第二次世界大戦が勃発した時、ペニアコフはイギリス空軍およびイギリス海軍に志願しているが拒否されている。イギリス陸軍もまた消極的だったものの、この「中年で太り気味で頑固な中年のベルギー人」からの強い志願に折れる形で彼を採用した。その後、彼はリビア・アラブ軍(Libyan Arab Force, LAF)に駐屯地付アラビア語通訳官として派遣されたもののこの職に満足せず、リビア・アラブ軍コマンド(Libyan Arab Force Commando, LAFC)なる部隊をほぼ独断で設立した。LAFCはイギリス人およびリビア人の将兵によって構成され、キレナイカのアフダル山地を中心に活動した[5]。
1942年半ば、留守中にLAFCが解散された事を知ったペニアコフはカイロに戻ったが、LAFCの作戦を引き継いだLRDGから襲撃作戦への参加を打診された。LRDG隊員として従軍中、イタリア軍からの狙撃を受けて左手の小指を失うが、MCを受章している。その後、彼はポプスキー私兵団の編成に着手したのである。総兵力は士官・兵下士官あわせてわずか23名で、当時の英陸軍の独立部隊のうち最も小規模だった[1]。創設時の将校はペニアコフ、ロバート・パーク・ヤニー(Robert Park Yunnie)、ジーン・カネリー(Jean Caneri)の3名のみで、彼らはLAF勤務時に知り合った友人同士だった。
ロバート・パーク・ヤニー大尉 MC - ペニアコフの副官、B哨戒班長(Captain Robert Park Yunnie MC, Popski's second in command, leader of "B" patrol)
Yunnie, Park (1959). Warriors on Wheels. Hutchinson
--- Fighting with Popski's Private Army. Greenhill Books, 2002. ISBN 1-85367-500-8.
ベン・オーウェン伍長 - ヤニー大尉付の銃手(Corporal Ben Owen, Yunnie's gunner)
Owen, Ben (1993). With Popski's Private Army. Janus Publishing
--- Astrolabe Publishing, 2006. Available from the Friends of Popski's Private Army.
ジョン・ウィレット中佐 - 第8軍情報将校、ペニアコフの友人(Lieutenant-Colonel John Willett, friend of Popski, intelligence officer in 8th Army)
Willett, John (1954). Popski, a life of Vladimir Peniakoff. MacGibbon and Kee
レス・ホワイト信号兵 - S哨戒班付信号手(Signalman Les White, signaller in "S" Patrol)
White, Les (2004). From the Workhouse to Vienna. Cassell Military Paperbacks. ISBN0-304-36143-7
ジョン・キャンベル大尉 - S哨戒班長(Captain John Campbell, leader of "S" Patrol)
Rayment, Sean (2013). Tales from the Special Forces Club. Collins. ISBN978-0-00745-253-8
外部リンク
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