この項目では、アメリカの攻撃機について説明しています。ブラジルの攻撃機については「AMX (航空機) 」をご覧ください。
XBT2D ドーントレスII AD / A-1 スカイレイダー
飛行するUSMC のAD-6 135232号機 (第122攻撃飛行隊所属、1960年代撮影)
A-1 スカイレイダー (Douglas A-1 Skyraider )は、アメリカ合衆国 のダグラス 社が開発し第二次世界大戦 後にアメリカ海軍 で運用された艦上攻撃機 。
愛称の「スカイレイダー (Skyraider)」は、空の襲撃者(空賊)の意である。機体開発時の名称は、SBD艦上爆撃機 の愛称を継いだXBT2D ドーントレスII 、1962年に改称される前の名称はAD スカイレイダー だった。
概要
雷撃機(艦上攻撃機)と急降下爆撃機(艦上爆撃機)の任務を一本化した機体。第二次世界大戦後半に活躍した、前任機のTBF/TBMアヴェンジャー雷撃機 ・SB2Cヘルダイヴァー急降下爆撃機 よりも小型軽量でありながら、全ての面で凌駕する汎用攻撃機 であった。
艦上機 がプロペラ機 からジェット機 へと入れ替わった1960年代までに3,000機以上生産され、アメリカ海軍の主力攻撃機として、朝鮮戦争 やベトナム戦争 において活躍した。
開発
1943年 、アメリカ海軍 は艦上機の爆撃機と攻撃機の一本化を図り、次期主力雷撃機 計画兼急降下爆撃機 計画を図った。これに、マーティン 社はXBTM-1 、カーティス・ライト 社はXBTC-1 、カイザー・フリートウィングス 社はXBTK-1 、そしてダグラス 社はXBT2D-1を提出して応えた。
この頃、艦船の防御力向上に伴い、急降下爆撃機の従来の搭載爆弾の大きさでは打撃力不足となりつつあり、一方で、雷撃機には大重量の魚雷を搭載しながらも、より機敏な運動性が求められるようになっていた。結果として、両者に要求される性能は接近し、複数の任務をこなす新型機登場の機が熟していた。なお日本海軍 でも同様の性格を持つ流星 が開発されたが、爆弾搭載方法などで両者の間には大きい違いがある。
要請に応じた各社の競合の結果、ダグラス社がXBT2D-1の受注を獲得したが、開発には紆余曲折があった。基本となったXSB2D は、先立つ1941年 に海軍から試作契約を受けて試作した艦上爆撃機だったが、海軍が搭載エンジンや降着装置の形式、自衛火器にまで細かく要求を突きつけたこともあって試作機の製作が遅れたうえ、重量過大で見るべきところが無く、事実上失敗作でもあった。それが初飛行した頃、海軍は新しい艦上爆撃機の構想を打ち出した。これは、後部の防御用武装を廃止し単座の機体とするというもので、海軍はXSB2Dをこの仕様に改めることを条件に、艦上爆撃機と艦上攻撃機を統合した名称「BT」を冠したBTD-1 として発注した。
同じころ、このままでは他社の競合機種との競争に敗れると危機感を抱いたダグラス社チーフエンジニアのエド・ハイネマン は、自ら海軍にBTD-1の契約キャンセルとその予算を流用した新たな攻撃機の開発を提案。これに対して、海軍は「翌朝9時までに設計図を提出せよ」という、無茶な要求を突きつけた。ハイネマンは、2人の部下と共にホテルに詰め、大まかな概念設計図を一晩で書き上げ、要求通り軍に提出した。新型機の案は海軍に採用されたが、さらに9ヶ月以内に試作機を完成させるようにとの、新たな難題を突きつけられる。
こうしてダグラス社は、新たな単座艦上攻撃機XBT2Dの開発に着手したが、基本となるアイデアはハイネマンが長年温めていたものであり、同時に新機軸や革新性を控えた手堅い設計でもあった。魚雷などを機内に搭載する従来の設計を廃止し、それらをすべて主翼の懸架方式としたことで、機体は大幅に小型・軽量化することが出来た。また、単に高性能なだけでなく、給油や兵器搭載、整備の手間を50%低減させることも目標とされた。これはハイネマンが実際に航空母艦 「タイコンデロガ 」に乗り込み、現場の生の声を採り入れる努力も払った結果でもある。
