円行(えんぎょう)は、神奈川県藤沢市にある地名。現行行政地名は円行一丁目及び円行二丁目と大字円行。住居表示はいずれも未実施区域[6]。
地理
藤沢市の北部に位置する。地域の中心を引地川が縦断する。引地川下流にある石川・大庭と同じく引地川が相模野台地を削って出来た谷戸地形が中心である。
藤沢市北部の工業地帯である桐原工業団地・いすゞ自動車藤沢工場と、市街地・住宅地帯である湘南台の間に位置し、西部は準工業地帯、東部は湘南台から連続した住宅地・市街地として発展しつつある。
歴史的な円行地域は現在の湘南台の西部を含むため、円行公園や円行八幡宮などの円行の名がつく施設であっても住所が湘南台である。その一方、湘南台が藤沢市北部の中心として発展しているため、住所は円行であっても湘南台の名をつける施設が多くある[注 1]。
河川
- 引地川 - かつて当地を流れる領域は円行川と呼ばれた[7]。
地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、円行字滝之沢826番16の地点で17万7000円/m2となっている[9]。
歴史
全域が相模国高座郡に属す。平安時代末期頃から鎌倉時代初期頃に成立した渋谷荘に属し、渋谷氏の支配を受けていたと考えられている。
南北朝時代に小字梅田(現:湘南台4丁目、梅田稲荷がある)の地に円行寺が建立されこの地の由来となったという[10]。円行寺は現在座間市にある円教寺であるという。
豊臣秀吉による小田原征伐の際、制札に「シホヤノ庄圓行郷」との表記が見える[7]。
『新編相模国風土記稿』には「圓行村」として記されている。当時の領主は大久保忠保、地頭は石川大膳ら[7]。
廃藩置県後は周辺の5村と合併し六会村となる。藤沢市に合併後、藤沢市の北部第一区画整理事業[11]により引地川東岸が湘南台として分離する一方、北部第二(一地区)土地区画整理事業[12]によって区画整理され、1丁目・2丁目が成立した。また桐原工業団地の成立時に西の一部が桐原町として分離している。
地名の由来
かつてこの地にあった円行寺の名から[10]。
沿革
町名・地名の変遷
実施後
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実施年月日
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実施前(各地名ともその一部)
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円行
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住居表示未実施
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円行
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円行1丁目
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1994年9月23日
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円行2丁目
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桐原町
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1966年10月29日
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石川および円行
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湘南台2丁目
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1984年
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円行
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湘南台3丁目
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世帯数と人口
2023年(令和5年)9月1日現在(藤沢市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字・丁目 |
世帯数 |
人口
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円行
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1,011世帯
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2,168人
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円行一丁目
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1,140世帯
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2,514人
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円行二丁目
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1,365世帯
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2,723人
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計
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3,516世帯
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7,405人
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人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[21]。
大字・丁目 |
事業所数 |
従業員数
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円行
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19事業所
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328人
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円行一丁目
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42事業所
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841人
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円行二丁目
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80事業所
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1,558人
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計
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141事業所
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2,727人
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事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
交通
鉄道
バス
道路
橋梁
施設
公共施設
教育機関
スーパー・大型商業施設
史跡
関連項目
その他
日本郵便
脚注
注釈
- ^ ケイヨーデイツー湘南台店、ノジマ湘南台店、イエローハット湘南台店、等。
- ^ 曹洞宗寺院。正保元年建立[7]。明治初期に廃寺。相模国準四国八十八ヶ所の札所46番。大師像は亀井野の雲昌寺にある[26]。
出典
外部リンク