土屋 正忠(つちや まさただ、1942年(昭和17年)1月13日[2] - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。武蔵野市職員から同市議会議員を経て、武蔵野市長に就任(41歳)。64歳で国政に転出し、総務大臣政務官、総務副大臣などを歴任。衆議院では法務委員会理事、憲法審査会委員などを歴任。日本野鳥の会顧問を務める[3]。
来歴
生い立ち
幼くして父を亡くし、母とともに東京都区内から武蔵野市に転出。武蔵野市立第三小学校、武蔵野市立第三中学校、東京都立武蔵高等学校、早稲田大学法学部を卒業し、武蔵野市役所に就職。
武蔵野市役所では市職員労働組合の執行役員を務めたが、革新市政に疑問を抱くようになり退職し、武蔵野市議会議員選挙に立候補。1975年統一地方選挙で当選し、無所属保守系の武蔵野市議会議員として2期を務めた。
市長として
1983年、武蔵野市長選挙に自民党・新自由クラブ推薦で立候補。現職の藤元政信(日本社会党・日本共産党推薦)を僅差で制し初当選。2005年まで武蔵野市長を6期22年歴任。
1995年11月、武蔵野市コミュニティバス「ムーバス」を運行開始。コミュニティバスを初めて導入した人物である。
武蔵野市政のみならず、多摩地域全体の課題にも関わり、1990年代の日の出町ごみ処分場建設問題では、東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合長として建設を推進した。
またJR中央線連続立体交差事業推進協議会長として、三鷹駅 - 立川駅間の高架化事業に取り組んだ。1996年に東京都市長会長に就任。
国の審議会委員の経験も多く、文部科学省中央教育審議会臨時委員、国土交通省社会資本整備委員会委員などを歴任。
国政進出
2005年、第44回衆議院議員総選挙では、武蔵野市長を辞任し、鳩山邦夫が国替えで空席になっていた東京18区より立候補。小選挙区では落選するも比例復活で初当選。小泉チルドレンのなかで政治キャリアの最年長であり、83会の会長に就任。
2006年、第1次安倍内閣で総務大臣政務官(地方行財政、消防[4][5])に任命される。当時の総務大臣は菅義偉。
2009年、第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で菅直人に敗れ、比例復活も果たせず落選。浪人中、武蔵野大学講師などを務めた。
2012年、第46回衆議院議員総選挙では、土屋のほか、民主党公認の菅直人、神奈川11区から国替えした横粂勝仁(無所属)、日本維新の会、日本未来の党、日本共産党から6名の候補者が乱立するなか、小選挙区で当選。
衆議院議員復帰後は、政務調査会総務部会長などで活動する。
2014年、第47回衆議院議員総選挙では、再び小選挙区で当選(3選)。2015年総務副大臣(地方自治行政と消防、選挙、行政改革、公務員制度改革などの担当[6])に就任。
2016年9月から法務委員会理事、総務委員会委員、憲法審査会委員に就任。
2017年、第48回衆議院議員総選挙では、党内規である73歳比例定年制の対象者であるため比例重複はできず、小選挙区のみで立候補。民進党を離党し立憲民主党から立候補した菅直人と、希望の党公認で元テレビ東京記者の鴇田敦の三つ巴となるが、僅差で菅に敗北し落選。
選挙後、落選者の支援に注力する二階派に入会している[7]。
2021年、第49回衆議院議員総選挙には出馬せず東京18区の後任支部長となった長島昭久を支持した、長島は小選挙区では菅に敗れたが比例復活で当選した。
2024年10月10日、東京地裁は土屋らが松下に9億9千万円余りを請求するよう求めた住民訴訟を棄却[8]。
政策・主張
憲法
皇室
地方公務員給与改革「武蔵野ショック」
- 地方自治体の「ムダ遣い撲滅、組合役員のヤミ専従撲滅など、行政改革や定数削減」を推進した。土屋自身の「行政改革の原点は、1983年に全国の自治労と闘った4000万円の高額退職金引き下げ闘争」としている。[13] これにより武蔵野市の市職員の給与は、近隣自治体と同水準となり、「武蔵野ショック」という言葉が現代用語辞典に載ったこともある。[14][15]
- 武蔵野市職員の給与を削減する。当時、「4000万円もの退職金がもらえる公務員天国ぶりを批判し、支持を得た。市長となって、削減の方針を打ち出すと、市職労や自治労は全面的に反対。組合の総決起集会には、約2000人が集まったという。土屋は組合との交渉を重ね、1カ月後、退職金の1000万円引き下げに成功した。」とされている。[16]
外交・安全保障
歴史認識
政治制度
税制
経済
エネルギー政策
社会
教育
武蔵野市長時代の政策
- コミュニティバス「ムーバス」の運行などを実施[28]。
- 東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合長として、行政代執行にて日の出町ごみ処理場を建設[29]。
- 中央線連続立体交差事業推進協議会長として、中央線三鷹 - 立川高架化事業に取り組んだ(高架化は完成)。
- 一方で、強烈なカリスマで市職員を指揮し、市議会で野党と対立も辞さない姿勢から、しばし首長多選問題の象徴とされた[30]。
