辻堂地区(つじどう)は、神奈川県藤沢市の南西部に位置する地区。
地理
西は茅ヶ崎市境と接している。東端には引地川があり、北西部は国道1号と接し、南側は海で海水浴場(辻堂海岸)がある。
- 現在の中心は東海道本線の辻堂駅で、北口と南口と西口とで分かれており、北口は藤沢市の湘南ライフタウン方面、南口は辻堂海岸方面、西口は茅ヶ崎市の松浪・赤羽根方面に位置している。
- 藤沢市の行政上、辻堂地区は、以下の地域としている。
- 大字としての辻堂には、辻堂地区のほか、以下の明治地区が含まれる。
- 辻堂神台一丁目、同二丁目の一部
- 辻堂新町一丁目-三丁目の一部および四丁目
- 城南一丁目の一部
- 羽鳥一丁目および五丁目の一部
河川
海洋
歴史
地名の由来
村の中心(現在の辻堂元町)に、鎌倉道との十字路に寺があり、「四ッ辻のお堂」から転じて辻堂となったといわれる。十字路の場所は、諸説ある。
沿革
町名の変遷
- 1873年(明治6年)5月1日 - 以下の小字が制定される。括弧内は地番。
- 餅塚(1-362)、西神台(にしかんだい。363-517)、東神台(ひがしかんだい。518-818)、初タラ(はったら。819-1164)、堺田(1165-1339)、熊ノ森(1347-1812)、土打(1813-2416)、後山(2417-2881)、一ノ坪(2882-3520)、ガル池(3521-3834)、高山(3835-4350)、猪王面(4351-4529)、大荒久(4530-4960)、長久保(4961-5167)、堂面(どうめん。5168-5542)、出口(5543-5787)、久根下(くねじた。5788-6087)、砂場(6088-6397)、高砂(たかすな。6398-6768)、勘久(かんきゅう。6769-6951)、砂山(6952-6957)、弥平田(6958-7130)、大ヤゲン(7131-7234)、浜見山(7235-7264)、チョン(7265-7338)、地蔵袋(7389-7459)
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 辻堂元町、辻堂太平台、 辻堂東海岸および辻堂西海岸の住居表示を実施[12]
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 辻堂神台、辻堂新町、城南および羽鳥の住居表示を実施[13]
- 1999年(平成11年)7月18日 - 辻堂の住居表示を実施[14]
- 変遷表は、各町名記事を参照。
学校
幼稚園
名所・旧跡・観光スポット・祭事・その他
楽曲
居住した主な著名人
脚注
- ^ とかみ、又は、となみ
- ^ 古代より平坦な砂地で、鎌倉時代に弓の練習場として八つの的が置かれたことから。
- ^ 低い丘や芝原に松が多く、「八的」が後に「八松」と書かれるようになったといわれる。
- ^ 酒匂川のことではないかといわれている。
- ^ 相模川を渡りぬれば、懷島に入りて砥上の原に出づ。南の浦を見やれば、波の綾、織りはへて白き色をあらふ。北の原を望めば、草の緑、染めなして淺黄をさらせり。中に八松とふ處あり。八千歳の蔭に立寄りて十八公の榮を感ず。
- ^ 具体的には、以下の記載である。
御馬廻衆
(中略)
一、関兵部丞(読み:せきひょうぶのじょう)
五拾弐貫四百拾弐文 東郡 羽鳥 辻堂
- ^ 同日、太政官布告
- ^ 同日、建設省告示第1207号。
- ^ 昭和30年3月19日、郵政省告示第330号。
- ^ 昭和30年3月3日、日本電信電話公社公示第39号。
- ^ 昭和44年11月10日、日本電信電話公社公示第97号。
- ^ 同年12月18日、自治省告示第184号。
- ^ 同年11月9日、自治省告示第211号。
- ^ 同年9月14日、自治省告示第199号。
関連項目