アラ・カチュー(キルギス語: Ала качуу)とは、キルギスなど中央アジアのいくつかの国で行われている婚姻の形で、誘拐婚の一種。キルギス語で「掴んで逃げる(grab and run)」の意[1]。研究者であるクラインバック、アブレゾバ(Ablezova)、アイティエヴァ(Aitieva)の論文によると言葉の定義は広い[2]。元々は古代の合意のある穏やかな結婚[2]、もしくは半伝説的な駆け落ちを指す言葉だった[3]。20世紀以降は、合意のあるアラ・カチュー(駆け落ち)と、合意のないアラ・カチューが存在する。2005年に行われた婚姻の3分の1以上が合意のないアラ・カチューによると見られ[4]、2008年から2011年にかけての調査では半数前後を占める地域もある[5]。合意のない形態では、若い男性が友人たちと共に女性を説得し、あるいは力ずくで誘拐し、親族の待つ家まで連れていく[2]。求婚された女性は結婚を承諾するまで、男性の親族である女性たちに部屋に閉じ込められ、説得され続ける[2]。その過程で女性が一晩監禁されたり性的暴行を受けることもある[2]。国民の75%がイスラム教徒であるキルギスでは[6]、処女性は婚姻の際に重視される[7]。そのため、断れば女性はその後結婚できなくなることが多い[6]。アラ・カチューはソ連時代の1928年に法律で禁止され[8][9]、1991年のキルギス独立後も、1994年に違法と制定された[6][4]。それにもかかわらず、警察も裁判官も黙認している[10]。そのため依然としてアラ・カチューは続けられ、国際的にも大きな人権問題として取り上げられている[11]。クラインバックらは適切な教育の徹底を訴えている[12]。
地方を中心に、首都ビシュケクでも行われている。キルギスではソ連の崩壊後、反米主義とそこから来る伝統回帰を求める動きが活発になっている[13]。フィラデルフィア大学(後にトーマス・ジェファーソン大学に吸収合併)の名誉教授であるラッセル・クラインバックおよび誘拐婚撲滅を目指すNGO設立者のGazbubu Babaiarovaによると、2013年の時点で、アラ・カチューは過去半世紀以上にわたってキルギス国内で増加傾向にある[14]。その方法は年々合意を得ないものとなっており[14]、時には性的暴行を含むきわめて暴力的なものに変異しているという[15]。
クラインバックは、既婚女性の35-45%がアラ・カチューによる結婚を強いられていると推定している[10]。また、68-75%のキルギス国内での結婚は誘拐婚によるものだと、Babaiarovaは主張している[16]。しかし、本来イスラム教では、女性の合意がない結婚は認められていない[17]。 8割の女性は誘拐された後その家にそのまま嫁ぐ[18]。少なくとも三分の一の既婚女性が自分の意志に反して誘拐されている[4]。 2011年の "The Advocates for Human Rights" による調査結果では、アラ・カチューが以後さらに増加する可能性が指摘された[19]。その正確な数については分かっていない[20]。
クラインバックおよびBabaiarovaは、法の厳罰化を否定はしないまでも、国民の教育を徹底することの重要性を唱えている[12]。両者が2013年時点でのアラ・カチューの重要な特徴として指摘するのは、以下の2点である。一つ目に、キルギスでは、アラ・カチューによる結婚が男らしいとして好ましく思う男性も一部に存在するものの、一方でアラ・カチュー以外の結婚方法が特に忌避されている訳ではないこと[21]。二つ目に、キルギスでは、法律や宗教よりも伝統を尊重する傾向があり、伝統的な英雄叙事詩『マナス』にアラ・カチューの根拠があると誤解されていることが挙げられる[22]。
一つ目の特徴から以下の点を指摘して教育を施し、アラ・カチューの問題点を数値で具体化して、通常の結婚方法の魅力を相対的に上昇させることが効果的とクラインバックとBabaiarovaは述べている[23]。
また二つ目の問題に対しては、合意のないアラ・カチューはキルギス本来の伝統に反する行為であると実証的に示し、キルギス人の伝統を尊重する精神に訴えかけることが効果的だとした[23]。このような教育プログラムを、農村部の10か村および都市部のカラコルで1年間試験的に実施したところ、その地域の婚姻全体における合意のないアラ・カチューの割合を約1/2から約1/4にまで減らすことができたという[5]。
