応3年2月(1867年)赦免となる[1]。
慶応4年閏4月19日(1868年6月9日)参与・弁事に就任[4]。以後、権弁官事、弁官事、神楽御人数などを歴任[4]。1874年3月、宮内省九等出仕となる[1][3]。1877年9月、養父が死去し、同年10月30日、家督を継承[2]。1879年2月、外務省御用掛に就任した[1]。
1884年7月8日、子爵を叙爵[5]。1888年1月17日、父・重徳の勲功により伯爵に陞爵[6]。1890年7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、死去するまで在任した[7]。
栄典
系譜
脚注
- ^ a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』278頁。
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、321-322頁。
- ^ a b 『明治時代史大辞典 第一巻』368頁。
- ^ a b 『百官履歴 上巻』192頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『官報』第1363号、明治21年1月18日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』24頁。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
参考文献
- 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』下巻、新人物往来社、2010年。
- 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第一巻』吉川弘文館、2011年。
日本の爵位
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先代 陞爵
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伯爵 大原家初代 1888年 - 1918年
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次代 大原重明
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先代 叙爵
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子爵 大原家初代 1884年 - 1888年
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次代 陞爵
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