パレマルシェ

株式会社パレ
Pare Corporation
パレ本社が当時入居していた名鉄神宮前駅西ビル。パレマルシェ神宮(2021年6月閉店)と併設されていた。
パレ本社が当時入居していた名鉄神宮前駅西ビル。パレマルシェ神宮(2021年6月閉店)と併設されていた。
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
456-8580
愛知県名古屋市熱田区神宮三丁目6-34
名鉄神宮前駅西ビル7階
設立 2004年平成16年)6月
業種 小売業
事業内容 スーパーマーケットチェーン
代表者 東山和典(代表取締役社長
資本金 5700万円(2008年(平成20年)3月31日
売上高 336.87億円(2007年(平成19年)8月期)
従業員数 425名
決算期 8月
主要株主 オークワ
特記事項:データは2012年(平成24年)2月21日までのもの。
2012年(平成24年)2月22日に株式会社オークワに吸収合併されて法人としては消滅。
テンプレートを表示

パレマルシェ英称:Pare Marche)は、名古屋鉄道系のスーパーマーケットをルーツとするチェーンストアである。

店名の「パレ」は、フランス語paré(着飾った、優雅な)に由来し、1992年平成4年)3月1日に社名を「株式会社名鉄パレ」に変更していた[1]

フェニックス・キャピタル株式会社の企業再生ファンドが過半数の株式を取得したほか[2]、名古屋鉄道と三井物産が出資した「株式会社パレ」に[3]2005年(平成17年)9月1日付で営業譲渡して新会社へ事業を引き継ぎ[4]、それに伴って店名も「パレマルシェ」へ変更された[5]

2008年平成20年)6月30日付でオークワ(本社:和歌山県和歌山市)が発行済みの株式の99.4%を取得し、同日付でオークワから会長と社長が就任して傘下に入った[3]2012年(平成24年)2月21日にオークワに吸収合併されたが[6]、店舗名は「パレマルシェ」として営業を続けることになった[7]

概要

もとは名古屋鉄道(名鉄)系列の事業であり、名鉄の駅周辺に立地する店舗が多い。スーパーマーケット型の店舗と百貨店型の店舗があるものの、このうち百貨店型の店舗(オークワに合併された時点では神宮・西春・西尾の3店舗)はすべて閉店済みである。

歴史

名古屋ショッピ

1959年昭和34年)2月に名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設したのが始まりである[8]

1960年(昭和35年)9月7日には名古屋ショッピを設立し[9]、1961年(昭和36年)4月に名古屋市千種区の名古屋市営地下鉄池下駅東口に建設された日本住宅公団の団地内にスーパーマーケットの池下店を開設した[8]。 先述した鳴海スーパーマーケットは池下店の開設と同時に名古屋ショッピに移管された[8]

名古屋ショッピは1962年(昭和37年)7月に名古屋市緑区の住宅公団鳴子団地内に鳴子店を開店したのを皮切りに、岩倉団地の岩倉店や平針団地の平針店、知立団地の知立店など団地型スーパーの出店を進めて行った[8]

また、1962年(昭和37年)4月に二ツ杁駅に二ツ杁店を出店したのを皮切りに、同年12月に笠寺駅に笠寺店、1963年(昭和38年)3月に国府宮駅に国府宮店、同年5月に柏森駅に柏森店と母体となった名古屋鉄道の駅への多店化も進められた[8]

岐阜ストアー・多治見ストアー

岐阜市にあった丸宮百貨店を買収して[10]1962年(昭和37年)11月に名古屋鉄道と名鉄百貨店新岐阜百貨店の共同出資により資本金3000万円で株式会社岐阜ストアーを設立し[8]、12月に岐阜店を開設したのが始まりである[10]

1963年(昭和38年)10月に大垣駅前に大垣店を開店したのを皮切りに多店化を進め、同年11月には美濃太田店も開設している[8]

この他にも、1964年(昭和39年)6月に株式会社多治見ストアーを設立し、多治見市本町にあった主婦の店多治見店の営業を継承して岐阜県内でスーパーマーケット事業を展開した[8]

名鉄ストアー

1965年(昭和40年)8月10日に名鉄ストアーを設立し[1][11]、同年12月に上飯田駅に日本住宅公団と共同でマンションを併設した駅ビルの中に上飯田店を開設したのが始まりである[10]

1967年(昭和42年)6月に又穂店を出店したのを皮切りに多店化を進め、1968年(昭和43年)11月に津島駅に津島店、1971年(昭和46年)3月に新那加駅に新那加店と出店を進めており、又穂店という例外を除いて駅ビルへの出店を進めて行った[10]

1972年(昭和47年)10月に北陸に進出したほか、1974年(昭和49年)1月に北マリアナ諸島テニアン島に出店したのを皮切りに1976年(昭和51年)3月には北マリアナ諸島のサイパン島へ出店するなど海外へも店舗展開した[12]

1983年(昭和58年)9月22日には名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出した[13]

名鉄ショッピ

1971年(昭和46年)より名古屋ショッピ・岐阜ストアー・多治見ストアーの3社は仕入れの共通化を図るなどの連携を強めていたが、1980年(昭和55年)9月1日、さらなる効率化を目指して3社が対等合併し、「名鉄ショッピ」として新たにスタートした[14]。3社とも設立時に名鉄百貨店副社長であった長尾芳郎が社長に就任し、合併時の3社の社長も当時名鉄百貨店取締役の座に就いていた山田耕之助であった。その経緯から3社は名鉄百貨店系流通チェーンと見なされており、一方で名鉄ストアーに関しては名鉄直系の流通事業という位置付けであった[14]

合併時における年商は名古屋ショッピ(16店舗)100億円、岐阜ストアー(2店舗)26億円、多治見ストアー(2店舗)24億円で[要出典]、合併時点で18店舗・年商380億円の巨大チェーン網の誕生であった[15]また、設立時の発表では不採算店を閉める一方で[要出典]年に1~2店舗の新規出店を進める予定であった[15]

名鉄パレ

事業の効率化を図るため経営統合を進め、1987年(昭和62年)9月1日に名鉄ストアーと名鉄ショッピが合併して名鉄グループのスーパーマーケット事業は一つに経営統合されることになった[10]

その後、1992年平成4年)3月1日には社名をフランス語で「優雅」の意味の「パレ」という言葉をとって株式会社名鉄パレに変更した[1]

1998年(平成10年)に東郷店の北側に併設する形で「名鉄パレホーム」の1号店として東郷店を開店し、ホームセンターに参入した[16]

2005年(平成17年)5月時点でスーパーマーケット23店舗と百貨店3店舗、ホームセンター1店舗の計28店舗を愛知県中心に展開していた[4]。 (百貨店は神宮、師勝西春、西尾の各店。ただし日本百貨店協会には加盟せず)