研究者であるトゥルスーノフ(Toursunof)及びアブディルダエヴァ(Abdyldaeva)によると、アラ・カチューは元々古代キルギスに見られた、敵の一掃と部族繁栄のために他の部族から結婚できる女性をさらうという慣習を意味した[2]。この慣習では女性は合意の上で婚約者の元に連れていかれ、望めば離婚もできた[2]。研究者のアブラムゾン(Abramzon)は合意のない誘拐はそういった慣習とは異なったものと指摘している[2]。クラインバックはもし暴力的な誘拐婚が本当に風習として存在するのであれば、叙事詩として語り継がれる英雄マナスの叙事詩に記載があるはずだとするが、その記述は見られないとクラインバックは指摘している[24][注釈 1]。
マナスチ(英雄叙事詩『マナス』の伝承者)の一人であるTalantaaly Bakchievによれば、アラ・カチューの伝説は、『マナス』ではなく、17世紀から18世紀ごろの民話にある悲恋譚に遡ることができるという[3]。昔々、イシク・クル湖への途上にあるボーム峡谷(英語版)の辺りに、Kiz-Kuioo(「少女―夫」)という地があった[3]。そこに、深く愛し合う若い恋人同士がいた[3]。二人は親から結婚を反対されたために、少年はクゥズ・アラ・カチュー(kyz-ala-kachuu)=「少女を掴んで逃げる」、つまり少女と駆け落ちした[3]。そして、二人はボーム峡谷から身投げして心中してしまったのだという[3]。「掴む」という語が用いられたのは、少女から少年への合意がなかった訳ではなく、ソ連時代以前の思想では女性は家の所有物と考えられた(少年はその思想に挑戦した)ためである[3]。この伝承は「ブームジョージ」として知られ[26]、Bakchievはこの伝説で示されるように、アラ・カチューは合意のある形態(事実上の駆け落ち)が本来の語義であると主張している[3]。社会学・文化人類学研究者のクラインバックらによれば、ソ連時代以前アラ・カチューはほとんど行われることがなかったと述べている[3]。前述の通り半ば伝説的なものであり、氏族間の抗争にも発展しかねない重大事だったことが理由とされている[3]。
この風習が広がったきっかけには諸説あり、12世紀にイスラム教が伝わったことや、民族間で馬や女性を奪い合う文化に基づいて生まれたとする指摘もある[4]。クラインバックの指摘によると、この風習が生まれたのはソ連時代に入り、遊牧から定住に生活が大きく変化したことがきっかけである[10]。それまで見合い結婚がキルギスでは主流だった。当時の誘拐婚は親の決めた結婚に反対し、駆け落ちするためのものであった[27]。しかしソ連の時代に遊牧生活から定住生活に変化し、男女平等の考え方が広がった結果、自由恋愛によって自分で結婚相手を選びたいと考える人々が増えた[27]。その際、過去に行われた駆け落ちが曲解されて伝わっているケースが指摘されている[28]。この風習の大本は、旧ソ連の内コーカサスに伝わる土着のものである[17]。
ソ連時代、アラ・カチューは「慣習に基づく犯罪」の一つとして違法と定められた[8][9]。すなわち、ソ連の主たる構成国であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は、1928年4月、同国犯罪法への特別附則第10章として、「部族体制の慣習に該当する犯罪」(ロシア語: Преступления, составляющие пережитки родового быта[29])を制定し、「血の報復」をはじめ、非ヨーロッパ系の諸部族の伝統文化の多くを犯罪と見なし、これらを禁じた[9]。同附則には、伝統文化における女性の低い地位に対処するための法も包括的に含まれており、花嫁代償・児童婚・強制結婚・誘拐婚・強姦・複婚・レビラト婚などが違法とされた[9]。誘拐婚は2年以下の拘禁刑だった[9]。1991年にキルギスがソ連から独立した後も、同国の犯罪法では違法とされ、7年以下の拘禁刑と定められた[30]。
