af 、 von 、 de のような英語のofにあたるノビリアリー・パーティクルは、苗字の一部として結合している。これらの不変化詞を苗字に使うことは、貴族の特権という訳ではなかったが、使っているのはほとんどは貴族の家名であった。特に17世紀後半から18世紀にかけて、新しく貴族に叙せられた家はこうした不変化詞を苗字に含めることが多かった。例としては、de Gyldenpalm家やvon Munthe af Morgenstierne家などがある。
多くのフランス貴族(および、ノルマン・コンクエストの結果生まれたイングランド貴族の一部)では、de(ド)という不変化詞と土地の名前(nom de terre)の組み合わせが貴族であることを示す印となっている。ただし、全ての貴族がこの不変化詞を持つわけではない。例としては、ルイ13世・ルイ14世に仕えた大法官Pierre Séguierの名前にはdeは付かない。また、フランス語の文法規則に従ってdeも変化する。例えば、その土地の名前が定冠詞の付く男性名詞であった場合はdeと定冠詞leが結合しdu(デュ)となる。その土地の名前が母音で始まる場合、d ' となり連音で発音する。例としては、オルレアン朝のフランス王ルイ・フィリップの息子Ferdinand d'Orléans(フェルディナン・ドルレアン)などが挙げられる。その土地の名前が複数形であればdeと定冠詞 lesが結合しdes(デ)となる。
歴史的に見ると、この不変化詞は必ずしも貴族であることの証明であったわけではなかった。貴族の名乗りはescuyer(ラテン語のdapiferに相当、「従士」の意)や、それより上位のchevalier(ラテン語のmilesに相当、「騎士」の意)であった。そして騎士はmonseigneurやmessire(ラテン語のdominus、英語のsirに相当、「ご主人様」の意)と言った尊称で呼ばれることでその身分を示していた。例としては、monseigneur Bertrand du Guesclin, chevalier(モンセニョール・ベルトラン・デュ・ゲクラン・シュヴァリエ、騎士ベルトラン・デュ・ゲクラン卿) などである。
16世紀になると、フランスの貴族の姓の多くは、前置詞deの後ろに父称・称号・土地の名前などを組み合わせたもので構成されるようになっていった。例としては、Charles Maurice de Talleyrand-Périgord(シャルル・モーリス・ド・タレーラン-ペリゴール)などである[1]。この頃から不変化詞を使う苗字は、その者が貴族であることを示すものとなっていった。だが、王政が崩壊した後は、deを使う貴族の苗字は不変のものではなくなった。例えば、フランス大統領Valéry Giscard d'Estaing(ヴァレリー・ジスカール・デスタン)は父のエドモン・ジスカールの代に妻の実家であるエスタン家の家督を継承し、ジスカールデスタン家を名乗るようになったという例が挙げられる[2]。
なお、それ以前の18世紀から19世紀ころにも既に、多くの中流階級の家系は、貴族でないにもかかわらずdeを名乗っていたこともあった。例としては、フランス革命期の政治家Maximilien de Robespierre(マクシミリアン・ド・ロベスピエール)の家は、貴族ではないが代々deを名乗っていた[3][4]。また、貴族ではないが不変化詞deを使う苗字は、一単語のように綴る場合もある(例としては、Pierre Dupontなど)[5]が、一方で貴族ではないがdeをそのまま苗字に留めている名前も珍しくない。
中世盛期のころから、現在のポルトガルを中心とした西イベリアの貴族は、これまでの父称を苗字として使用していたのに加え、自らの所有する荘園の名前や場合によっては渾名などを付け加えるようになった。例としては、11世紀のソウザ領主であるゴメスの息子エガスは、Egas Gomes de Sousa(エガス・ゴメス・デ・ソウザ)を名乗っている。カスティーリャ王アルフォンソ10世の息子フェルナンドは生まれつき毛むくじゃらのほくろがあったため、Fernando de la Cerda(フェルナンド・デ・ラ・セルダ、「剛毛のフェルナンド」の意)と呼ばれ、彼の子孫はデ・ラ・セルダを苗字として名乗るようになった。しかし、15~16世紀ごろにはこれらの姓は、一般の人々の間でも使われるようになっていった。そのため、ポルトガル語圏におけるdeは必ずしも貴族の家系であることを意味していない。
前述の通り、deやその他の正書法のdo、dos、da、dasなどの前置詞が名前に使われているかどうかは、フランスのように貴族であるかどうかを示していない。ポルトガルの現代の法律では、身分証明書に記された名前にそれらの前置詞が含まれているか否かに関わらず、署名の際に自分の名前に前置詞を入れる権利、自分の名前から前置詞を省略する権利が認められている。実際、ポルトガル語の命名法では、冠詞と前置詞は単なる装飾とみなされている。例えば、João Duarte da Silva dos Santos da Costa de Sousaという名前の人物は、斜体で示した前置詞を全て省略してJoão Duarte Silva Santos Costa Sousaと署名することも法的に認められている。しかし、ポルトガルの貴族は、通常は前置詞は先頭に一つだけ使用し、苗字の最後の単語の前にe(英語のandに相当)を付けて前置詞を繰り返さないようにする。つまり、先ほどの例で言えば、João Duarte da Silva Santos Costa e Sousaと署名するのが伝統的でありまた品位のある署名とみなされている。この場合のeは、最初のdaを除く苗字に含まれる全ての前置詞を置き換えるものなので、前置詞なしで使用することはできない。この規則の例外は、eで結びつけられた重複した苗字でのみ現れる。たとえば、Diogo Afonso da Conceição e Silva(名前と母親の重複した苗字)Tavares da Costa(父親の重複した苗字)などと言うように、母親の苗字が父親の苗字の前にある場合である。