試作型 XBT2D
XBT2Dは1945年 には試作機が完成。折りしも日本軍との激戦中であったため開発・配備が急がれ、1945年3月18日 に初飛行に成功するとアメリカ海軍はすぐさまダグラス社にBT2D-1 デストロイヤーIIとして500機以上の大量発注を行った。しかし太平洋戦争の終結には間に合わず、配備開始は1946年 12月までずれ込んでしまったため、終戦により発注は277機に減少した。
1946年6月には攻撃機を意味する「A」の名称を冠し、AD-1 スカイレイダー(Skyraider)と名称が変更された。AD-1のうち35機は電子妨害 を任務とする複座のAD-1Qとなった。その後もAD-2、AD-3、AD-4、AD-5、AD-6、AD-7と改良されながら、1957年 まで生産が続けられた。なお、1962年 に軍用機の命名規則 が陸海空軍で統一されたことにより、A-1となっている。
特徴
信管を取り付けた洋式便器を搭載して出撃するA-1H
本機の最大の特徴は、単発のレシプロ 攻撃機としては類を見ない、大きなペイロード(兵器搭載量)にある。最大搭載力は3,130kgにも達し、これは同じコンセプトで開発された流星 (800kg)の4倍近く、4発の大型爆撃機B-17 (3,600 kg)にさえ迫るほどである。
各種兵器を懸架するハードポイント (パイロン)は、左右の主翼下にそれぞれ7ヶ所、胴体下に1ヶ所の計15ヶ所も設けられており、現代のジェット 戦闘機 でも、これに匹敵する機体はなかなか見あたらない。このずば抜けた搭載力は攻撃機としての価値を高め、戦術核の搭載能力まで付与された機体もあっただけでなく、各種派生型を誕生させるのにも役立つこととなった。
逸話
本機の兵装搭載量は当時、「キッチン 以外に運べない物はない」と評された。それを受けて朝鮮戦争では、流し台を翼下に『兵装』として搭載・投下し、「キッチンも運べる」事を証明した。そのためベトナム戦争の際には「もはやこの機体が搭載したことがないのはトイレ くらいのものである」と言うジョークが生まれ、「それならば」ということで「信管 を取り付けた便器 」を搭載して実戦で投下し「搭載したことがないものはない」事となった。
さらには、「もう積めないのはバスタブ だけだ」と言う話の流れになり、実際にバスタブを搭載して出撃しようとした兵士もいたそうだが、上官に発覚し未遂に終わっている。
1951年9月30日、クリント・イーストウッド が移動のため便乗していた機体が、サンフランシスコ近郊の海に墜落する事故にあった。パイロットとイーストウッドは自力で岸まで泳ぎ無事であった。
戦歴
1950年 に朝鮮戦争 が勃発すると対地攻撃任務に投入され、朝鮮人民軍 および中国人民志願軍 の撃破に大きく貢献した。A-1は戦闘機 並みの優秀な飛行性能・空戦能力と3tを超える兵装搭載能力を有していたが、特に搭載量においてはIl-10 等当時のソ連 製攻撃機を大きく凌駕しており、その攻撃能力の高さから海兵隊にも多数が配備された。この朝鮮戦争ではタイコンデロガ級航空母艦 「プリンストン 」に搭載されたA-1による攻撃隊が、航空魚雷 で北朝鮮 国内のダム を破壊するという戦果を挙げている。なお、現在までのところ(そしておそらくは将来においても)、これが航空機による最後の無誘導魚雷による攻撃である。
