交響曲第9番 ホ短調 作品95, B. 178 は、アントニン・ドヴォルザーク が1893年 に作曲した交響曲 であり、ドヴォルザークが作曲した最後の交響曲である。一般に『新世界より 』(または『新世界から 』、英語 : From the New World 、ドイツ語 : Aus der neuen Welt 、チェコ語 : Z nového světa )の愛称で親しまれており、かつては出版順により『交響曲第5番 』と呼ばれていた。
概要
ドヴォルザークによる自筆スコアの表紙
ドヴォルザークは1892年に、ニューヨーク にあるナショナル・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージック・オブ・アメリカ(ナショナル音楽院)の院長に招かれ、1895年 4月までその職にあった。この3年間の在米中に、彼の後期の重要な作品が少なからず書かれており、「作品95」から「作品106」までがそれである。
この作品は『弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調《アメリカ》 』(作品96, B. 179)、『チェロ協奏曲 ロ短調 』(作品104, B. 191)と並んで、ドヴォルザークのアメリカ時代を代表する作品である。ドヴォルザークのほかの作品と比べても際立って親しみやすさにあふれるこの作品は、旋律が歌に編曲されたり、BGMとしてよく用いられたりと、クラシック音楽有数の人気曲となっている。オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーのひとつでもあり、日本においてはベートーヴェン の『交響曲第5番 ハ短調《運命》 』、シューベルト の『交響曲第7番(旧第8番)ロ短調《未完成》 』と並んで「3大交響曲」と呼ばれることもある。
愛称の由来
『新世界より 』という副題は、「新世界 」のアメリカ から故郷ボヘミア へ向けてのメッセージ、といった意味がある。全般的にはボヘミアの音楽の語法により、これをヨハネス・ブラームス の作品の研究や『第7番 ニ短調 』(作品70, B. 141)、『第8番 ト長調 』(作品88, B. 163)の作曲によって培われた西欧 式の古典的交響曲のスタイルに昇華させている。
作曲の経緯と初演
上述のようにこの曲は、ドヴォルザークのアメリカ 滞在中(1892年 ~1895年 )に作曲された。アメリカの黒人 の音楽が故郷ボヘミア の音楽に似ていることに刺激を受け、「新世界から」故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われている。こうしたことから「アメリカの黒人やインディアン の民族音楽の旋律を多く主題に借りている」と解説されることがしばしばあり、後述するように既存のアメリカ民族音楽とこの曲の主題との間に類似性がみられるという指摘もある。しかし、ドヴォルザークは友人の指揮者オスカル・ネドバル 宛ての書簡に
「私がインディアンやアメリカの主題を使ったというのはナンセンスです。嘘です。私はただ、これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたのです」
と記しており、既存の素材からの直接的な引用については明確に否定している。
初演は1893年 12月16日 、ニューヨーク のカーネギー・ホール にて、アントン・ザイドル 指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック協会管弦楽団 による。初演は大成功だったと伝えられている。