スペインでは、de(デ)が2つの異なる形式でノビリアリー・パーティクルとして使用されている。一つ目は、「父称 de 地名」式である[8]。例としては、15世紀の将軍のGonzalo Fernández de Córdoba(ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ)、14世紀の年代記作家・詩人のPero López de Ayala(ペロ・ロペス・デ・アヤラ)、欧州人として初めて太平洋に到達した探検家のVasco Núñez de Balboa(バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア)、その他多くのコンキスタドールなどが挙げられる[9]。もう一つは、苗字全体の前に不変化詞deを置く形式である。この形式はフランスのものとも似ているが、より曖昧である。というのも、特に貴族と関係しない単なる前置詞としてのdeと綴りの上で区別がないからである。例えば、De la Rúa(デ・ラ・ルーア、「通りの」の意)やDe la Torre(デ・ラ・トーレ、「塔の」の意)などがそれにあたる。父称を含まないノビリアリー・パーティクルとしてのdeの例としては、16世紀の初代サンタ・クルス侯爵Álvaro de Bazán(アルバロ・デ・バサン)、コンキスタドールのHernando de Soto(エルナンド・デ・ソト)などが挙げられる。フランス語とは異なりスペイン語にはエリジオンがないため、苗字が母音から始まったとしても、一部の例外を除いて縮約はほとんど起こらない。例外としては、パナマシティを建設したPedro Arias Dávila(ペドロ・アリアス・ダビラ)などがいる。その他の例外としては、deの後に定冠詞elがくる場合はdelに縮約される場合もある。例としては16世紀の詩人Baltasar del Alcázar(バルタザール・デル・アルカサル)などが挙げられる。
中世において、ラテン語・フランス語由来のde(ド)や、同じ意味の英語であるof(オブ)は、イングランドやウェールズにおいてしばしば名前に使われていた。例としては、Simon de Montfort(シモン・ド・モンフォール)やRichard of Shrewsbury(リチャード・オブ・シュルーズベリー)などが挙げられる。ただし、deの使用に関してはしばしば誤解を受けるが、ほとんどの場合deが使われるのはラテン語やフランス語で書かれた文書上においてである。当時、英語に翻訳する際に、deはofに変換されることもあれば、省略されることもあり、英語でそのまま使用されることはめったになかった。 また、deとofのどちらも単に出身地を表すために使用されることも多く、特に貴族の名前に限ったことではなかった。そのため、イングランドとウェールズにおいてはどちらの語もそれ自体が貴族の称号であると見なされてはいなかったということも重要な点である。
"Sir Thomas Joseph Trafford ... that he may henceforth resume the ancient patronymic of his family, by assuming and using the surname of De Trafford, instead of that of 'Trafford' and that such surname may be henceforth taken and used by his issue."[11]
しかし、歴史的に英国においては、このような複合姓は血統や社会的地位を指し示していることが多かったのも事実であり、ハイフンで結ばれた苗字は貴族やジェントリと結びついていたことも確かである。その理由は、嫡流が途絶えた貴族の家名を残すためであった。そのような事態になった場合、その家系の最後の当主は遺言書を通してその家の"name and arms(名前と紋章)"を残された財産とともに親戚の女系の男子に譲り、譲られた側はその名を継ぐための国王の許可を申請する、という手順が取られた。なお、申請者の母がheraldic heiress(ヘラルディック・エアレス。紋章を継ぐべき男性がいない場合に将来男児に継承させることを見越して紋章を受け継ぐ女子のこと)である場合も同様に国王の認可を受けることができるが、これはあまり一般的ではなかった。
スコットランドにおいては、厳密にはノビリアリー・パーティクルは存在しないが、of(オブ)の語がterritorial designation(テリトリアル・デジグネイション)として長く使われてきた。この用法では、例えば、Aeneas MacDonell of Glengarry(イニーアス・マクドネル・オブ・グレンガリー)などといったように、家の苗字に続いてofと地名が並ぶことになる。もし、苗字と地名が同一である場合は、ofの後に"that Ilk"(「その同類」の意)が続くこともある。例えば、 Iain Moncreiffe of that Ilk(イアン・モンクリーフ・オブ・ザット・イルク)などいうようになる。