その後、新型のジェット攻撃機が登場するとA-1の役割は減じ、またレシプロ機であることから旧式機として軽んぜられがちであった。しかし、1965年 にベトナム戦争 が勃発すると、にわかに本機の重要性が高まる事となった。この時期の地上目標への攻撃に関しては、攻撃ヘリコプター の構想はあったが実用化されておらず、同時期の超音速飛行も可能なジェット機は、ペイロードではA-1を上回っても誘導爆弾などは実用化していなかったため、この攻撃に適しているとはいえず、むしろ本機のような低速の機体が適していた。そのため海軍のみならず空軍も、本機を借り受けて運用する事となった。主にE型とH型がベトナム戦争に投入された。
本機は主に、拠点を破壊するヘリボーン 部隊の護衛のほか、撃墜されたパイロットの捜索及び救出支援任務に従事した。特に後者は、戦闘捜索救難 (CSAR:Combat Search and Rescue)における「RESCORT:Rescue Escort」任務と位置づけられ、敵の脅威下において救難ヘリに先んじて遭難者の位置の特定を行い、搭載火器を駆使して周囲の敵を制圧し、救難ヘリの誘導及び援護を行った。この際のコールサイン 「Sandy」はA-1の代名詞にもなり、少なからぬ犠牲を出しながらも撃墜された搭乗員の上空に駆けつける勇姿は、ベトナム戦争に従軍するパイロットにとって心強い存在であった。この任務は、攻撃ヘリコプターや後継機であるA-10 に受け継がれることとなった。また、ベトナム戦争時には陳腐化していたエセックス級航空母艦 でも運用できたことからも重宝された。
高い機動能力を発揮してジェット戦闘機MiG-17F を撃墜した記録が2回残っている。これは上記のRESCAP任務中の海軍機が記録したもので、1回目は1965年 、4対1の状況で、2機ずつがチームを組んで旋回戦を挑む「ラフベリィ・サークル(別名、芝刈り機戦法)」で撃墜し、2回目は1966年 MiG-17Fがオーバーシュートしたところを機関砲 により撃墜したものである。特に前者の4機のA-1パイロットは『ミグキラー・フォー(ミグ殺しの4人組)』と称えられ、当時の南ベトナム空軍 司令グエン・カオ・キ から叙勲される栄誉を得た。
その後、ジェット攻撃機の攻撃能力発展によりアメリカ海軍のA-1は1968年に一線を退いたが、空軍では護衛任務のためベトナム戦争の最終局面まで使用された。使い勝手の良さから使用国も多く、アメリカ海軍、海兵隊、空軍のほか、イギリス 、フランス 、南ベトナム 、カンボジア 、ガボン などでも使用され、アメリカでもベトナム戦争の時期、消耗分を補充すべく、再生産が真剣に検討されたと言われる。
なお、本機の後継としてエンジンをターボプロップ 化したA2Dスカイシャーク が試作されたが、エンジンの信頼性 に問題があって開発が遅れた上、同じメーカー、同じ設計者によるジェット攻撃機A-4スカイホーク が予想以上の高性能だったため、実用化されずに終わっている。
使用国
使用国(青)
各型
XBT2D-1
単座急降下爆撃機、米海軍用の雷撃機の試作機。
XBT2D-1N
三座夜間攻撃用試作機。3機のみ製造。
XBT2D-1P
写真偵察用試作機。1機のみ製造。
XBT2D-1Q
複座電子戦用試作機。1機のみ製造。
BT2D-2(XAD-2)
改良型攻撃用試作機。1機のみ製造。
AD-1
初期型。242機生産。
AD-1Q
電子妨害機 。複座。35機生産。
AD-1U
AD-1の電子妨害および標的曳航機 型。武装なし。
XAD-1W
早期警戒機 であるAD-3Wの原型機。三座。1機のみ製造。
AD-2
エンジンをライトR-3350-26W(2,700馬力)に換装。156機生産。
AD-2D
核実験後の空気中の放射性物質を収集するため、遠隔操作で使用された機体の非公式名称。
AD-2N
AD-2の夜間攻撃型。
AD-2Q
AD-2の電子妨害機型。複座。21機生産。
AD-2QU
AD-2の電子妨害および標的曳航機型。武装なし。1機のみ生産。
AD-2W
早期警戒機型。
XAD-2
原型機XBT2D-1の燃料タンク増大型。
AD-3
KITA燃料タンク増大、機体構造・着陸脚強化、キャノピーデザイン変更。125機生産。