楽譜は、初演前日の1893年 12月15日 に [要出典 ] [ 注釈 1] ドイツ のジムロック 社から出版された。出版に際し、アメリカにいるドヴォルザークが校正を行うことは地理的距離のゆえに困難であったため、ブラームス をはじめとする在欧の校正者が代役を務めた。このことはすなわちドヴォルザーク本人のチェックを経ずに出版されたことを意味しており、結果として内容に多くの疑問点が残るものとなっている。このときにアメリカからドイツに送られ出版原稿として用いられた総譜 の写しが行方不明のため参照できないことも相俟って、それらの疑問点をめぐるさまざまな論考や解釈が存在し、ドヴォルザークの真意がどのようなものであったかについては議論が絶えない[ 2] 。2022年現在、自筆総譜や初版楽譜など現存する各種の資料を比較検討し、解釈に反映した楽譜が複数出版されている。
日本初演は1920年 12月29日 、東京の帝国劇場 において、山田耕筰 指揮、日本楽劇協会 によって行われた。
楽器編成
持ち替えは一部で存在するものの、全体としては伝統的な2管編成に近い。楽器の用いられ方についてしばしば議論される箇所があるほか、逸話も多数存在する。
フルート 2(ピッコロ 持ち替え 1)、オーボエ 2、イングリッシュホルン 1、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、トロンボーン 3、チューバ 1、ティンパニ 、トライアングル 、シンバル 、弦五部 (第1ヴァイオリン 、第2ヴァイオリン、ヴィオラ 、チェロ 、コントラバス )
編成に関する特記事項
フルート、ピッコロ
第1楽章に4小節間だけ用いられているピッコロについて、自筆総譜ではフルート第1奏者が持ち替えて演奏するよう指定されている[ 2] 。一方、初演の際に用いられた手書きパート譜[ 3] やそれ以降の出版譜は、オーケストラの一般的な慣習に従い、第2奏者が持ち替えて演奏するように編集されている。
第1楽章の再現部では、第1奏者を休みとして第2奏者が(ピッコロではなくフルートで)ソロを演奏するように指定されているが、理由は不明である。
イングリッシュホルン
イングリッシュホルンは第2楽章にのみ用いられ、有名な長いソロを含めて3回登場するが、このパートをどのように(2名のオーボエ奏者のうちどちらかが持ち替えて、または別の奏者を用意して3名体制で)演奏するべきかについては複数の見解がある。自筆総譜では、楽章冒頭の楽器一覧にはイングリッシュホルンが挙げられておらず、実際の音符はオーボエの段に書かれている。そこに奏者の指定などがないことから、この点についてのドヴォルザークの意図は不明とされる[ 2] 。初版パート譜では、オーケストラの一般的な慣習に従い、オーボエ第2奏者が持ち替えて演奏するようになっている[ 4] 。しかし、楽器の持ち替えのための休みが1小節未満ときわめて短い箇所があることから、イングリッシュホルンを(持ち替えではなく)独立したパートとして扱う楽譜も存在する。実際、初演の際に用いられた手書きパート譜ではイングリッシュホルンが独立している[ 5] ほか、チェコスロバキア 国立文学音楽美術出版社[ 6] によるドヴォルザーク全集版(オタカル・ショウレク校訂、1955年)をはじめとする後出の批判校訂版[ 注釈 2] は、総じてイングリッシュホルンのパートを独立させている。
チューバ
チューバの使用箇所は第2楽章のコラール 部分のみ、合計10小節にも満たない。しかもバス・トロンボーン (第3トロンボーン)と全く同じ音(ユニゾン )である[ 注釈 3] 。これについては、初演時のオーケストラで第3トロンボーン奏者がバス・トロンボーンを用いていなかった(代わりにテナー・トロンボーン を用いた)ための代替措置に起因するという説がある [要出典 ] 。
シンバル
この曲の中で、シンバルは全曲を通して第4楽章の一打ちだけであることがよく話題となるが、奏者についてはトライアングル(第3楽章のみ)の奏者が兼ねることが可能である。この一打ちが弱音であるためか、「寝過ごした」「楽器を落として舞台上を転がした」などのエピソードが存在する(倉本聰 はかつてフランキー堺 主演で、この一打を受け持つ奏者の心理を描いた短編TVドラマを書いている[ 7] )。実際クラシック初心者にとってシンバルの音はなくても気付かない、あるいはどこで鳴ったのかわからない等と言われることもある。