テリトリアル・デジグネイションの承認は、スコットランドではロード・ライアン・キング・オブ・アームスによって管轄され、その者の生まれた、あるいは何らかの関係のある、一般的に町の一部を形成していない農村地域が付与される。ロード・ライアンは、テリトリアル・デジグネイションが認められるためには、「しっかりと証明された名前が付けられたかなりの領域の土地の所有権、つまり、「地所」、あるいは農場、または少なくとも5エーカー以上に及ぶ庭園を持った家の所有権("ownership of a substantial area of land to which a well-attested name attaches, that is to say, ownership of an 'estate', or farm or, at the very least, a house with policies extending to five acres or thereby")」が必要であるとしている[13]。この場合のテリトリアル・デジグネイションは、苗字の不可分な部分であると見なされ、それ自体が必ずしも歴史的な封建貴族であることを示すわけではないが、テリトリアル・デジグネイションは通常、先祖の身分にかかわらず下級貴族身分を与えるものとみなされるスコットランドにおける紋章(Scottish coat of arms)の許可とともに与えられるものと認識される。テリトリアル・デジグネイションを受ける権利は、紋章を帯びる権利を持たない者にも存在する可能性があるが、この権利は公式な承認を受けるまで有効にならない。 1945年から1969年にロード・ライアンを務めたThomas Innes of Learneyは、「これらの領地および主な名前の認可には、単なる臆説では不十分である("mere assumption is not sufficient to warrant these territorial and chiefly names")」と述べている[14]。スコットランドのテリトリアル・デジグネイションを受ける者はFeudal Baron(封建領主)かChief(氏族長)やChieftain(支族長)、Laird(レアード。lordと同義、「地主」の意)もしくはそれらの子孫のいずれかとなる[15][16]。ロード・ライアンはテリトリアル・デジグネイションを決定する最終裁定者であり、名乗りや称号などの身分を認める裁量権はスコットランドの裁判所において承認されている[17]。会話や書簡において、レアードは正確に彼の所有地の名前(特にローランド地方では顕著)や称号とともに呼称される。例としては、スコットランド女王メアリー・ステュワートに仕えたWilliam Maitland of Lethington(ウィリアム・メイトランド・オブ・レシントン)であれば、LethingtonあるいはMaitland of Lethingtonと称される。
スペイン本国以外のスペイン語圏の国々では、不変化詞deは特に法的な意味を持たずに使用されていた。メキシコ帝国のような短命に終わった一部の例外を除けばイスパノアメリカ諸国は独立後ことごとく共和制を採用したため貴族制度も廃止された(メキシコの貴族制についての詳細はen:Mexican nobilityを参照)。ラテンアメリカ諸国の名前に関する法律は国によって異なるが、時折貴族風の名前に改名することが許されている場合もある。例としては、国連事務総長を務めたペルーのJavier Pérez de Cuéllar(ハビエル・ペレス・デ・クエヤル)は、父Ricardo Pérez de Cuéllarの代に名前の最後であるPérezを苗字の一部にし、他のCuéllar姓と区別できるように改名している。
^Barthelemy, Tiphaine (June 2000). “Patronymic Names and Noms de terre in the French Nobility in the Eighteenth and the Nineteenth Centuries”. History of the Family5 (2): 181–197. doi:10.1016/S1081-602X(00)00041-5.
^Despite the addition of "d'Estaing" to the family name by his grandfather, Giscard d'Estaing is not descended from the extinct noble family of the Comtes d'Estaing. Giscard d'Estaing's grandfather adopted the "D'Estaing" name in 1922 because it had become extinct in his family (the grandfather was descended from another branch of the count's family through one of his great-great-grandmother – Lucie-Madeleine d'Estaing, dame de Réquistat – with two breaks in the male line): the lady Réquistat was the last to carry that surname in the grandfather's branch of the family, and so he successfully petitioned the government for the right to add it to his family name.