AD-3S
対潜攻撃型。試作2機のみ製造。
AD-3N
AD-3の夜間攻撃型。3座。15機生産。
AD-3Q
早期警戒機型。機器の再配置により搭乗員の居住性が改善された。31機生産。
AD-3QU
曳航機型だが、もっぱらAD-3Qとして配備された。
AD-3W
早期警戒機型。2機改修(31機生産?)。
XAD-3E
対潜任務機。AD-3Wより2機改修。
AD-4
着陸脚強化、レーダー改良、対Gスーツ機材設置。344機生産(372機生産?)。
AD-4B
20mm機関砲を2門から4門に強化。戦術核爆弾運用能力付与。194機生産(165機生産、28機改修か?)。
AD-4L
韓国配備用に寒冷地対応能力強化。63機改修。
AD-4N(A-1D)
夜間攻撃および電子妨害型。三座、370機生産。
AD-4NA
韓国での任務のためAD-4Nから夜間攻撃装備を取り除き、20mm機関砲を2門から4門に強化した対地攻撃機。
AD-4NL
AD-4Nのバリエーション。36機改修。
AD-4Q
AD-4の電子妨害機型。複座。39機生産。
AD-4W
早期警戒機型。三座。168機生産。50機が英国海軍にスカイレイダーAEW Mk1として移籍した。
AD-5 (A-1E)
サイド・バイ・サイド配置の複座。垂直尾翼面積拡大。一部ダイブブレーキ廃止。212機生産。
AD-5N (A-1G)
夜間攻撃および電子妨害型。四座。239機生産。
AD-5Q (EA-1F)
AD-4の電子妨害機型。四座。54機改修。
AD-5W (EA-1E)
早期警戒機型。AN/APS-20 (英語版 ) レーダーを搭載。三座。156機生産(218機生産?)。
UA-1E
AD-5の汎用機型。
AD-6 (A-1H)
低空侵攻用。単座。713機生産。
AD-7 (A-1J)
エンジンをライトR3350-26WB に換装し、機体構造を強化した最終モデル。72機生産。
諸元
AD-4 三面図
AD-5 三面図
出典: Airvectors Joe Baugher Flugzeug Info Collings Foundation
制式名称
AD-1
AD-4
AD-5 / A-1E
AD-6 / A-1H
AD-7 / A-1J
全幅
15.25m
15.47m
全長
11.64m
11.84m
12.20m
11.84m
全高
3.66m
4.24m
4.78m
翼面積
37.2m2
翼面荷重
kg/m2
kg/m2
kg/m2
kg/m2
kg/m2
自重
4,760kg
5,307kg
5,575kg
5,429kg
4,785kg
正規全備重量
8,165kg
11,340kg
8,213kg
11,340kg
発動機
R-3350-24W 空冷 星型 18気筒(離昇2,500馬力)1基
R-3350-26WA 空冷 星型 18気筒(離昇2,700馬力)1基
R-3350-26WB 空冷 星型 18気筒(離昇2,800馬力)1基
最高速度
590km/h(高度5,500m)
518km/h(高度5,500m)
500km/h(高度5,500m)
518km/h(高度5,500m)
515km/h(高度6,096m)
航続距離
2,500km
2,115km
1,935km
2,118km
1,448km
武装
翼内 AN-M3 20mm機関砲1門ないし2門(携行弾数各200発)
翼内 AN-M2 20mm機関砲4門(携行弾数各200発)
翼内 AN-M3 20mm機関砲4門(携行弾数各200発)
搭載
中央爆弾架 1,630kg
翼下大爆弾架 1,360kg
翼下小爆弾架 225kg
中央爆弾架 魚雷 または増槽
翼下大爆弾架 907kg爆弾 2発または増槽 2個
翼下小爆弾架 ロケット弾 か爆弾12発
計3,600kgまでの搭載可能な15のパイロン