パレマルシェへ

名鉄グループ中核企業の一つ[17]であったが、2002年(平成14年)度から連続して当期純利益が赤字となり、計50億円以上を出資して支援してきた名鉄グループは独力での同チェーン再建を断念することになった。

そして、2005年(平成17年)4月26日に同年9月1日付でフェニックス・キャピタル株式会社の企業再生ファンドと名古屋鉄道による合弁企業「株式会社パレ」に営業譲渡して新会社へ事業を引き継ぐことを発表した[4]。新会社パレの社長にはクイーンズ伊勢丹を顧客満足度ナンバーワンの店へ成長させた田村弘一が就任し[18]、フェニックス・キャピタルが過半数の株式を取得したほか[2]、名古屋鉄道と三井物産が出資しており、これら上位三社で99.4%を出資して運営された[3]

新会社への移行に伴い、店名も「パレマルシェ」になり、売場の商品構成も大きく変化させることで再建を目指した[5]

オークワ傘下入り

2008年(平成20年)6月9日に同月30日付で主要株主であるフェニックス・キャピタルと名古屋鉄道、三井物産からオークワへ発行済みの株式の99.4%を70億円で譲渡することが発表され[3]、経営権が移行することになった。この営業権譲渡により、オークワの傘下に入ることに伴い、2008年(平成20年)6月30日付でオークワから会長と社長が就任することになった[3]。2008年(平成20年)6月時点の店舗数は17店舗で[3]、オークワ側はパレを傘下に入れることで東海地区への出店の足掛かりを得ることが狙いであったとされている[7]。なお、パレ創業時の社長であった田村は2010年3月に逝去している[19]

2011年(平成23年)2月時点の店舗数は16店舗で2010年(平成22年)2月期の売上高は約366億円となっていた[7]

その後、オークワ本体による東海地方への出店が進んで2011年(平成23年)2月までに愛知県と岐阜県に8店舗を構えるようになったため、重複する業務を合理化するとして2012年(平成24年)2月にオークワに吸収合併されることになった[7]。ただし、オークワへの吸収後も店舗名は「パレマルシェ」として営業を続けることになった[7]

プライベートブランド

オークワの傘下入りに伴って、プライベートブランド(PB)商品が共同仕入れ機構・日本流通産業(ニチリウグループ)の「くらしモア」へ移行することになった。そのため、かつて扱っていた八社会PB商品である「Vマーク(バリュープラス)」の取り扱いは2008年(平成20年)8月末で終了となった。

なおニチリウグループはオークワが中核企業の一つとなっており[20]1999年(平成11年)5月20日からオークワの大桑氏が2代目社長に就任する[21][22]など関係が深い。

年表

名鉄グループ時代

  • 1959年昭和34年)2月 - 名鉄共栄社(現・名鉄産業)が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットを開設[8]
  • 1960年(昭和35年)9月7日 - 「名古屋ショッピ」を設立[9]
  • 1962年(昭和37年)11月14日 - 「株式会社岐阜ストアー」を設立[23]
  • 1963年(昭和38年)10月25日 - マコー四日市店を開店[24]
  • 1964年(昭和39年)6月 - 「株式会社多治見ストアー」を設立[8]
  • 1965年(昭和40年)8月10日 - 「株式会社名鉄ストアー」設立[1][11]
    • 「名鉄ストアー」時代の企業ロゴは社名を略した「MS」を象ったものだが、東京放送1961年から30年間使用した「TBS」に類似したロゴ体だった。[独自研究?]
  • 1972年(昭和47年)10月に北陸に進出[25]
  • 1973年(昭和48年) - 子会社「フジ・レジャー開発株式会社」を設立[26]
  • 1974年(昭和49年)1月 - 北マリアナ諸島テニアン島へ出店[25]
  • 1976年(昭和51年)3月 - 北マリアナ諸島のサイパン島へ出店[25]
  • 1979年(昭和54年)2月 - 「名古屋ショッピ」が生鮮食品売り場の直営化を開始[27]
  • 1983年(昭和58年)9月22日 - 名鉄神宮前百貨店を開設して百貨店事業に進出[13]
  • 1985年(昭和60年) - 堀田駅店にPOSシステムを導入[28]
  • 1987年(昭和62年)9月1日 - 「株式会社名鉄ショッピ」と合併[10]
  • 1992年平成4年)3月1日 - 社名を「株式会社名鉄パレ」に変更[1]
  • 1998年(平成10年) - 「名鉄パレホーム」の1号店として東郷店を開店し、ホームセンターに参入[16]
  • 2005年(平成17年)
    • 8月31日 - 「フジ・レジャー開発株式会社」のインストアベーカリー事業と実演販売事業などを「株式会社パレ」に営業譲渡[29]
    • 9月1日 - ストア事業を「株式会社パレ」に営業譲渡[4]社名を株式会社名鉄パレ管財に変更し、同社のストア事業とフジ・レジャー開発のベーカリー事業を株式会社パレへ譲渡。以後はパレへの不動産賃貸が主な事業となる。[要出典]
    • 北マリアナ諸島からの撤退を発表する。[要出典]
  • 2006年(平成18年) - フジ・レジャー開発が解散する。[要出典]
  • 2007年(平成19年) - 2007年度中に名鉄パレ管財を解散する旨、名古屋鉄道によって決議される。[要出典]

株式会社パレ

  • 2004年(平成16年) - 設立。[要出典]
  • 2005年(平成17年)
    • 8月31日 - 「フジ・レジャー開発株式会社」からインストアベーカリー事業と実演販売事業などを譲受[29]
    • 9月1日 - 「株式会社名鉄パレ」からストア事業を譲受[4]
    • ジャパン・リカバリー・ファンド・ツー(業務執行組合員はフェニックス・キャピタル株式会社)と名古屋鉄道から増資を受け、名鉄パレなどから事業を譲受する(商法上の事後設立に該当)。[要出典]
  • 2008年(平成20年)6月30日 - 株式をオークワへ譲渡[3]。オークワから会長と社長が就任[3]
  • 2009年(平成21年)11月1日 - オークワグループの商品券の取り扱いを開始。[要出典]
  • 2012年(平成24年)2月21日 - 親会社のオークワと吸収合併[6]。店舗ブランドはそのまま維持される[7]

現在営業中の店舗

2024年令和6年)9月30日現在、オークワでは「パレマルシェ」ブランドとして7店舗を展開している。出店店舗の詳細については公式サイト「パレマルシェ/チラシ・店舗情報」を参照。

