共王[1](きょうおう)は、西周時代の周の王。姓は姫、諱は繄扈[2]。
周の穆王の子として生まれた。穆王が死去すると、共王が周王として即位した[3]。
共王が涇水のほとりを遊行したとき、密の康公が王に従った。康公は土地の者に3人の娘を献上された。康公の母は娘たちを王に献上するよう康公に言ったが、康公は献上しなかった。1年後、共王は密を滅ぼした[3]。
金文では「十五年趞曹鼎」によって共王の実在が確認できる[4]。
共王が死去すると、子の懿王が周王として即位した[3]。
脚注
- ^ 『史記』周本紀による。同書三代世表は恭王とする。
- ^ 『史記』周本紀による。同書三代世表によると、諱は伊扈。『史記索隠』周本紀所引『世本』も諱を伊扈とする。
- ^ a b c 『史記』周本紀
- ^ 佐藤(2016)p.107
参考文献