しかし、1991年のソ連からの独立をきっかけとして、急激にアラ・カチューは広がった[30]。その主な理由の一つとして、研究者のロリ・ハンドラハン(L. M. Handrahan)は、ソ連体制下では抑圧されたキルギス文化のアイデンティティの象徴の一つとして、アラ・カチューが好意的に受け止められたことを挙げている[30]。実際には誘拐婚はキルギス特有の文化ではなかったが、70年間続いたソ連による統治とロシア化政策によって、国家のアイデンティティが劇的に混乱していたのであるという[30]。
2001年には国会でキルギスにおける男女の平等が受託され、2003年には大統領の署名も得ている[19]。特に農村部では女性が就学年齢である16歳から被害に遭うことが多い。そのため、2011年に可決した女性の婚姻年齢を引き上げる法案はアラ・カチューから保護するために作られた[31]。また、アラ・カチューを原因とする生活難によって2人の女性が自殺した後、改善を要求する声が両親たちから上がった[32]。2013年1月の法改正で、女性の誘拐による拘禁刑が3-7年だったものが5-10年と罰則が強化された[33]。2013年現在はキルギスの民法154条「17歳未満の人間の事実婚の強要」(キルギス語: 154-статья. Он жети жашка толо элек адамды иш жүзүндө никелик мамилелерге өтүүгө мажбурлоо[34])並びに155条「女性への結婚の強要、誘拐婚、結婚の防止」(キルギス語: 155-статья. Аялды никеге турууга мажбурлоо, никеге туруу үчүн аны ала качуу же анын никеге турушуна тоскоолдук кылуу[34])に触れるとされる[35]。2016年には18歳未満の女性の結婚を地元の宗教指導者であるイマームが認めることを有罪とする法改正が行われた[36]。この法案は2012年にもキルギス国会に提出されていたがその際は否決されており、違法だが黙認されている重婚が取り締まられる可能性の危惧とジャーナリストのクリス・リックルトンは分析している[37]。2018年5月には誘拐婚の被害者が誘拐犯によって警察署内で刺殺される事件が発生し、警察署内で20人以上が職務怠慢による処分対象となった他[38]、6月6日にはビシュケクにて学生を含む1,000人以上による誘拐婚への抗議のデモが行われた[39]。この事件の被告は殺人および結婚目的の誘拐により禁固20年の有罪判決が下され、それを幇助した人物にも禁固7年の刑が下された[40]。国際連合児童基金によると2014年から2018年には147件が国を問わず報告されたが、2019年の前期6ヶ月で118件が新たに報告されている[41]。
2021年4月5日に誘拐殺人事件が発生した[42]。誘拐に使用された車の情報が判明していたにもかかわらず、誘拐された女性が車内に遺体で発見され[43]、加害者の男性も死亡した[42]。これにより、首都の内務省前には500人ほどの人の集まるデモが行われた[43]。
キルギス政府は統計を取っておらず、アラ・カチューの被害者の正確な総数は不明である[44]。アメリカ大学中央アジア(英語版)の調査によれば、ある村の既婚女性のうち、16-25歳では63%、36-56歳では47%、76歳以上では27%が同意なしに誘拐されたものだったという[45]。同調査では、既婚のキルギス人女性の約35-40%が強制的に結婚させられていたことが分かったとしている[45]。毎年の被害者数は、1万人[46]、あるいは1万5000[47]と推計されている。いくつかの報告では、キルギスでは1日当たり32件のアラ・カチューと6件のレイプが発生している[48]。被害者のほとんどは25歳未満の少女であり、未成年者の場合もある[49]。国連によれば、24歳未満のキルギス人女性の13.8%は意思に反して結婚させられているという[46]。一方、クラインバックは、2005年以降の法改正や教育によって、2019年までにアラ・カチューは若干減少していると述べている[50]。
キルギスの統計委員会によると、農村部では都市部のほぼ2倍の頻度でアラ・カチューが発生している[51]。元はキルギスの地方における風習であったが、2013年に撮影されたViceのドキュメンタリーによると2007年に公開された映画『盗まれた花嫁』の影響で、都市でも増加している[52]。また両親に婚姻を反対された恋人が駆け落ちする話は、キルギス内でテレビドラマや映画の題材にされている[26]。一方で首都ビシュケクでも行われていることを知る人間は少ないとされる[33]。キルギス以外では、カザフスタンでも行われたケースが確認されている[53]。