店舗一覧

同日開業した「μPLAT神宮前」の1階にて営業している[30]
店舗面積1,256m2[広報 1]
同年6月20日をもって閉店した「神宮店」の後継店舗。ただし神宮店と異なり、神宮前店はパレマルシェとして扱う商品は食料品等のみに縮小されている。
敷地面積約9,500m2[33]、店舗面積約3,960m2[33]、駐車台数約200台[33]
当初は関連企業の名鉄衣料が衣料品を担当した[34]
サンクレア池下内に出店。
河和駅ビル(店舗面積約3,155m2[31])内に出店[36]
店舗面積約2,979m2[31]
河和駅ビル内に出店した地上3階建ての店舗であった[35]
敷地面積約5,906m2[37]、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋1階[37]、延べ床面積約7,955m2[37]、売場面積約6,362m2[37](当社売場面積約4,370m2[37])、駐車台数約400台[37]
店舗面積約2,326m2[31]唯一残る名鉄ショッピを前身とする店舗。[独自研究?]
延べ床面積約6,426m2[40]、店舗面積4,750m2[40]

ギャラリー

かつて存在した店舗

愛知県

名古屋市地区

緑区
名鉄共栄社その後商号を名鉄産業に変更したが、2022年に再度の社名変更(名鉄産業→名鉄エリアパートナーズ)および事業譲渡により物販事業は名鉄生活創研が後身となる[要出典])が鳴海団地内に鳴海スーパーマーケットとして開設[8]
店舗面積約493m2[9]
住宅公団鳴子団地内に出店していた[8]
店舗面積349.8m2[42]
店舗面積207.9m2[42]
南区
  • 笠寺店(南区前浜町7-5-1[43]、1962年(昭和37年)12月13日開店[43] - ?閉店)
売場面積637m2[43]
本笠寺駅に出店していた[8]
港区
常盤木材が所有する延べ床面積約5,710m2の建物に出店していた[45]
店舗面積約2,813m2[44]
ヤマナカに譲渡し、2006年(平成18年)9月にヤマナカ木場店が開店したが[広報 2]、チャレンジハウス木場店に業態転換したのち[広報 3]、2018年(平成30年)9月閉店に閉店となった[広報 3]
北区
店舗面積約919m2[9]
敷地面積約3,960m2[49]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て[49]、延べ床面積約6,528m2[49]、店舗面積約4,720m2[49](直営店舗面積約2,822m2[49])、駐車台数約100台[49]
上飯田駅に日本住宅公団と共同で建設した戸数約400戸のマンションを併設した駅ビルの1階部分に[50]出店していた[10]。衣料品については関連会社の名鉄衣料が担当した[34]
創業時には名鉄ストアー本社が併設されていた[11]
西区
店舗面積462m2[51]
名古屋鉄道が所有する土地に建設された住宅公団又穂団地[8][52]内に出店していた。
店舗面積約1,188m2[45]
2009年(平成21年)2月25日に一旦閉店の後、内部の改装を行い、同年2月28日にオークワのディスカウント形態店舗「プライスカット又穂」として開店。[要出典]
2012年(平成24年)2月21日付でオークワのディスカウント業態部・プライスカット業態に編入[53]
2015年(平成27年)1月19日をもって、プライスカット又穂の店舗としても閉店。2016年(平成28年)11月から解体工事が行われ、更地になった。[要出典]
天白区
店舗面積約509m2[9][54]
平針団地内に出店していた[8]
  • 植田店(天白区、1989年(平成元年)7月開店[39] - ?閉店)
守山区
売場面積418m2[55]
千種区
店舗面積983m2[57]
店舗面積858m2[58] → 843m2[47]
昭和区
店舗面積300m2[58]
熱田区
敷地面積約5,200m2[60]、鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て塔屋1階[60]、延べ床面積約26,700m2[60]、店舗面積約15,000m2[60](直営店舗面積約7,199m2[60]、名鉄衣料約2,961m2[60])、駐車台数約1,000台[60]
神宮前駅西口の駅ビルの1階から5階に出店していた[61]
前述の通り、同店閉店後の2021年(令和3年)7月21日に、μPLAT神宮前1階に都市型小型店の「神宮店」を開業させている[30](食料品売場のみ営業)。
店舗跡には名古屋鉄道が木造平屋の観光商業施設「あつたnagAya」が2024年(令和6年)9月6日に開業[62]
瑞穂区
  • 名鉄堀田ショッピングセンター[63] → 名古屋ショッピ堀田店[64](瑞穂区惣作町2-4-1[63]、1970年(昭和45年)12月11日開店[63][65] - 1977年(昭和52年)1月31日閉店[8]) 
敷地面積約1,928.38m2[63]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[63]、延べ床面積約8,951.98m2[63]、店舗面積約4,256m2[63](直営店舗面積約2,574m2[63])。
「岩正製作所」の建設したビルに「名古屋ショッピ」がデベロッパーとなり[63]、「多治見ストアー駅前店」や「岐阜ストアー太田店」と同様に衣料品テナントにイズミヤを迎えた総合スーパー「名鉄堀田ショッピングセンター」として開設したが[66]イズミヤは1973年(昭和48年)2月に閉店し[67]、「岐阜ストアー」の「堀田サントップ」を核店舗として出店していた[63]
下記名鉄ストアー開業後は一時的にであるが至近距離で自社競合状態となっていた。[要出典]閉店後の岩正ビルには衣料品テナントとしてヨシヅヤ堀田店が開店し[68]、食品テナントはヤマナカが入居した[69]がともに閉店し、階下フロアにはフィール堀田店が入居[70]現在は建て替えて平屋建てのフィール堀田店が営業中。[要出典][71][72]
堀田店
  • 名鉄ストアー堀田駅店[73](瑞穂区新開町28-26[74]、1973年(昭和48年)6月22日開店[75] - 2022年(令和4年)8月20日閉店[広報 5])
敷地面積約3,135m2[76]、鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て[76]、延べ床面積約5,449m2[76]、店舗面積約4,528m2[76](直営店舗面積約1,052m2[76]、名鉄衣料約953m2)、駐車台数約50台[76]
名鉄堀田駅北口で営業していた。[要出典]衣料品は名鉄衣料が担当した[34]