曲の構成
全4楽章、演奏時間は第1楽章提示部の繰り返しを含めて約45分(ただし、第2楽章のテンポ設定によっては、この繰り返しせずに45分を超える場合があり、実際にそのような録音も存在する)。アメリカの音楽の精神を取り入れながらも、構成はあくまでも古典的な交響曲の形式に則っており、第1楽章で提示される第1主題が他の全楽章でも使用され、全体の統一を図っていることが特筆される。
第1楽章 アダージョ - アレグロ ・モルト
ホ短調 、8分の4拍子 - 4分の2拍子、序奏付きソナタ形式 (提示部の反復指定あり)。
序奏部は弦楽器の旋律によって始まる。クラリネット やホルン の信号的な動機に続き、木管楽器に冒頭の旋律が戻ってくると、突如として荒々しく低弦とティンパニ 、クラリネットが咆哮する。盛り上がった後一旦静まり、アレグロ・モルトの主部に入る。
第1主題は10度にわたるホ短調の分散和音を駆け上がる動機と、これに木管楽器が応える動機からなっている。第1主題前半の動機はその後の楽章にも度々現れ、全曲の統一感を出す役割を果たしている。弦楽器が一気に盛り上げ、トランペット のファンファーレ と共にこの主題が確保される。次いでフルート とオーボエ によるト短調 の第2主題が提示される[ 8] 。これは半音の導音を伴わない全音での自然的短音階 であり、黒人霊歌 を思わせる旋律となっている。続いてフルートにト長調 で歌謡的な小結尾主題[ 8] が出る(こちらを展開部や後の楽章での再現、調性等の観点から、第2主題と捉える解釈もある[ 8] )。これは黒人霊歌『静かに揺れよ、幌馬車(Swing low Sweet Chariot )』に似ているという指摘もあるが、これに対してはアメリカ民謡借用説の例にひかれ、全体もそのように書かれているような印象が広まってしまったものであり、そのように解釈するのは不適切であるという見解もある。また、この主題は提示部と再現部で一か所だけ付点音符の有無によるリズムの違いがあり、指揮者の解釈によって処理が異なる場合がある。この主題が弦楽器に受け継がれて高潮し、提示部が終わる。提示部は反復指定があるが、ドヴォルザークの他の交響曲同様、繰り返されないことも多々ある。
展開部では第1主題と小結尾主題の2つの主題が巧みに処理される。再現部では第1主題が途中で遮られ、その後の主題は半音上がった調で再現される。調の変化で主題をより劇的にする巧みな主題操作が見て取れる。小結尾の主題に第1主題が戦闘的に加わるとコーダ に入る。幾分不協和なクライマックスを迎えた後、トランペットのファンファーレに続き、短調のまま強烈なトゥッティ で楽章を閉じる。
演奏時間は10~13分程度(提示部の繰り返しを省くと8~10分程度)。
第2楽章 ラルゴ
変ニ長調 、4分の4拍子、複合三部形式 。
変ニ長調は作品全体の主調であるホ短調からは遠隔調 に相当する。このため、この楽章は前後の楽章との対比から独特の浮遊感がある。イングリッシュホルンによる主部の主題は非常に有名であり、ドヴォルザークの死後にさまざまな歌詞をつけて『家路』『遠き山に日は落ちて』など の愛唱歌に編曲された。
中間部は同主調(異名同音 で)の嬰ハ短調 に転じる。クライマックスでは第1楽章第1主題の動機が加わる。冒頭の主題が再現された後、静かなコーダが続いて終わる。よくインディアン民謡からの借用と誤解されもしたが、これは紛れも無いドヴォルザークのオリジナルである。
演奏時間は10~13分程度であるが、レナード・バーンスタイン 指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 の演奏のように18分を超えるものもある。
第3楽章 モルト ・ヴィヴァーチェ
ホ短調、4分の3拍子、複合三部形式 (A-B-A-C-A-B-A-コーダ の形で、2つのトリオ を持つ)。
