ブロードアピール(Broad Appeal、1994年4月13日 - 2021年9月8日)は日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。小さなストライド(歩幅)から繰り出す直線一気の強烈な追い込み戦法で、地方交流含む短距離のGⅢ級競走6勝を挙げた。福岡市にあるブロードアピールは全く関係がない。
馬名の由来は、父名の一部+母父名の一部。
来歴
デビューが大きく遅れた同馬は5歳(現4歳)の秋になった1998年9月12日、4歳上500万下(札幌・芝1200メートル)のレースで初出走し、8番人気という低評価ながら3着と好走する。続いて連闘で4歳上500万下(札幌・ダート1000メートル)のレースに挑むと、評価を2番人気にまで上げ、2着とハナ差の接戦を制し初勝利を挙げる。次走こそ敗北したが芝コースの500万下から900万下の芝のレースを4連勝し、初重賞京都牝馬特別で3着という成績を残し、芝の適性を証明することとなった。一方で、これらは後年ダート路線で活躍することとなる当馬の路線転向が遅れた要因の一つにもなっている。
その後も芝コースの重賞で好走を続け、初勝利戦以来ダート戦を使うことはなく、第5回シルクロードステークスで重賞初勝利をあげたが、このレースが芝での最後の勝利となった。
高松宮記念8着、マイラーズカップ12着と惨敗を喫した後、2000年5月14日初勝利戦以来のダート戦となるオープン特別の栗東ステークス(ダート1200メートル)に出走すると、牡馬を含めても最高斤量(57キログラム)でしかも6番人気という低評価でもあったにもかかわらず鋭い追い込みでエイシンサンルイス、サウスヴィグラスらを破ってレコード勝ちを収めた。しかしこの時点で陣営はダート路線への転換をせず、函館スプリントステークス、キーンランドカップ(当時はオープン特別)、スプリンターズステークス、スワンステークスと4戦続けて芝のレースを使い続けたがいずれも勝利を収めることは出来なかった。なお、スプリンターズステークスではダイタクヤマトの4着という成績を残している。
転機となった根岸ステークス
ブロードアピールの転機ともいえるのが、3戦目のダート戦となった第14回根岸ステークスである。デビュー以来ダート戦では2戦2勝であったが、芝のレースを重点的に使われそれなりの成績を残していた。しかしながら前述の栗東ステークスでのレコード勝ちという実績もあり1番人気に支持されることとなった。鞍上にシルクロードステークスで騎乗した武幸四郎を起用してのレースは最後方からのスタートとなり、先頭が残り400メートルの標識を通過する直前まで最後方に位置していたが、そこから後に鬼脚と呼ばれる末脚を見せる。直線だけで7馬身以上離れ、更に残り200メートル標識通過時点で5馬身ほど離れた先頭を差し切り、逆に2着のエイシンサンルイスに1 1/4差をつけて重賞2勝目を飾った。
記録の残る1984年から当レース以前までに、ダートの良馬場1200mで上がり3ハロンを34秒台で勝った馬は3頭しかいないばかりか34秒8が最速であったため、ブロードアピールの34秒3はそれらを大きく上回る記録であった[2]。その後、当レースから2021年11月12日までの期間で上がり3ハロン34秒3以上を記録したのは、2002年ガーネットステークスでブロードアピールが再び記録した34秒3と、シルクフォーチュンの34秒1(2010年 出石特別)のみである[2]。
このときのレースがあまりにも衝撃的であったためか、JRAにおける2007年の年間キャンペーン「FEEL LIVE」の特設サイトで行われた「FEEL LIVE ベストテン」と称するレース投票企画では、用意されている20候補のなかにブロードアピールが勝利を収めた第14回根岸ステークスも含まれている。
この勝利以降もダート短距離のレースを走り続け、2001年のプロキオンステークスを制した際には、鞍上のケント・デザーモが「飛んでいるようだった」とコメントを残した[3]。8歳になった2002年の年明けにはガーネットステークスを勝利する。JRAで8歳牝馬が平地重賞を勝ったのはこの馬が初めてである(交流重賞では後に牝馬のメイショウバトラーが平地重賞マリーンカップを8歳、9歳時に連覇している)。そしてその年のドバイゴールデンシャヒーンにも参戦し、5着という戦績を残して引退した。GII以上での最高着順は第1回JBCスプリントでの2着。
ダートのレースでの安定感は抜群であった。引退レースとなった前述のドバイゴールデンシャヒーンでの5着を除いたダート戦においては全て3着以内を確保しており、日本国内でのダート戦では全て3着以内を確保しているが、その内訳も1着7回・2着2回・3着2回と勝率にして63%・連対率にして81%にもなる。直線での末脚に賭ける追い込み馬は、その末脚が不発だと大敗を喫するケースがあることを考慮に入れると、この数値は優秀である。
ブロードアピールは短距離路線を中心に使われ、1600メートルを超えるレースには一度も出走していない。ダート戦に限定すると全て1400メートル以下のレースに出走している。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[4]。
特徴・評価
- 放牧中の牝馬は一般的に上下関係のある群れで過ごすことが多いが、ブロードアピールは群れから離れて1頭で過ごすことが多かった[5]。
繁殖入り後
引退後はノーザンファーム、のちに坂東牧場で繁殖牝馬として繋養された。直仔からこれといった産駒は出なかったが、4番仔ミスアンコールが日本ダービー優勝馬ワグネリアンを産んだ[6]。またミスアンコールの孫世代からは小倉記念勝ち馬のマリアエレーナが出ている。
2019年をもって繁殖牝馬を引退し、ヴェルサイユリゾートファームにて余生を送っていた。翌2020年に引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となった。
2021年9月8日、前日(7日)の昼ごろより体調を崩し、一度回復したものの8日早朝に容体が急変し、老衰で死去したとTwitterのヴェルサイユリゾートファームアカウントから公表された[7]。享年27歳[7]。同日、門別競馬場で行われた9Rに産駒のビービーミューズが出走し優勝。母に捧げる大きな勝利となった[8]。
繁殖成績
血統表
出典
外部リンク