尾張(名古屋市以外)地区

名鉄犬山線沿線地区
敷地面積約12,500m2[79]、延べ床面積52,640m2[80]、店舗面積約10,248m2[77]
西春駅東口の近藤紡績所西春工場跡地に同社が建設した12階建てのビルの1階から3階までに出店していた[79]。名鉄パレ百貨店時代は1階~5階まで使用[広報 6]
跡地には2022年(令和4年)5月21日にヨシヅヤの「Yストア西春店」が開業[78]
  • 岩倉店(岩倉市東新町南江向24-5[56]、1965年(昭和40年)9月25日開店[56][55] - ?閉店)
店舗面積512m2[56][55]
名古屋ショッピ時代に岩倉団地内に出店していた[8]跡地はナフコ不二屋岩倉店となったが[要出典]、2023年1月19日閉店[81]
店舗面積637m2[55]
店舗面積70m2[82]
柏森駅に出店していた[8]
  • 扶桑店(丹羽郡扶桑町高雄下野71[12]
ニューマウント株式会社の工場跡地の一部を利用しオープンしたトステムビバ扶桑ショッピングパークの食品テナントという位置づけであった。後にトステムビバはペット&グリーンに改装するも撤退したため、跡地スペースを含め衣料品売り場拡充やテナント導入等の大幅な改装を行った。[要出典]
マックスバリュ中部が継承して2005年(平成17年)10月7日にマックスバリュ扶桑店が開業[83]
店舗面積約1,700m2[83]
なお継承後の建物は2017年(平成29年)6月30日に一旦閉店し、マックスバリュは同年7月13日に同敷地内に新築のアクロスプラザ扶桑内に移転再オープン。その後旧店舗は解体しアクロスプラザのテナント増床分に充てている。[要出典]
名鉄名古屋本線沿線地区
二ツ杁駅に出店していた[8]
店舗面積約763m2[9]
  • 清洲店(西春日井郡清洲町(現在の清須市)新清洲1-2[9]、?開店[84] - ?閉店)
新清洲駅前に出店していた。
  • キリンビール店(西春日井郡新川町(現在の清須市)大字寺野758[85]1961年(昭和36年)10月1日開店[85] - ?閉店)
店舗面積62.7m2[85]
キリンビール名古屋工場内に出店していた[85]
国府宮駅に出店していた[8]
店舗面積145.5m2[85] → 1,850m2[9]
  • 豊明店(豊明市二村台3-1-1[9](旧・豊明町大字沓掛字森裏2-1[47])、1971年(昭和46年)8月28日開店[47] - ?閉店)
店舗面積約684m2[47]
名鉄常滑線・河和線沿線(知多)地区
店舗面積約660m2[86]
常滑店
敷地面積約6,790m2[87]、鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て一部6階建て[87]、延べ床面積約17,900m2[87]、店舗面積約11,511m2[87](直営店舗面積約5,500m2[87])、駐車台数約500台[87]
名鉄ストアーと協同組合常滑ショッピングセンターが建設した「メイテツ・セラ」の核店舗として出店していた[87]。常滑駅ビルにはセラショッピングセンターや物産情報センターが入居、名鉄常滑ビルには当店や当時名鉄グループが数店舗展開していたレストラン「渚亭」、賃貸マンションが入居した[90]
常滑駅に出店していた[89]2017年(平成29年)6月頃、建物は解体された。[要出典]現在は跡地にマルスフードショップ常滑駅前店をはじめテナント5店舗が集積したミュープラット常滑が建つ。
店舗面積約6,102m2[45]
その他の尾張地区
店舗面積約380m2[91]
桃花園団地に出店していた[92]
敷地面積約8,850m2[93]、鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て一部6階建て[93]、延べ床面積約9,946m2[93]、店舗面積約7,957m2[93](直営店舗面積約1,336m2[93])、駐車台数約300台[93]
衣料品はユーキチ瀬戸店(直営店舗面積約2,842m2)と名鉄衣料瀬戸店(直営店舗面積約709m2)が出店していた[93]
建物は取り壊し。[要出典]
店舗面積約1,836m2[94]
延べ床面積28,199m2[97]、店舗面積約4,532m2[95](直営店舗面積約1,431m2[95])、駐車台数約40台[95]
日本住宅公団の住宅431戸を併設した津島駅ビルに出店していた[98]。衣料品テナントは名鉄衣料が担当した[34]

三河地区

豊田市
鉄骨造り3階建て[100]。店舗面積約2,268m2[102]
保見団地内に出店していた[103]
跡地には日系ブラジル人3世が経営する[104]「アイ・ビー・フォックス」が2006年(平成18年)6月28日に「フォックスタウン」が開業した[101]
  • 朝日店(豊田市朝日町1-6[105]1973年(昭和48年)9月1日開店[99] - ?閉店)
店舗面積1,188m2[106]
メイツプラザ(店舗面積約3,140m2)に[102]「ユーキチ」と共に核店舗として出店していた[99]
西三河(豊田市以外)
知立団地内に出店していた[8]
店舗面積約570m2[9]
跡地には2008年(平成20年)2月に「マルスフードショップ」が開業した[108]
  • 小垣江店(刈谷市小垣江町亥新田1-1小垣江ビル[109]、?開店 - ?閉店)
店舗面積約2,299m2[109]
敷地面積約4,904m2[110]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上12階建て[110]、延べ床面積約30,315m2[110]、店舗面積約6,051m2[110](直営店舗面積約1,397m2[110])、駐車台数約32台[110]
西三河総合ビルの「メイテツサンリバー」[110]地下1階に出店していた[111]
メルサが継承して直営の食品売り場として営業した後[111]1990年(平成2年)9月14日にヤングファッション売り場となった[112]
西尾店
敷地面積約6,693m2[113]、鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て一部6階建て[113]、延べ床面積約11,110m2[113]、店舗面積約7,691m2[113](直営店舗面積約3,689m2[113])、駐車台数約200台[113]
西尾駅のステーションビルに出店していたが、ビルの再開発に伴って閉店となった[115]
開業時には衣料品売り場は、地元の衣料スーパーユーキチ(後のドミー)が出店していた[116]
かつては名鉄ストアー時代に名鉄西尾百貨店、名鉄パレになってからは名鉄パレ百貨店西尾という百貨店型の店舗だった。
西尾駅から南に50mの場所に移転[115]。鉄骨造り平屋建てで直営売場面積は257坪の食品に特化した店舗だった[115]
豊橋市
店舗面積約1,558m2[12]
2008年(平成20年)10月1日にディスカウント業態に変更して「プライスカット菰口店」として新装開業した[117]
鉄骨造地下1階地上2階建て[119]、延べ床面積約12,178m2[119]、店舗面積約5,070m2[119](直営店舗面積約4,200m2[119][120])。
開店時は2階にギガス(のち経営統合にてケーズデンキ)豊橋飯村店が入居していたが2016年(平成28年)7月31日に閉店。[要出典]
パレマルシェ閉店後、空きビルを解体し[要出典]、2019年(令和元年)12月12日に名古屋鉄道の新規事業として名鉄インプレス運営による「ゆのゆ TOYOHASHI」が開設された[広報 7]

