西郷 従徳(さいごう じゅうとく、1878年(明治11年)10月21日 - 1946年(昭和21年)2月6日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。貴族院議員、陸軍大佐、正二位勲二等功四級、侯爵[1]。
西郷従道の次男として生まれる。西郷隆盛の甥にあたる。1899年11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、陸軍少尉任官。最終階級は陸軍大佐。父の薨去により、1902年8月9日、西郷家を継ぎ侯爵を襲爵[2]。1904年、近衛歩兵第三連隊中隊長として日露戦争に向かい、鴨緑江会戦・遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦に参加した[3]。1923年、加藤友三郎内閣の陸軍軍縮に伴い退官、予備役に編入された[3]。墓所は多磨霊園。
資産家であり、東京府多額納税者(直接国税1万2000円余)に名を連ねたことがある[4]。
妻は岩倉具定の二女・豊子。6男4女がおり、長男は西郷従吾、以下、古河従純(古河財閥4代当主、長男古河潤之助は久邇宮朝融王娘婿)、西郷従竜(陸軍少佐)、西郷従宏(陸軍少佐)、黒木従達(東宮侍従長、黒木三次の養子)など。長女・道子は子爵稲葉直通(稲葉久通孫)の妻。