^Lucas, Colin (August 1973). “Nobles, Bourgeois and the Origins of the French Revolution”. Past & Present (Oxford University Press) 60: 90–91. doi:10.1093/past/60.1.84.
^Cardenas y Allende, Francisco de; Escuela de genealogía; Heráldica y Nobiliaria (1984). Apuntes de nobiliaria y nociones de genealogía y heráldica: Primer curso. (2nd ed.). Madrid: Editorial Hidalguía. pp. 205–213. ISBN978-84-00-05669-8
^Cadenas y Vicent, Vicente de (1976). Heraldica patronimica española y sus patronimicos compuestos: Ensayo heraldico de apellidos originados en los nombres. Madrid: Hidalguía. ISBN978-84-00-04279-0[要ページ番号]
^Article 195, Reglamento del Registro Civil: "On petition of the interested party, before the person in charge of the registry, the particle de shall be placed before the paternal surname that is usually a first name or begins with one" (for example, a birth may be registered for a "Pedro de Miguel Jiménez", to avoid having "Miguel" taken for a middle name). Article 206 does allow persons to remove de and an article from their surname, should they so desire.
^Adam, F.; Innes of Learney, T. (1952). The Clans, Septs, and Regiments of the Scottish Highlands (4th ed.). Edinburgh & London: W. & A.K. Johnston Limited. p. 404
^Adam, F.; Innes of Learney, T. (1952). The Clans, Septs, and Regiments of the Scottish Highlands (4th ed.). Edinburgh & London: W. & A.K. Johnston Limited. p. 401 ("Scottish law and nobiliary practice, like those of many other European realms, recognise a number of special titles, some of which relate to chiefship and chieftaincy of families and groups as such, others being in respect of territorial lairdship. These form part of the Law of Name which falls under the jurisdiction of the Lord Lyon King of Arms, and are recognised by the Crown. [...] As regards these chiefly, clan, and territorial titles, by Scots law each proprietor of an estate is entitled to add the name of his property to his surname, and if he does this consistently, to treat the whole as a title or name, and under Statute 1672 cap. 47, to subscribe himself so")