この項目では、1905年に設立されたコルシカ島・バスティアのサッカークラブについて説明しています。1920年に同じ都市に設立されたサッカークラブについては「CAバスティア 」を、1920年に設立されたコルシカ島・ビグーリアのサッカークラブについては「ÉFバスティア 」を、イタリア・バスティーア・ウンブラのサッカークラブについては「ACバスティーア1924 」をご覧ください。
SCバスティア (Sporting Club Bastiais, コルシカ語 : Sporting Club di Bastia )は、フランス ・コルシカ島 ・コルス地方公共団体 ・バスティア を本拠地とするサッカー クラブチーム。2021-22シーズンからはリーグ・ドゥ に所属する。
歴史
UEFAカップ1977-78 のPSVとの決勝の様子
主なタイトルは1961年に獲得したフランスカップ 。また、1978年にUEFAカップ 決勝にまで進んだが、PSVアイントホーフェン に敗れた。1981年には決勝でASサンテティエンヌ に勝利してフランス杯優勝を果たしている。同じコルシカ島を本拠地とするACアジャクシオ とはライバル関係にあり、両チームの対戦は「コルシカ・ダービー」と呼ばれる。
1992年5月5日、フランス杯準決でオリンピック・マルセイユ をホームで迎えた。対戦相手のクオリティーとクラブの躍進が並々ならぬ話題を呼び、コルシカ全体が熱気に包まれていた。キックオフの数分前に歓喜が頂点に達し、多くのサポーターを満足させようとして急遽建てられた仮設の北スタンドが崩壊。のちにフリアニの悲劇 と呼ばれ、この事故によって18人が亡くなり、2,300人以上が負傷した[ 2] 。
2005年に親会社が破産してリーグ・ドゥ (2部)への降格処分を受け、2010年にはフランス全国選手権 (3部)へ再度降格。しかし、その翌年にフランス全国選手権で優勝して1年で返り咲くと、2012年にはリーグ・ドゥでも立て続けに優勝し、3部降格から2年で再びリーグ・アン の舞台へ舞い戻った。
2014-15シーズン からはクロード・マケレレ が指揮するも、リーグ戦で2勝しか挙げられず11月に解任された[ 3]
2016-17シーズン に最下位となり、リーグ・ドゥ降格が決定したが、2017年6月22日、リーグ・ドゥに参加するための資金調達が困難となったため、DNCG (フランスサッカー経営管理総局)はフランス全国選手権 への降格を申し渡した。2017年8月、更なる財政不正問題でフランス全国選手権3 に降格となった[ 4] [ 5] 。
5部リーグ1年目は2位となり昇格を逃したが、翌年の夏にはバスティア 出身でかつてクラブにも在籍し、当時チュニジア代表 で10番を背負っていたワフビ・ハズリ からの資金援助[ 6] も追い風となり3シーズン連続で首位昇格を果たした。
バスティアとコルシカのナショナリズム
1700年代に起きたコルシカ独立戦争 に代表されるように、コルシカ島 はかつてより独立や自治権拡大を強く求めている。コルシカでナポレオン・ボナパルト が誕生する3ヶ月前にフランス領になったが、島はそれ以前の紀元前からどこかの植民地として扱われてきた歴史があるからである[ 注釈 1] [ 7] 。
独立志向はコルシカを拠点に活動するバスティアのサポーターらにも反映されており、クラブの公式サイトは主にフランス語 で案内されているが、一部のサポーターらはコルシカ語 で案内するべきと主張している[ 8] 。
また、人口も少ないコルシカのクラブがフランスの主要タイトルを獲得する機会は限られ、故にクラブが脚光を浴びるような活躍を見せるとサポーターはフランス中に恨みをぶつける機会を得ようと躍起になる。とりわけ、パリFC やパリ・サンジェルマンFC などフランスの首都パリ を拠点とするクラブと対戦する際には抗議がより一層活発になる[ 9] 。例えば、1994-95シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ 決勝でパリ・サンジェルマンとパルク・デ・プランス 対戦で対戦することになった際には、タイトル獲得の可能性がありながらバスティアはベストメンバーでは臨まないと抗議した[ 10] 。
他にも、2002年にクープ・ドゥ・フランス 決勝でFCロリアン と対戦した際には、試合前のラ・マルセイエーズ 斉唱中に2万人以上のコルシカ独立派が絶え間なくブーイングをした。そのブーイングはフランス大統領選挙を終えて観戦に訪れていたジャック・シラク 大統領が激怒し、試合開始を待たずに帰路に就くほどのものであった。さらに2014年にもOGCニース との試合でバスティアが勝利すると、バスティアの控えGKジャン=ルイ・レカ (英語版 ) がコルシカ国旗を振って勝利を祝ったことを受けてニースのサポーターらがピッチに乱入し衝突する出来事があった。なお、試合前、バスティアに関連する色やシンボルを振り回すことは、挑発的な行為となる可能性があり、暴力事件のリスクを高めるという理由で、地域当局によって禁止されていた。しかしクラブはレカは単にコルシカ人選手が重要な勝利を祝ったに過ぎないと主張し擁護した。その後も試合のオープニングセレモニーでのコルシカ国旗を含む地方旗の掲揚禁止令について、SCバスティアと地元のライバルACアジャクシオ の一部サポーターらは拒否し、さらに一部の独立運動家はこのような規制の実施はコルシカ人への人種差別に相当すると主張した[ 8] 。
