スティーブン・ピスコッティ
スティーブン・エドワード・ピスコッティ(Stephen Edward Piscotty, 1991年1月14日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州アラメダ郡プレザントン出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。フリーエージェント(FA)。愛称はモモ(MoMo)[2]。 経歴プロ入り前2009年のMLBドラフト45巡目(全体1357位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されたが、この時は入団せずスタンフォード大学に進学した。 プロ入りとカージナルス時代2012年のMLBドラフト1巡目追補(全体36位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。当時のポジションは三塁手だった。契約後、傘下のA級クァッドシティズ・リバーバンディッツでプロデビュー。55試合に出場して打率.295、4本塁打、27打点、3盗塁を記録した。 2013年はA+級パームビーチ・カージナルスとAA級スプリングフィールド・カージナルスでプレーし、2球団合計で112試合に出場して打率.295、15本塁打、59打点、11盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ソルトリバー・ラフターズに所属した[3]。 2014年はAAA級メンフィス・レッドバーズでプレーし、136試合に出場して打率.288、9本塁打、69打点、11盗塁を記録した。 2015年は開幕をAAA級メンフィスで迎え、87試合に出場して打率.272、11本塁打、41打点、5盗塁を記録した。7月21日にメジャー初昇格を果たし、アクティブ・ロースター入りした[4]。同日のシカゴ・ホワイトソックス戦にて「8番・左翼手」で先発出場し、4打数1安打を記録した[5]。メジャーでは控え外野手として63試合に出場し、打率.305、7本塁打、39打点、2盗塁だった。守備では左翼手をメインに守ったが、55試合で2失策、守備率.965だった。次いで15試合で守った右翼手が無失策だった(中堅手は1試合のみ)。外野以外に一塁手も11試合守り、無失策だった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では1.0ポイントを獲得し、6位タイに入った[6]。 2016年は右翼手のレギュラーに定着し、153試合に出場。打率は.273、35二塁打、22本塁打[7]チームトップの85打点を記録した。守備成績は右翼手は146試合で4失策、守備率.985。中堅手10試合と一塁手1試合でも守りに就いた。オフに、2022年までの6年総額3250万ドル(7年目の2023年は年俸1500万ドルの球団オプション)の複数年契約を締結した[8]。 2017年は107試合に出場して打率.235、9本塁打、39打点、3盗塁を記録した。 アスレチックス時代2017年12月14日にジャイロ・ムニョス、マックス・シュロックとのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[9]。 2018年は151試合に出場して打率.267、27本塁打、88打点、2盗塁を記録した。 2022年8月16日にチームオプションを破棄され、自由契約となった。 レッズ傘下時代同年8月23日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、同日中に傘下のAAA級ルイビル・バッツに配属された。オフの11月10日にFAとなった。 選手としての特徴広角に打球を飛ばす中距離打者。走攻守そつなくこなすタイプも、強力といえるツールが肩だけなので「第4の外野手」止まりの可能性がある[10]との声もあったが、2016年より完全にレギュラーに定着した。 人物・エピソード2017年オフのトレード移籍は、母親のグレッチャンが難病のALSを発症したため、ピスコッティがカージナルスに対して地元・オークランドでのプレーを直訴。まだ、26歳と若く将来の主砲候補だったピスコッティだが、カージナルスはこれを快諾してアスレチックスにトレードを打診。アスレチックスもこれを了承したことでトレードが実現した。各メディアはこのトレードを称賛し、父親のマイクもメディアを通じて感謝の意を表した[9][11]。 グレッチャンは2018年5月に亡くなった。その直後、ピスコッティは忌引リストからの復帰初戦となった5月15日のボストン・レッドソックス戦での第1打席で本塁打を放った[12]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
Information related to スティーブン・ピスコッティ |