ジェフ・デューク(Geoffrey "Geoff" Ernest Duke OBE、1923年3月29日 - 2015年5月1日)は、イギリスの元オートバイレーサー。ランカシャー(現在のマージーサイド)のセント・ヘレンズ出身。6回のロードレース世界選手権チャンピオンと5回のマン島TTレース勝利を記録した、1950年代のモーターサイクルレースを代表するライダーであり、第二次大戦後最初のロードレース界のスーパースターである。単に「ザ・デューク」とも呼ばれる。
経歴
デュークが最初にモータースポーツの世界で名を知られるようになったのはトライアルライダーとしてだった。自分で購入したトライアルバイクで頭角を現したデュークはすぐにBSAと契約し、後にはノートンから声を掛けられた[1]。
この頃すでにロードレースに関心を持っていたデュークは、1948年のマンクスGPにノートンから借りたファクトリーマシンで出場し、結果はリタイヤとなったものの一時は3位につける走りで注目を浴びた。そして1949年、プライベーターとしてノートンのマシンを駆ってマン島TTレース・クラブマンクラスで優勝、同じ年のマンクスGPシニアクラスでも優勝を飾り、ノートンファクトリーからオファーを受ける。
こうしてノートンと契約したデュークは1950年、マン島ではジュニアクラスで2位、シニアクラスではラップタイムとレースタイムの両方でそれまでの記録を破って優勝を飾った。世界選手権シリーズではわずか1ポイント差で500ccクラスタイトルを逃したが、翌1951年にはマン島の優勝に加えて選手権シリーズにおいても350ccクラスと500ccでダブルタイトルを獲得する活躍でノートンの期待に応えた。1951年にはスポーツマン・オブ・ザ・イヤーと王立自動車クラブ(RAC)のシーグレーヴ・トロフィーを受賞、1953年には大英帝国勲章(OBE)を受賞している。
ノートンのファクトリーライダーとして3シーズンで3個のタイトルを獲得したデュークは、1952年のシーズン終了後、翌年はイタリアのメーカーであるジレラに移籍することを発表した。すでにイギリスの国民的英雄となっていたデュークの他国メーカーへの移籍は波紋を呼び、デュークは納得のいく理由を求められる事態になったが、この移籍の真相については明確な記録は残っていない[1]。ジレラに移籍してからの強さは圧倒的となり、1955年まで3年連続500ccクラスチャンピオンを獲得した。
1955年のマン島では、デュークは初めて平均速度100mph(約160km/h)を超えたとされたが、これは後に99.97mphであったと訂正された[2]。この後、デュークが怪我のために出場できなかった1957年に、ジレラに乗るボブ・マッキンタイヤが公式に100mphを記録している。
1956年、デュークは小排気量クラスのライダーたちが起こしたスターティングマネーを増額するように求める運動を支援した結果、FIMから6ヶ月の出場停止処分を受けてしまう。これによってデュークの4年連続チャンピオンの望みは絶たれてしまった。これ以後、デュークは怪我に泣かされたり、またジレラのグランプリ撤退によりプライベーターとしての参戦を余儀なくされたこともあり、チャンピオンに返り咲くことなく1959年シーズンを最後にグランプリから引退した。
引退後はマン島に移り住んでホテル経営などの事業家に転身した[1]。2002年にはMotoGP殿堂入りを果たした。
エピソード
- 空気抵抗を考慮して体にフィットしたワンピースの革ツナギを初めて着用したライダーであった。[1]
- マン島ではTTレースで数々の記録を残したライダーとして非常に尊敬されており、マウンテンコースの Brandywell と Windy Corner の間の32マイル標識付近の3つの急カーブはデュークにちなんで Duke's Bends と名付けられている。[3]
- 引退後の1960年、八重洲出版(当時は実質的にMCFAJと一体)の招きに応じて来日し、清原飛行場跡(現宇都宮清原工業団地)の仮設コース(MCFAJ主催の第3回全日本クラブマンレースのコース)や、朝霧高原の全日本モトクロス(MCFAJ主催)の会場でデモ走行を行った。さらにホンダ、スズキ、ヤマハといったメーカー各社を訪問して話し合いを行い、モータースポーツ黎明期の日本のメーカーや関係者に様々な助言を与えた。[4]
- 息子のピーターはモータースポーツ専門のビデオ出版社であるデューク・ビデオ社を設立して成功を収めている。
ロードレース世界選手権での戦績
- 凡例
- イタリック体のレースはファステストラップを記録。
[5]
脚注
外部リンク
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