岐阜県

岐阜市

店舗面積1,175m2[121]
1948年(昭和23年)に創業し、わずか11年後の1959年(昭和34年)に閉店した[122]丸宮百貨店を買収して出店していた[10]。開設にあたっては、1953年(昭和28年)に増築した4階建(一部5階建)の建物を利用し、徹明町交差点に建つ3階建ての建物並びに増築部分と連接した2階建ての建物は取り壊し、なごや初寿司等が入居するテナントアーケード及び名鉄モータープール(有料駐車場)に変更して「岐阜ストアー(のち、名鉄岐阜ストアー)」として営業を開始した[123]独特な広告塔は丸宮百貨店時代に完成し、マークを岐阜ストアーのGSマークに取り換えて使用していた。各階に売場が設けられていたが、店内エスカレーターは存在せず、実質1階の食品売り場をメインに営業しており、営業末期には外壁等の老朽化が著しかった。[要出典]
名鉄ショッピ時代に閉店し、跡地には1990年(平成2年)11月3日に岐阜メルサ(ファッション館)が開業したが[10]、売り上げ低迷のため2009年(平成21年)8月に閉店。その居抜きスペースの一部を使い2011年(平成23年)4月に「ドン・キホーテ柳ケ瀬店」が入居していたが2020年10月25日閉店[124]2022年12月現在も空きビルとなっている。[要出典]
  • 三里店(岐阜市清上沼715-1[94]1995年(平成7年)9月開店[12] - 2005年(平成17年)閉店)
店舗面積約1,410m2[94]
建物は居抜きで2021年(平成23年)6月現在カネスエ三里店。[要出典]
敷地面積約6,752m2[125]、鉄筋コンクリート造4階建て[125]、延べ床面積約10,493m2[125]、店舗面積約6,809m2[125](直営店舗面積約1,260m2[125])、駐車台数約120台[125]
タマコシ忠節店(約2,909m2)が[125]2階と3階に出店していた[128]
名鉄岐阜市内線揖斐線忠節駅駅舎に併設。建物は現存せず。跡地はスギ薬局忠節店および[要出典]2007年(平成19年)11月10日にヤマナカ忠節フランテ館が開業した[129]
  • 名鉄岐阜店(岐阜市神田町9丁目1-1、2009年(平成21年)9月6日開店[130] - 2024年(令和6年)9月29日閉店[広報 8]
新岐阜百貨店の跡地(名鉄岐阜駅南から岐阜バスターミナル北)に、商業ビルECT(イクト)の核店舗として開業[130][広報 9]
ECT自体の再開発のため[131]、当店も閉店した。

大垣市

店舗面積516m2[132]
大垣駅前の[8]吉田ビルに[133]出店していた[8]

中濃地区

敷地面積約5,324m2[134]、鉄筋コンクリート造4階建て[134]、延べ床面積約7,995m2[134]、店舗面積約6,396m2[134](直営店舗面積約1,069m2[134])、駐車台数約200台[134]
新那加駅に出店していた[10]。衣料品テナントはイズミヤが入居したのち[34]、エビスヤ(約1,504m2)が入居していた[134]
店舗面積約1,482m2[135]
鵜沼緑苑に出店していた[92]建物は解体され現存しない。[要出典]
店舗面積889m2[132]
店舗面積4,580m2[126] → 5,949m2[12]
太田町弥生[136]に開設された初代店舗を引きつぐ形で「名鉄太田ショッピングセンター」として開店した大型店舗[137]。1階の食品は岐阜ストアー太田店が引き続き「太田ストアー」として入居、2階以上はイズミヤ(開店当時はいづみや)が岐阜県初出店で衣料品・日用雑貨を取り扱った[137]。また開店当初はボーリング場「太田ボーリングセンター」も入居していた[137]
1982年(昭和57年)4月に2階~4階のイズミヤ部分の改装を行い、テナントを2店導入、売り場面積も5,500㎡に拡張した[138]
2005年(平成17年)に閉店し、現在は名鉄不動産によるマンション「メイツ美濃太田フロントステーション」が建設された[137]
日本ライン今渡駅に隣接する駅ビル内に出店していた[139]駅ビル解体により建物は現存しない。[要出典]

多治見市

店舗面積1,280m2[140]
1958年(昭和33年)11月8日に開店した[142]主婦の店多治見店の営業を継承して出店した[8]
  • 多治見駅前店(多治見市本町1-2[143]1971年(昭和46年)10月1日開店[143] - ?閉店)
敷地面積約3,501m2[143]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋2階[143]、延べ床面積約13,827m2[143]、店舗面積約8,319m2[143](直営店舗面積約2,157m2[143])、駐車台数約200台[143]
多治見駅前ビルに出店していた[94]
イズミヤ(直営店舗面積約3,369m2)が[143]3階に出店していた[128]
  • 多治見橋店(多治見市、1977年(昭和52年)11月開店[39] - ?閉店)
  • ホワイトタウン店(多治見市、1982年(昭和57年)4月開店[39] - ?閉店)
ホワイトタウンに出店していた[8]

静岡県

イトーヨーカドー浜松駅前店のビルを利用した再開発店舗「かじ町プラザ」1階に出店していた[144]
全フロアをテナント招致することを条件に出店したが、実現しなかったため約半年で撤退した[144]
  • 葵町店(浜松市葵東2-13[146]1976年(昭和51年)4月2日開店[146] - ?閉店)
敷地面積約7,432m2[146]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[146]、延べ床面積約5,794m2[146]、店舗面積約3,766m2[146](当社店舗面積約1,292m2[146])、駐車台数約1,600台[146]
  • 衣料品テナントは名鉄衣料(約1,178m2)が担当した[146]
  • 北寺島店(浜松市中区(現:中央区)北寺島町492-2、1978年(昭和53年)3月開店[39] - 2015年(平成27年)8月20日閉店[広報 10]
店舗面積約8,517m2[31]
前記のかじ町店出店を控えた2009年3月に浜松店から名称変更された。名鉄ストアー時代は「駅南店」の名称であった。[要出典]
閉店後建物は解体され、跡地には2017年春にバロー浜松北寺島店が開店。[要出典]
鷲津駅から少し離れた郊外にあった「湖西ショッピングセンター[148] グリーンバレー[149]」(店舗面積約4,975m2)に衣料品の「エビスヤ」と共に核店舗として出店し[148]、食品を主として扱っていた[148]
道路を挟んですぐ前に「遠鉄ストア湖西店」が移転して[149]1994年(平成6年)9月21日に開業した[148]
新所原駅に近い湖西市駅南に1995年(平成7年)10月に「新所原店」が出店している[12]
2001年(平成13年)4月にリベロが入店したが2004年(平成16年)3月に閉店、その後浜名プラスチックの事務所を経て2013年(平成25年)にテナントが取り壊され、2013年(平成25年)末にヤマダ電機が出店したが2015年(平成27年)6月で閉店しており、同年11月から現在は杏林堂鷲津店となっている。[要出典]
三井不動産関連会社である三井不動産商業マネジメントが運営するショッピングセンターの核テナントとして出店していた[150]。跡地には2020年(令和2年)1月29日にエブリィビッグデーららぽーと磐田店が開店。

石川県

店舗面積1,056m2[152]
店舗面積1,214m2[154]
敷地面積約13,365m2[155]、延べ床面積約7,875m2[155]、店舗面積5,068m2[155](当社店舗面積957m2[155])、駐車台数約250台[155]
石川興産が開発したシヨツピングセンター「スカール」の1階に出店していた[156]。2階に「いとはん」が出店していた[156]