- 保険料方式による介護保険制度を、利用者のモラルハザードを招き介護予算の増大に歯止めが掛からなくなると強く主張し、国の介護保険制度反対を呼びかける書簡を全国の市長に郵送。また導入に賛成した菅直人厚生大臣と一対一の公開討論会を武蔵野市内で開催するなど反対運動を行った[31]。
不祥事・論争
交際費違法支出問題
土屋が武蔵野市長だった頃、元武蔵野市議のライブハウス営業開始の祝いや寺の住職の承継披露への祝い金など、交際費6件を違法に支出したとして、市民が7万5千円の返還を求めた住民訴訟で、最高裁は2006年、6件のうち3件の違法性を認定し、土屋に5万円の返還を命じた[32][33]。これにより土屋の敗訴が確定した[32]。土屋はブログで「最高裁判決は、市長の役割を十分理解していない問題のある一審・二審の判決をそのまま容認したものであり、誠に残念」とコメントした[34]。
『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』への推薦文
1994年『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』(自民党東京都支部連合会の広報部長・小粥義雄が執筆)への土屋が書いた推薦文が、『週刊東京政経通信』1994年5月5日号に掲載された。土屋の推薦文は「現場にいて、政治に青春をかけた著者は、ヒトラーの選挙戦略という刺激的な言葉を使って、国民に政治参加を呼びかけている。同感!青年よ、観客席からグランドへ」という内容であった。
詰め寄った民進党議員に暴言
国会で共謀罪の審議中に民進党議員が金田勝年法相に質問し、代理として答弁しようとした刑事局長の林眞琴を、さらに答弁は不要と金田が遮った。これに抗議して鈴木淳司委員長の席に集まった民進党議員に「テロ行為だ」と叫んだ。このヤジに撤回を求めた所、竹下亘国対委員長は「事実関係を確認する」と応えた。[35]
長崎市長による平和宣言を批判
長崎市の田上富久市長が、2014年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で読み上げた平和宣言で、集団的自衛権の行使容認に対する被爆者らの懸念に言及したことについて、自身のブログで「平和を維持するための政治的選択について語りたいなら、長崎市長を辞職して国政に出ることだ」と批判した[36]。これに対して田上長崎市長は、「今の長崎の思いをしっかり伝えられたかどうかが大切。平和宣言として伝えるべき内容だった」と強調した[36]。
所属していた団体・議員連盟
役職
家族 親族
著書
脚注
外部リンク
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- 荒井源吉(第1代 1947.11-1963.4)
- 後藤喜八郎(第2代 1963.5-1979.4)
- 藤元政信(第3代 1979.5-1983.4)
- 土屋正忠(第4代 1983.5-2005.8.29)
- 邑上守正(第5代 2005.10.9-2017.10.8)
- 松下玲子(第6代 2017.10.9-2023.11.30)
- 小美濃安弘(第7代 2023.12.24-)
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カテゴリ |
東京都市長会会長(1996年 - 1998年) |
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- 小林吉之助1955.6.10-1957.2.6
- 中嶋舜司1957.4.24-1959.4.30
- 荒井源吉1959.5.14-1963.4.30
- 植竹圓次1963.5.23-1965.5.13
- 桜井三男1965.5.14-1967.5.27
- 鈴木平三郎1967.5.28-1969.5.20
- 青山藤吉郎1969.5.21-1970.3.8
- 矢部隆治1970.3.9-1972.3.8
- 本多嘉一郎1972.3.9-1974.6.30
- 新藤元義1974.7.1-1976.6.30
- 大島宇一1976.7.1-1978.6.30
- 熊木令次1978.7.1-1980.6.30
- 後藤聰一1980.7.1-1983.7.31
- 木部正雄1983.8.1-1985.4.30
- 森直兄1985.5.1-1987.4.16
- 尾崎清太郎1987.5.1-1989.4.30
- 吉野和男1989.5.1-1996.4.30
- 土屋正忠1996.5.1-1998.4.30
- 臼井千秋1998.5.1-1999.4.30
- 波多野重雄1999.5.1-2000.1.28
- 青木久2000.2.25-2002.4.30
- 寺田和雄2002.5.1-2004.4.30
- 石川良一2004.5.1-2006.4.30
- 細渕一男2006.5.1-2007.4.30
- 尾又正則2007.5.1-2008.4.30
- 黒須隆一2008.5.1-2010.4.30
- 北川穣一2010.5.1-2012.4.30
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- 渡部尚2023.5.1-
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