楽譜には記されていないがスケルツォ の楽章であり、この楽章のみトライアングル が使用される。1つ目のトリオは同主調のホ長調 で、民謡風のものである。2つ目のトリオに入る直前には、転調のために第1楽章の第1主題の動機を利用した経過句がある。2つ目のトリオはハ長調 で、西欧風の主題である。コーダにおいても第1楽章第1主題が4分の3拍子に形を変えて現れる。コーダでは、第1楽章から2つの主題が回想される。
演奏時間は7~9分程度。
第4楽章 アレグロ・コン・フォーコ
ホ短調、4分の4拍子、序奏付きソナタ形式。
大きく2つの主題を持つが、それまでの楽章で扱われてきた主題も姿を見せる、統括的なフィナーレである。緊迫した半音階の序奏が一気に盛り上がり、ホルンとトランペットによる第1主題を導く。第2主題が現れる前に激烈な経過部が有る。この経過部の後半(演奏開始から1分55秒後ほど)に、全曲を通じてただ1度だけのシンバル が打たれる(弱音なのであまり目立たない)が、ドヴォルザークがこれをサンドしたことについてはまだ謎が多い。第2主題は、クラリネット (A管)とフルート 、およびチェロ を主体にした柔和な旋律である。そして、ヴァイオリン などが加わると盛り上がって小結尾になる。第1主題の動機も加えたあと静まり、展開部に入る。
小結尾で現れたフルートのトリルが多い動機に続き、第1主題の断片と経過部主題が続く。第2楽章の主題が印象的に回想され、第1楽章第1主題の回想に続いて、この楽章の第1主題が激烈に再現する。静まった後第2主題が再現し、気分が落ち着いたものとなる。それまでの主題の回想はなおも続き、今度は第1楽章小結尾主題と第1主題が現れ、終結に向かってゆく。
第1主題と経過部主題が同時に再現し、しばらく展開した後に第2楽章の序奏が壮大に回想され、静まった後に第2楽章の主題と第3楽章の主題が同時に再現する。そしてコーダに入り、ホルンによる導入の後で弦と木管が壮大に第1主題を奏でるとホ長調 に転じ、金管楽器が第4楽章と第1楽章のそれぞれの第1主題を合体させ、テンポをアレグロ・コン・フォーコに戻して終結する。最後の和音 はトゥッティで奏されるも弦楽器は音を短く切り、管楽器だけがフェルマータ で伸ばされつつディミヌエンド しながら で消え入る(指揮者のレオポルド・ストコフスキー はこの部分を「新大陸 に血 のように赤い夕日 が沈む」と評しており、この言葉は彼がピアノ を弾きながら曲のアナリーゼ をするレコードに肉声が遺されている)。
友人に宛てた書簡の通りドヴォルザーク本人は直接の引用について否定しているものの、米国民謡「ヤンキードゥードゥル 」(「アルプス一万尺」のメロディに同じ)の改変したものの使用を指摘する文献等は散見する[ 注釈 4] 。映画『ジョーズ 』の音楽がこの第4楽章序奏との類似点をよく言及されている[ 10] 。
演奏時間は10~12分程度。
後世における使用
脚注
注釈
^ 最初の出版は1894年初頭とする資料もある[ 1] 。
^ 1955年全集版の後継にあたるスプラフォン社新版(編者出版年不詳)の日本版リプリント(ジェスク音楽文化振興会、1988年)、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル 社版(クリスティアン・ルドルフ・リーデル校訂、1990年)、ベーレンライター出版社 版(ジョナサン・デル・マー校訂、2019年)を参照した。
^ 自筆総譜にはチューバのパートはなく、楽章冒頭のバストロンボーンの段の近くに“Bass × Tuba”と作曲者による鉛筆書きで記されているのみである[ 2] 。
^ 例えばオックスフォード大学出版局 『The Concise Oxford Dictionary of Music』第5版(2007年)における「Yankee Doodle」の解説は「It is used, altered, in theme in finale of Dvořák's New World Sym.」(ドヴォルザーク新世界交響曲のフィナーレの主題において改変して使用されている)と記述されている[ 9] 。
出典
外部リンク