三重県

店舗面積約1,494m2[157]
地下1階・地上5階建ての新道ビルの地下1階から地上3階までに出店していた[159]

過去に存在した関連企業

石川県パン協同組合の有志13名によって1963年(昭和38年)3月に設立し[161]、同年10月1日[163]操業開始した[161]石川県パン工業を買収し[162]、インストアベーカリー「メイクレール」1号店を金沢市に開店した[162]
電気・レコード[106]
  • フジ・レジャー開発株式会社(本社名古屋市[164]1971年(昭和43年)3月設立[106]、資本金1000万円[164]、出資比率100%[164]
ゲーム・カラオケ店「ジョイシティ」の運営や[164]まんが喫茶「山ん馬」のフランチャイズを含むチェーン展開していた[26]
2005年(平成17年)8月31日付でインストアベーカリー事業と実演販売事業などを「株式会社パレ」に営業譲渡して解散することになった[29]
ファストフード「あつあつ家」も運営していた。[要出典]
冷凍食品・レトルト食品製造[106]
お好み焼たこ焼きみたらしの製造・販売[106]
  • マコー(1963年(昭和38年)5月設立[165]、資本金3000万円[166]、伊藤忠商事50%・名古屋鉄道25%・名鉄百貨店25%)
伊藤忠商事と名鉄、名鉄百貨店の合弁にてスーパーマーケット「マコ―」が設立され[165]、四日市店・鶴舞店・東山店が開設されている[10]
安城店や刈谷店・岡崎店・豊橋店の出店も予定されていた[166]
しかしながら1967年(昭和42年)7月、同じく伊藤忠商事と名鉄が1964年(昭和39年)12月に合弁して設立した[165]「ナゴヤスポーツガーデン」と合併して[10]マコー東山店は同社の経営となった[167]

海外

サイパン島にてスーパーマーケットを運営していた。1976年(昭和51年)3月に開店[25]