近年の暴力的なアラ・カチューは伝統ではないとする批判もある[71]。またキルギス内でもこの風習を根絶させようとする動きがみられる[32]。
西洋諸国や女性団体からは女性の人権侵害であるとして批判されている[105]。日本では複数のテレビ番組で取り上げられた[106][107]。しかしテレビではセンセーショナルな話題ばかりにスポットライトが当てられ、問題の複雑さや難解さに焦点が当てられないといった指摘がある[66]。金沢大学法学類教授の仲正昌樹は、『NEWSポストセブン』の取材にて完全な人権侵害とするには中途半端な印象があり、抑制的な一面があることを指摘している[108]。
2018年5月31日に国際連合はアラ・カチューがキルギスの文化ではなく弱い人々への権利の侵害だとする声明を出した[36]。また24歳未満の女性の13.8%が被害に遭ったと指摘し、根絶するようキルギスに求めた[109]。
これまで上記ではいわゆる犯罪に当たる誘拐婚に焦点を当ててきたが、一方でアラ・カチューには両者の合意の上での駆け落ちとしての側面も存在する。かつて許嫁と結婚することが一般的だった際に、恋人同士で合意の元に駆け落ちすることも、アラ・カチューと呼ばれた[110]。あらかじめ結婚に同意の上で女性が男性の家に入ったのちに、女性の親への報告がなされる結婚も、誘拐結婚と呼ばれる場合もある[111]。これが行われる理由に以下のものが挙げられる。
2008年に農村部10か村で行われた調査によると、全体の婚姻で女性がインタビューに応じた件数(52%・75件)のうち、その年に行われた合意のあるアラ・カチュー(駆け落ちとしてのアラ・カチュー)は、17%だった[5]。これに対し、合意のないアラ・カチューは51%だった[5]。研究者のクラインバックおよび活動家のBabaiarovaらが、これらの村落に1年の教育を実施したところ、駆け落ちは22%に上昇し、合意のない形態は27%に減ったという[5]。
2010年から2011年の都市部カラコルの調査では、駆け落ちとしてのアラ・カチューは一件もなく、すべてのアラ・カチューが合意のない形態だった(婚姻全体の45%)[5]。クラインバックとBabaiarovaらが、大学などで1年の教育を実施したところ、婚姻全体に占める駆け落ちの割合がゼロから7%になり、合意のない形態は24%に減ったという[5]。
2004年にはカナダの映画監督であるPeter Lomがアラ・カチューに関するドキュメンタリー映画を制作した[113]。この映画はこの現象に焦点を当てたセミナーにて上映された[114]。2007年には映画『盗まれた花嫁(英語版)』が公開された。本作では幸せな結婚に繋がる誘拐婚について描いており、監督のエルネスト・アブドジャパロフ(キルギス語版)はこの事象を文化と呼んでいる[14]。2019年にはキルギスの公共放送局にてアラ・カチューの後の恋愛を扱ったテレビシリーズ『Акшоола』を放映した[115][116]。シリーズのディレクターであるЫрыс Океноваは女性は男性に対しもより慎重になる必要があると述べている[116]。2019年の秋ビシュケクとオシの映画配給で誘拐婚とその社会的圧力について芸術的に描いた映画『Жамгырдан кийин』(雨上がり)が公開された[117][118]。2020年6月にはアラ・カチューに抗うスマートフォン向けゲームがリリースされた[47][119]。また同年にはMaria Brendleにより映画『Ala Kachuu - Take and Run』(仮題:アラ・カチュー 誘拐結婚[120])が公開された[121]。映画の製作費用はクラウドファンディングによって集められた[122]。本作はアメリカ合衆国ロード・アイランド州のThe Marlyn Mason Award 2020で大賞を受賞したほか[123]、2020 Film Pittsburgh Fall Festivalにて審査員賞のうちBest Narrative Short Winnerを受賞した[124]。
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