つまり、非常に長い間植民地化されてきたコルシカの人々にとって、SCバスティアは単なるサッカークラブ以上の存在でありコルシカのナショナリズム と地域アイデンティティに深く結びつき、クラブの活動や成功はコルシカの文化的、社会的、経済的な発展に大きく寄与している。
エンブレム
エンブレムに描かれているムーア人の頭
SCバスティアのエンブレムには「ムーア人の頭」と呼ばれるシンボルが描かれているが、彼らがこれを選んだのには約900年前まで遡る必要がある。
アラゴン王国の国章
1096年、ペドロ1世 のアラゴン軍 はアル=ムスタイン2世 (英語版 ) 率いるサラゴサ 軍ら連合軍の前に圧倒的劣性で敗北は必至だった。しかし、(伝説として)聖ゲオルギオス が戦場に現れアラゴン軍に味方し4人のムーア人 指揮官の首を刎ねて勝利を収めた。その勢いのままペドロ1世はウエスカ を占領し、アラゴン軍はレコンキスタ の期間中最初の都市をイスラム教徒から奪還した。この転機はアラゴン王国にとって重要な出来事であり、王国の紋章にも4人のムーア人の首が描かれた。
1755年までのコルシカの国旗
この時期、ペテロ1世はコルシカ島を含む地中海一帯を支配していたため、王国内での地位を示すものとして軍事上重要な拠点であったコルシカ島には首を落とされたムーア人のシンボルが与えられた。それから、このシンボルはパスカル・パオリ によるコルシカ独立戦争 を経てコルシカ共和国 が成り立った18世紀半ばまで変わらなかった。独立までの国旗は斬首のために目隠しをされたムーア人の頭であったが、パオリはコルシカが独立するに際し「コルシカ人ははっきりと見たい。自由は哲学の松明によって歩まなければならない。(The Corsicans want to see clearly. Freedom must walk by the torch of philosophy)[ 注釈 2] 」と述べ、布で目を覆わず現在のように額に上げるように命じた。
エンブレムにあるムーア人の頭は、かつてコルシカの人々が受けた支配とその支配からの解放のシンボルで彼らの闘争と独立の歴史を思い起こさせるものであり、コルシカ人の誇りとアイデンティティの象徴とされている。そして、SCバスティアを含む今日までコルシカ島に現存するクラブチーム全て(ACアジャクシオ、Gazelec Ajaccio)は、コルシカの歴史を語る上で欠くことのできないこのシンボルをエンブレムに描いている[ 11] 。
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
過去の成績
シーズン
リーグ戦
カップ戦
リーグ杯
ディビジョン
順位
点
試
勝
分
敗
得
失
差
1965-66
ディヴィジオン・ドゥ
4位
45
36
18
9
9
60
46
+16
ベスト32
1966-67
3位
44
34
19
6
9
48
34
+14
ベスト8
1967-68
1位
50
34
21
8
5
53
22
+31
ベスト64
1968-69
ディヴィジオン・アン
6位
34
34
13
8
13
50
66
-16
ベスト64
1969-70
17位
24
34
10
4
20
50
74
-24
ベスト16
1970-71
17位
32
38
12
8
18
52
83
-31
ベスト64
1971-72
9位
42
38
20
2
16
58
57
+1
準優勝
1972-73
9位
38
38
15
8
15
59
41
+18
ベスト32
1973-74
15位
41
38
14
8
16
44
49
-5
ベスト8
1974-75
6位
45
38
15
11
12
54
47
+7
ベスト4
1975-76
8位
45
38
14
13
11
59
53
+6
ベスト8
1976-77
3位
47
38
20
7
11
82
53
+29
ベスト64
1977-78
5位
44
38
19
6
13
62
44
+18
ベスト8
1978-79
14位
35
38
13
9
16
53
65
-12
ベスト16
1979-80
16位
32
38
14
4
20
39
51
-12
ベスト64
1980-81
12位
35
38
13
9
16
50
55
-5
優勝
1981-82
12位
35
38
12
11
15
43
65
-22
ベスト4
1回戦敗退
1982-83
17位
32
38
9
14
15
41
52
-11
ベスト32