脚注

出典

  1. ^ a b c d e “名鉄ストア、3月1日から「名鉄パレ」に社名変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月4日). pp3
  2. ^ a b “名古屋鉄道、名鉄パレをフェニックス・キャピタルに譲渡へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月9日). pp3
  3. ^ a b c d e f g h “オークワ、名古屋のSMパレを買収”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年6月13日). pp13
  4. ^ a b c d e “名鉄パレ、フェニックス・キャピタルに営業譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年5月16日)
  5. ^ a b “バイヤー視点:パレ・掘武雄氏「“おいしかった”というお客の声が最高の喜び」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2006年1月23日). pp13
  6. ^ a b “オークワ、東海地区の子会社パレを吸収合併”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年3月16日). pp12
  7. ^ a b c d e f “オークワ、子会社のパレを吸収合併 「パレマルシェ」は継続”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2011年3月8日)
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 名鉄百貨店社史編纂室 『名鉄百貨店開店30周年記念社史』 名鉄百貨店、1985年5月10日。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1979年10月。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。
  11. ^ a b c d 『会社総鑑 1970年版』 日本経済新聞社、1970年。pp1124
  12. ^ a b c d e f g h i j 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 416-417 
  13. ^ a b c “名鉄ストアー百貨店一号をオープン”. 流通情報 1983年10月号 (流通経済研究所) (1983年10月).pp44
  14. ^ a b 『中日新聞縮刷版・1980年7月号「名鉄百貨店系」「名古屋ショッピ」「岐阜ストアー」「多治見ストアー」スーパー3社が合併』中日新聞本社、1980年8月、931頁。 
  15. ^ a b “統合・連携進む 名鉄流通グループの"変容"”. 中部財界 1980年9月号 (中部財界社) (1980年9月).pp11
  16. ^ a b “ホームセンター最前線”. オートマート・ネットワーク 1998年11月号 (オートマート・ネットワーク) (1998年10月25日).pp91
  17. ^ 中日新聞朝刊 2005年4月27日付 9面
  18. ^ “中部流通特集:小売トップインタビュー=パレ・田村弘一社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月17日)
  19. ^ 田村弘一氏(グリーンファクトリー社長、パレおよびクイーンズ伊勢丹元社長)2日死去”. 2023年1月7日閲覧。
  20. ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:牛尾誠之常務理事に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
  21. ^ “日本流通産業・大桑社長、PB開発より強化など語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年6月14日)
  22. ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:大桑社長に聞く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年7月15日)
  23. ^ 佐藤英雄 “絶好の立地条件を持ち意欲的経営進める「名鉄百貨店」”. 証券投資リポート No.99 (日本証券投資協会) (1965年4月).pp5
  24. ^ a b 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp183
  25. ^ a b c d e f g h i 『流通会社 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
  26. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp109
  27. ^ a b c d 前田吉治 “名鉄ストアー(愛知) 本格的SMと百貨店の2本柱戦略でグループ内小売りの再編はかる”. 食品商業 1990年2月号 (商業界) (1990年2月).pp110-113
  28. ^ a b c 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp243
  29. ^ a b c “オークワ、名古屋に都市型小型店オープン メッサ業態の定着図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2021年8月4日). pp8
  30. ^ a b c d e f 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
  31. ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年10月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年10月1日).pp9
  32. ^ a b c d 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp295
  33. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1977年』日本経済新聞社、1976年10月25日、215頁。 
  34. ^ a b c “名鉄河和SCオープン”. 中部財界 1979年5月号 (中部財界社) (1979年5月).pp32
  35. ^ a b 『流通会社年鑑 1981年版』 日本経済新聞社、1980年12月。
  36. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp976
  37. ^ “メイツタウン名鉄東郷店開店”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp81
  38. ^ a b c d e f g h i j k 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
  39. ^ a b “届出情報”. ショッピングセンター 1992年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年11月1日).pp84
  40. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp180
  41. ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp366
  42. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp179
  43. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
  44. ^ a b c d e 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
  45. ^ 『全国薬局薬店名鑑 1992~93年版』 薬事日報社、1992年11月16日。pp976
  46. ^ a b c d e f 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp75
  47. ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp279
  48. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp524
  49. ^ 『中部要覧 愛知・岐阜・三重県 1964年版』 商業界、1964年6月10日。pp233
  50. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp163
  51. ^ 吉岡健次 山崎春成編 『現代大都市の構造』 東京大学出版会、1978年7月25日。ISBN 978-4-13-061028-5
  52. ^ 『組織変更および人事異動に関するお知らせ』 オークワ、2012年2月27日 。
  53. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp373
  54. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp372
  55. ^ a b c d e f g 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp74
  56. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp371
  57. ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp182
  58. ^ 『事業所名鑑 昭和63年版 本編』 総務庁統計局、1988年12月。pp1071
  59. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp904
  60. ^ 『なごや新三百景』 中日新聞本社、1987年3月。pp172
  61. ^ “熱田詣でついでに寄りゃーせ あつたnagAya内覧会 開業は台風で6日に延期”. 中日新聞 (中日新聞社) (2024年8月30日). pp7
  62. ^ a b c d e f g h i j 『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 日本ショッピングセンター協会、1976年4月30日。pp288
  63. ^ 『日本職員録 第14版 中』 人事興信所、1972年。ppな8
  64. ^ 『30年の歩み 名鉄百貨店開店30周年記念社史』 名鉄百貨店、1985年5月。 pp345
  65. ^ “この激動期を乗り越えるものはどこか 揺れる中部の〝百貨店業界〟”. 新日本経済 1970年8月号 (新日本経済社) (1970年8月1日).pp116
  66. ^ “名古屋第1部市場に上場したいづみやの戦略”. 中部財界 1974年8月号 (中部財界社) (1974年8月). pp8
  67. ^ “新入会員紹介”. 名古屋商工会議所月報 那古野 1984年2月号 (名古屋商工会議所) (1984年2月).pp39
  68. ^ 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp959
  69. ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。pp1091
  70. ^ 『ゼンリン住宅地図「瑞穂区」1985年』ゼンリン、1985年2月1日、58頁。 
  71. ^ 『住宅地図「瑞穂区」1975年版・名古屋市全商工住宅案内図帳』住宅地図協会、1975年2月20日、31頁。 
  72. ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp49
  73. ^ パレマルシェ 堀田店”. オークワ. 2022年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月31日閲覧。
  74. ^ 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。 pp1033
  75. ^ a b c d e f 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp903
  76. ^ a b “’94年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1994年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1994年12月1日).pp74
  77. ^ a b 義津屋、「ヨシヅヤYストア西春店」オープン 名鉄西春駅直結”. 日本食糧新聞社 (2022年5月20日). 2023年8月25日閲覧。
  78. ^ a b “近藤紡、工場跡地にスーパー、住宅ビル建設”. 中部財界 1990年12月号 (中部財界社) (1990年12月).pp112
  79. ^ “届出情報”. ショッピングセンター 1992年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年8月1日).pp92
  80. ^ 【閉店】ナフコ 不二屋岩倉店”. 2023年1月7日閲覧。[出典無効]
  81. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年。pp576
  82. ^ a b “マックスバリュ中部、「マックスバリュ扶桑店」をオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年10月17日)
  83. ^ “名鉄清洲ショッピ十二月一日開業”. 中部財界 1977年12月号 (中部財界社) (1977年12月).pp51
  84. ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp365
  85. ^ a b 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp295
  86. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp961
  87. ^ “開店予定”. ショッピングセンター 1987年3月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年3月1日).pp46
  88. ^ a b “名鉄常滑駅の商業施設「パレマルシェ」来夏閉鎖”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2011年10月18日)
  89. ^ 『鉄路風雪の百年~なるほど・ザ・名鉄』中部経済新聞社、1995年3月28日、296-297頁。 
  90. ^ a b 春日井市史編集委員会 『春日井市史 資料編(5)』 春日井市、1993年3月31日。
  91. ^ a b “財界耳うちばなし”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp99
  92. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp931
  93. ^ a b c d e f 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2004年版』 東洋経済新報社、2004年。
  94. ^ a b c d 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp942
  95. ^ 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。 pp1025
  96. ^ “作品作風 東海の新建築”. 建築と社会 1969年3月号 (日本建築協会) (1969年3月1日).pp47
  97. ^ 小泉信一 名和洋介 “名古屋地区における市街地住宅建設”. 中部財界 1967年10月号 (日本住宅協会) (1967年10月).pp43
  98. ^ a b c 豊田市教育委員会 『豊田市史 第4巻 現代』 豊田市、1977年。 pp697
  99. ^ a b “開店情報”. ショッピングセンター 1975年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年7月1日).pp10
  100. ^ a b “アイ・ビー・フォックス、豊田市保見団地のショッピングセンター28日オープン”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2006年6月5日)
  101. ^ a b 『東三河の経済と社会 第二輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1977年3月。
  102. ^ 戸井田克己 『日本の内なる国際化 日系ニューカマーとわたしたち』 古今書院、2005年3月19日。ISBN 978-4772260220
  103. ^ “70ドルから年商100億円=〝移民の夢〟実現した玉田さん=ニューズウィーク、日経新聞でも紹介”. ニッケイ新聞(ニッケイ新聞社). (2006年11月11日)
  104. ^ 『愛知県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp387
  105. ^ a b c d e f g h i j k 『流通会社年鑑 1984年版』 日本経済新聞社、1983年10月31日。 pp183
  106. ^ 『平成17年知立市議会6月定例会会議録 6月9日(木)第2号』 知立市議会、2005年6月9日。
  107. ^ “知立団地にマルスフードショップがSC出店”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2008年2月21日)
  108. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
  109. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp557
  110. ^ a b 今井弘行 “リニューアルを機に、SCコンセプトを具現化するため保証金制度をやめた『岡崎メルサ』”. ショッピングセンター 1991年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年6月1日).pp31
  111. ^ 今井弘行 “リニューアルを機に、SCコンセプトを具現化するため保証金制度をやめた『岡崎メルサ』”. ショッピングセンター 1991年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年6月1日).pp33
  112. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp955
  113. ^ 『西尾市史 6 年表』 西尾市、1983年1月28日。pp378
  114. ^ a b c d e “中部秋季特集:オークワ、「パレマルシェ西尾店」移転新築オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年9月10日). pp13
  115. ^ “新・日本列島縦断取材ルポ(14回)"都市間競合"を認識し始めた三河地方の商店街”. 商業界 1974年4月号 (商業界) (1974年4月).pp18-22
  116. ^ “パレ社長 東山和典氏 DS一号店を試金石に”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2008年10月2日)
  117. ^ “増床、大型オープン計画目白押し 進出著しい東西スーパー”. 中部財界 1991年12月号 (中部財界社) (1991年12月).pp14
  118. ^ a b c d “届出情報”. ショッピングセンター 1990年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1990年6月1日).pp93
  119. ^ “3 大型化を指向する大手私鉄系スーパー”. 興銀調査 288 1991 No.4 (日本興業銀行産業調査部) (1992年1月21日).pp90
  120. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp326
  121. ^ 『岐阜市史 通史編 現代「丸宮百貨店の盛衰」』岐阜市、1981年、421頁。 
  122. ^ 『保存版 岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年11月19日、129頁。 
  123. ^ 森村陽子(2011年6月8日). “柳ケ瀬に客足戻る ドン・キホーテ開店1カ月余り”. 中日新聞 (中日新聞社)
  124. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp844
  125. ^ a b c d “競争激化する岐阜市小売業界の現況”. 経済月報 1978年4月号 (十六総合研究所) (1978年4月).pp9
  126. ^ a b “名鉄パレが来年2月に2店閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年12月13日)
  127. ^ a b 『事業所名鑑 昭和63年版 本編』 総務庁統計局、1988年12月。pp1034
  128. ^ “ヤマナカ、岐阜市北部に「忠節フランテ館」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月19日). pp13
  129. ^ a b “「イクト」開業に長い行列 新岐阜百貨店跡に新商業施設”. 中日新聞 (中日新聞社). (2009年9月6日)
  130. ^ 名鉄岐阜駅の商業施設 テナントの大部分が今秋めどに閉店”. NHK NEWS WEB. 日本放送協会 (2024年5月22日). 2024年11月5日閲覧。
  131. ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp145
  132. ^ 『中部要覧 愛知・岐阜・三重県 1964年版』 商業界、1964年6月10日。pp82
  133. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp861
  134. ^ a b c 各務原市教育委員会 『各務原市史 史料編 近代・現代』 各務原市、1986年3月31日。pp745
  135. ^ 『美濃加茂市史 通史編 第4節 4「商業の発展」』美濃加茂市、1980年1月、1106頁。 
  136. ^ a b c d 『写真アルバム「可児・加茂の昭和」』樹林舎、2021年3月12日、90-91頁。 
  137. ^ 『岐阜のニュース 昭和57年4月「ちょっぴり広くイメージ一新・名鉄太田ショッピングセンター」4月23日付』中日新聞本社情報システム研究所、1982年5月20日、62頁。 
  138. ^ 斎藤典子 『名鉄線歴史散歩 西部編 史跡をたずねて各駅停車』 鷹書房、1987年6月25日。ISBN 4-8034-0319-8 pp124
  139. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp332
  140. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑’82』商業界、1981年12月25日、547頁。 
  141. ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1962年版』 商業界、1962年。pp92
  142. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp854
  143. ^ a b c d “浜松の旧ヨーカ堂ビルに進出した核テナント「パレマルシェ」、開店から半年で撤退へ”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2009年12月1日)
  144. ^ “パレ、浜松市中心街に「パレマルシェかじ町」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年5月25日)
  145. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp726
  146. ^ “静岡特集=名鉄ストア核店舗の湖西SC、隣町ユーストアに対抗し増床”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年3月9日)
  147. ^ a b c d “遠鉄ストア、「湖西店」開店 名鉄、ユーストアと三つ巴”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年9月26日)
  148. ^ a b “遠鉄ストア、9月下旬「湖西店」開店、営業中の湖西店は閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月26日)
  149. ^ a b c “「ららぽーと磐田」オープン 食品核店舗に「パレマルシェ」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年7月1日)
  150. ^ 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp289
  151. ^ “1ケタ成長,地方スーパー健闘-「小売業調査」より”. 生協運営資料 1982年8月号 (日本生活協同組合連合会) (1982年8月1日).pp108
  152. ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1973年5月号 (食品と科学社) (1973年5月).pp58-60
  153. ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp44
  154. ^ a b c d e f 『ショッピングセンター名鑑 1985年版』 日本ショッピングセンター協会、1985年12月27日。pp701
  155. ^ a b c 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1973年11月号 (食品と科学社) (1973年11月).pp56-58
  156. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年。pp296
  157. ^ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp224
  158. ^ “国鉄・名鉄・近鉄の鉄道資本スーパーに進出”. 新日本経済 1963年11月号 (新日本経済社) (1963年11月1日).pp106-107
  159. ^ “3 調査資料の諸表”. パン科学会誌 1976年10月号 (日本パン科学会研究所) (1976年10月).pp155
  160. ^ a b c 『協業化事例集』 商工組合中央金庫、1967年11月15日。pp79
  161. ^ a b c “業界パトロール”. 製菓製パン 1973年4月号 (製菓実験社) (1973年4月).pp100-101
  162. ^ 『松任市史 現代編 下巻』 松任市、1983年3月。pp220
  163. ^ a b c d “スポット”. アミューズメント産業 1990年9月号 (アミューズメント産業出版) (1990年9月1日).pp42
  164. ^ a b c 『伊藤忠商事100年』伊藤忠商事株式会社、1969年10月1日、245頁。 
  165. ^ a b “スーパーマーケットがやってくる”. 三河評論 1963年9月号 (月刊三河評論) (1963年9月1日).pp22
  166. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp375
  167. ^ a b c 名古屋鉄道株式会社広報宣伝部編 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年。 pp522
  168. ^ a b c 松浦総三・鈴木均 『万歳岬の虹 玉砕島からの証言」』 時事通信社、1977年7月。ISBN:978-4788777132 pp104
  169. ^ a b c 鈴木均 『サイパン夢残 「玉砕」に潰えた「海の満鉄」』 日本評論社、1993年8月。ISBN:978-4535581210 pp10
  170. ^ a b 荒井好民 “流通企業の国際化活動”. 流通とシステム 1976年9月号 (流通システム開発センター) (1976年9月).pp21
  171. ^ “業界スポット”. 製菓製パン 1980年3月号 (製菓実験社) (1980年3月).pp178-179

