ACアジャクシオ(Athletic Club Ajaccio (コルシカ語: Athletic Club Aiacciu))は、フランス・コルス地方公共団体・アジャクシオに本拠地とするサッカークラブ。2024-25シーズンはリーグ・ドゥに所属する。
1910年にアジャクシオ初のメジャークラブとして創設。同年4月にはSCバスティアと初めてサッカーで競い合った。当時はまだフランスサッカー連盟も存在していなかったためこの試合は公式戦として扱われない一方で、2~3,000人もの観客が集まり会場は和やかな雰囲気で行われた。また、USCコルテ(英語版)との試合が開催された際には"盛大なパーティー"として開催され、地元出身の政治家で国民教育大臣や経済・財務大臣を歴任したフランソワ=グザヴィエ・オルトリは当時の様子を次のように振り返っている[2]。
試合が行われたディアマン広場は美しかった。まるで本当のパーティーだった。7月14日の試合の時にはスタンドにはブラスバンドがあって、試合中に演奏していて素晴らしかったよ!みんな仮装して試合を見に来たんだ。オープンカーで来てそのまま座って観戦する人もいた。わざわざ椅子を持ってきた人もいた。男も女も子供もたくさんの人が来ていてとてもきれいだった...。—フランソワ=グザヴィエ・オルトリ
1919年からはクラブのエンブレムにクマが登場し始めた。アジャクシオとクマが結びつけられたのはイギリス海軍部隊と親善試合をした際に由来する。1914年にアジャクシオの選手全員が第一次世界大戦に出兵し、そのほとんどが戦死した。生還した数少ない選手のうちの1人であるLouis Paoliniも片目を失い身体も不自由な状態で帰島したが、壊滅的なチームを再建することを試みた。終戦から数ヶ月後の1919年、アジャクシオ港にイギリス海軍の軍艦が来航した。その際にいた乗船員がコルシカ島にサッカーの親善試合を提案し、Paoliniを中心に再建中だったアジャクシオが代表して試合に臨んだ。この試合は1-3で敗れたがアジャクシオで唯一のゴールを決めたのがMartin Barettiという選手だった。ゴールネットを揺らすとスタジアムは「Martin! Martin!」と彼を称える声援で埋め尽くされた。そして彼はクマのような立派な体毛を持っていたためL'Ours(クマ)の愛称で呼ばれ、観客は彼がボールに触れる度に「Allez l'Ours! (頑張れクマ!)」と叫んだ。戦後の壊滅的な状況での彼の姿は印象的であり、数週間後にはユニフォームにクマが描かれるほどすぐにクラブのシンボルになった[3]。
クラブの名称は本拠地のアジャクシオから取られているが、アジャクシオという都市名はギリシャ神話の英雄であるアイアスに由来している(エールディビジのアヤックス・アムステルダムと同じである)。1965年にプロチーム化された。コルシカ島に存在する3大クラブの1つで、SCバスティア、ガゼレク・アジャクシオとはライバル関係にある。
1967年、コルシカのクラブで初めてディビジョン1に参加した[4]。
リーグ・アンではなかなか成績を残せず、中位もしくは下部リーグであるリーグ・ドゥを行き来するシーズンが続いている。2010-11シーズンにリーグ・ドゥで2位となり、5年ぶりにリーグ・アンに復帰するが、2013-14シーズンのリーグ・アンで20位となり、リーグ・ドゥに降格。
2021-22シーズンにリーグ・ドゥで2位となりリーグ・アン昇格を果たすも、2022-23シーズンのリーグ戦は苦戦し1年で2部降格となった[5]。
2024年夏は7年間チームのディフェンスリーダーを担ったセドリック・アヴィネル(英語版)[6]と2014年から10年間チームを率いてきたオリヴィエ・パンタローニ監督が退任[7]。さらに、2024-25シーズンに向けては、クラブ財政問題により一時的にナシオナルへの降格が決定されたが[8]、その後の予算審問でこれが撤回されて再びリーグ・ドゥで戦うことが決まった[9]。
なし
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。