1983-84
10位
36
38
14
8
16
36
43
-7
ベスト32
2回戦敗退
1984-85
14位
32
38
11
10
17
39
68
-29
ベスト16
1985-86
20位
20
38
5
10
23
30
79
-49
ベスト32
2回戦敗退
1986-87
ディヴィジオン・ドゥ
5位
41
34
17
7
10
62
50
+12
ベスト32
1987-88
8位
33
34
15
3
16
41
52
-11
ベスト32
1988-89
5位
51
34
14
9
11
46
44
+2
7回戦敗退
1989-90
6位
39
34
14
11
9
46
38
+8
ベスト64
1990-91
6位
35
34
12
11
11
46
35
+11
ベスト64
ベスト16
1991-92
4位
39
34
12
11
11
56
46
+10
ベスト4
1回戦敗退
1992-93
7位
37
34
11
15
8
52
39
+13
7回戦敗退
1993-94
3位
53
42
21
11
10
44
29
+15
ベスト32
1回戦敗退
1994-95
ディヴィジオン・アン
15位
44
38
11
11
16
44
56
-12
ベスト16
準優勝
1995-96
15位
44
38
12
8
18
45
55
-10
ベスト64
ベスト32
1996-97
7位
61
38
17
10
11
54
47
+7
ベスト32
ベスト32
1997-98
9位
50
34
13
11
10
36
31
+5
ベスト32
ベスト32
1998-99
13位
38
34
10
8
16
37
46
-9
ベスト64
ベスト32
1999-2000
10位
45
34
11
12
11
43
39
+4
ベスト64
ベスト4
2000-01
8位
45
34
13
6
15
45
41
+4
ベスト16
ベスト16
2001-02
11位
41
34
12
5
17
38
44
-6
準優勝
ベスト8
2002-03
リーグ・アン
12位
47
38
12
11
15
40
48
-8
ベスト64
ベスト32
2003-04
17位
39
38
9
12
17
33
49
-16
ベスト64
ベスト16
2004-05
19位
41
38
11
8
19
32
48
-16
ベスト64
ベスト16
2005-06
リーグ・ドゥ
6位
58
38
16
10
12
47
40
+7
ベスト16
1回戦敗退
2006-07
9位
53
38
14
11
13
52
49
+3
ベスト64
2回戦敗退
2007-08
11位
49
38
14
9
15
45
46
-1
ベスト16
2回戦敗退
2008-09
11位
48
38
13
9
16
38
47
-9
8回戦敗退
ベスト32
2009-10
20位
39
38
10
9
19
40
48
-8
7回戦敗退
1回戦敗退
2010-11
フランス全国選手権
1位
91
40
27
10
3
81
24
+57
7回戦敗退
ベスト16
2011-12
リーグ・ドゥ
1位
71
38
21
8
9
61
36
+25
ベスト16
1回戦敗退
2012-13
リーグ・アン
12位
47
38
13
8
17
50
66
-16
ベスト32
ベスト8
2013-14
10位
46
38
12
10
16
42
58
-16
ベスト32
ベスト16
2014-15
12位
47
38
12
11
15
37
46
-9
ベスト32
準優勝
2015-16
10位
50
38
14
8
16
36
42
−6
ベスト32
3回戦敗退
2016-17
20位[ a]
34
38
8
10
20
29
54
-25
ベスト32
ベスト16
2017-18
フランス全国選手権3
2位
53
26
15
8
3
46
18
+28
3回戦敗退
2018-19
1位
61
24
19
4
1
62
9
+53
ベスト16
2019-20
フランス全国選手権2
1位
53
21
17
2
2
37
15
+22
5回戦敗退
2020-21
フランス全国選手権
1位
66
34
19
9
6
57
28
+29
5回戦敗退
大会廃止
2021-22
リーグ・ドゥ
12位
46
38
10
16
12
38
36
+2
ベスト8
2022-23
4位
60
38
17
9
12
52
45
+7
ベスト32
2023-24
13位
50[ b]
38
14
9
15
44
48
-4
7回戦敗退
2024-25
位
38
^ 財政不正を含む財政問題により強制降格
^ 勝ち点1が剥奪
現所属メンバー
2024年7月25日現在 [ 12]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
監督
Benoît Tavenot
歴代監督
歴代所属選手
GK
DF
MF
FW
脚注
外部リンク