広報資料・プレスリリースなど一次資料

  1. ^ a b 「パレマルシェ神宮前店」オープンについて”. オークワ (2021年7月14日). 2021年7月23日閲覧。
  2. ^ 『第49期 有価証券報告書』 ヤマナカ、2006年6月19日。pp15
  3. ^ a b 『第62期 有価証券報告書』 ヤマナカ、2019年6月13日。pp11
  4. ^ オークワ/チラシ・店舗情報/愛知県/パレマルシェ 神宮店”. www.okuwa.net. 2021年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月8日閲覧。
  5. ^ 2023年2月期 第2四半期累計期間 営業の概況” (PDF). オークワ. p. 8 (2022年10月3日). 2022年10月6日閲覧。
  6. ^ FLOOR GUIDE(2003年12月4日におけるInternet Archive)”. 2023年8月26日閲覧。
  7. ^ 温浴施設 1 号店「ゆのゆ TOYOHASHI」が 12 月 12 日(木)にオープン! ~『結びの湯』をコンセプトとした、豊橋市内最大級の温浴施設~”. 2023年1月7日閲覧。
  8. ^ チラシ・店舗情報/岐阜県/パレマルシェ 名鉄岐阜店”. オークワ. 2024年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月5日閲覧。
  9. ^ 名鉄岐阜駅 新商業ビル「ECT(イクト)」が9月6日(日)にグランドオープン - 名古屋鉄道ニュースリリース 2009年7月31日 - ウェイバックマシン(2009年8月3日アーカイブ分)
  10. ^ パレマルシェ北寺島店の閉店に伴うATM廃止のお知らせ” (PDF). 浜松信用金庫 (2015年8月20日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月5日閲覧。

外部リンク