Dr.StrangeLove |
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出身地 |
日本 |
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ジャンル |
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活動期間 |
1989年 - |
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レーベル |
- SUPERFOOD RECORDS
- ポニーキャニオン
- Atsugua Records
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メンバー |
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旧メンバー |
古田たかし(ドラムス) |
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Dr.StrangeLove(ドクター・ストレンジ・ラヴ)は、日本の音楽ユニットである。通称DSL。
バンド名の由来は、スタンリー・キューブリックが監督を務めた映画『博士の異常な愛情』に由来している。
概要
スタジオ・ミュージシャンとして活動していた根岸孝旨(b)、長田進(g)、古田たかし(ds)の3名で1989年に結成[2]。精力的にライブ活動や様々なアーティストのサポートをこなし、デモテープやインディーズ作品を発表後、1997年にマキシシングル「手のひらの中のFreedom」でメジャー・デビュー[3]。
バンドとしてあるいは個人としてサザンオールスターズ、佐野元春、藤井フミヤ、奥田民生、PUFFY、Cocco、GRAPEVINE、くるりなど、ジャンルを問わず数多くのアーティストをプロデュース、サポートしている[1]。
初期の作品は、緻密なアレンジを施したオルタナ・ギターサウンドのイメージが強かったが、『Twin Suns』(1999年)では、ミキサーにミッチェル・フルームとのコンビで有名なチャド・ブレイクを迎えてプログラミングを大胆に導入し、ヒップホップを通過したブレイクビーツに刺激的なサンプル・ノイズが飛び交う実験的な意欲作を完成させている[1]。
メンバー
元メンバー
- 古田 たかし(ふるた たかし、 (1958-07-06) 1958年7月6日(66歳) - 、東京都出身)
- ドラムス担当。港区立高陵中学校出身。通称「シータカ」。
- サポートの仕事のためDr.StrangeLoveに専念できないことを理由に1997年末に脱退。その後も奥田民生のバックバンドに他の二人と共に参加[注 1]。
- バンド結成前:中学3年生の時にカルメン・マキ&OZに加入してプロデビュー。1年近くライブやレコーディングに参加した後、ディスコ・バンドで活動。またCharなどと共にNSPやチューイングガムなどのバックをつとめる。高校3年の時に原田真二のバンド「クライシス」のメンバーとなる。1981年春、佐野元春のバックバンドに加入。その活動のかたわら渡辺美里、吉川晃司らのライブやレコーディングにサポート・メンバーとして参加。1985年から1986年まではショコラータ(第二期)にドラマーとして参加していた。
- サポート参加:佐野元春のバックバンド「THE HEARTLAND」(1981年 - 1994年解散)と「The Hobo King Band」(2001年 - )、UNICORN(1993年のラストツアー[注 2]、および2009年のバンド再結成時のツアー[注 3])、奥田民生のバックバンド「GOZ 第1期」(1995年 - 2002年、2004年、2015年)と「GOZ 第2期」(2002年 - 2003年)、PUFFY(2014年までのバックバンドのバンマス)、吉井和哉(2006年、根岸とともにツアーに参加)、安東由美子(2011年 - 2012年までのバックバンドのバンマス。また、東日本大震災のチャリティーライブにおいて「安東由美子with古田たかし」名義でライブを行った。[注 4]、KAN(2006年)、スキマスイッチ(2007年)、大橋卓弥のサポートバンド「Drunk Monkeys」(2008年)、Charのバックバンドでは港区立笄小学校、港区立高陵中学校の後輩であるベーシストの沢田浩史と活動を共にしている。「佐野元春 and The Hobo King Band」の2019年ビルボードライブ東京公演以降、同バンドの井上富雄と共に「布袋バンド(布袋寅泰)」に参加中(2022年時点)
略歴
1989年4月30日、根岸孝旨の誘いをきっかけに長田進、古田たかし、根岸孝旨の3人で結成。
1995年、インディーズ・レーベルのSUPERFOOD RECORDSよりアルバム『Way Out』を発表[1]。
1997年、ポニーキャニオンからシングル『手のひらの中のFreedom』でメジャー・デビューを果たす[2]。同年、古田たかしが脱退したことにより、以後は2人組ユニットとなる[1]。
1999年、映画『鮫肌男と桃尻女』のサウンドトラックを手掛ける[2]。
2004年、アルバム『The river of blue blood』発売。
2017年、あらきゆうこが加わり、ライブ活動を再開[6]。
ディスコグラフィー
デモテープ
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発売日
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タイトル
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規格
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備考
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1994年
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DR.STRANGE LOVE
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カセットテープ
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6曲入り。
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シングル
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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レーベル
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備考
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1st
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1996年11月20日
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Eyes in the Sky
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CD
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SF-002
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SUPERFOOD RECORDS
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2nd
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1997年5月2日
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手のひらの中のFreedom[7]
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PCCA-01106
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ポニーキャニオン
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アルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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レーベル
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備考
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1st
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1995年12月10日
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Way Out
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CD
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SF-001
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SUPERFOOD RECORDS
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2nd
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1997年6月4日
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Dr.Strange Love
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PCCA-01108
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ポニーキャニオン
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LPレコード
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PCJA-20
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3rd
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1999年8月18日
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Twin Suns
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CD
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PCCA-01363
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4th
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2004年3月3日
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The river of blue blood
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ATS-004
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Atsugua Records
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ミニ・アルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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レーベル
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備考
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1st
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1997年11月19日
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Escape
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CD
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PCCA-01156
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ポニーキャニオン
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サウンドトラック
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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レーベル
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備考
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1999年1月28日
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「鮫肌男と桃尻女」オリジナル・サウンドトラック
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CD
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MOSCD-005
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Monsoon Records
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映画「鮫肌男と桃尻女のサントラ。
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参加作品
タイアップ一覧
脚注
注釈
- ^ キーボーティストの斎藤有太と共に、第1期から第2期までの奥田民生のバックバンドで活動した。
- ^ メンバーの川西幸一脱退後にサポート・メンバーとして参加。
- ^ 2会場でゲストとして参加し、メンバーの川西幸一とツインドラムを披露した。
- ^ 安東本人からのオファーによる。根岸プロデュース、古田がバンマスという形態はキャリア初。
- ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載
出典
外部リンク