生産数
242機
372機
212機
713機
72機
現存する機体
型名
番号
機体写真
所在地
所有者
公開状況
状態
備考
XBT2D-1 XAD-1
09102 1930
アメリカ ニューヨーク州
イントレピッド海上航空宇宙博物館 [1]
公開
静態展示
[2]
XBT2D-1 XAD-1
09103 1931
写真
アメリカ オハイオ州
ウォルター・ソプラタ氏 (Walter Soplata)
公開
保管中
AD-1
09259 2085
アメリカ イリノイ州
ウォーバード遺産財団 [3] (Warbird Heritage Foundation)
公開
飛行可能
[4]
AD-2
不明
北朝鮮 平壌直轄市
祖国開放戦争勝利博物館
公開
静態展示
AD-3
122811 6933
写真
アメリカ ペンシルヴェニア州
海軍在庫管理ポイント [5] (Naval Inventory Control Point, NAVICP)
公開
静態展示
AD-4
123827 7133
アメリカ ヴァージニア州
軍事航空博物館 [6]
公開
飛行可能
[7]
AD-4N A-1D
124007 7313
アメリカ サウスカロライナ州
ペイトリオッツ・ポイント海軍海事博物館 [8]
公開
静態展示
[9] [10]
AD-4W
124086 WV106 7392
写真
イギリス サマセット州
イギリス海軍航空博物館 [11]
非公開
保管中
AD-4W
124121 WT121 7427
イギリス サマセット州
イギリス海軍航空博物館
非公開
保管中
AD-4N
124143 7449
フランス
ジャン・バティスト・サリ氏 (Jean Baptiste Salis)
非公開
飛行可能
AD-4N A-1D
124156 7462
写真
アメリカ アラバマ州
西インド諸島投資株式会社 (West Indies Investments Ltd)
非公開
飛行可能
AD-4N
125716 7609
フランス
歴史的航空機力学操縦士協会(AMPAA)[12]
公開
飛行可能
[13]
AD-4NA A-1D
125739 7632
写真
アメリカ カリフォルニア州
海軍軍備技術博物館 [14]
公開
静態展示
AD-4NA A-1D
126822 7682
アメリカ
海洋航空博物館 [15] (Marine Aviation Museum) (所在:ローンスター飛行博物館 )
公開
飛行可能
[16]
AD-4W
126867 7850
アメリカ オレゴン州
エリクソン航空機コレクション [17] (ティラムック航空博物館 )
公開
飛行可能
[18]
AD-4NA A-1D
126922 7722
イギリス ベッドフォードシャー州
ケネット航空社 [19]
非公開
飛行可能
かつての塗装
AD-4NA A-1D
126956 7756
写真
アメリカ アラバマ州
戦艦アラバマ記念公園 [20]
公開
静態展示
[21]
AD-4NA A-1D
126959 7759
アメリカ アイオワ州
東アイオワ航空社 (East Iowa Air Inc)
非公開
飛行可能
[22]
AD-4NA A-1D
126965 7765
アメリカ ワシントン州
遺産飛行博物館 [23]
公開
飛行可能
かつての塗装[24]
AD-4NA A-1D
126979 7779
フランス ル・ブルジェ
ル・ブルジェ航空宇宙博物館 [25]
公開
静態展示
[26]
AD-4NA A-1D
126997 7797
アメリカ カリフォルニア州州
プレインズ・オヴ・フェイム航空博物館 [27]
公開
飛行可能
[28]
AD-4NA A-1D
127002 7802
フランス ル・アーヴル
ミヘーレ・ギネスト氏 (Michele Gineste) モーリス・エチット氏 (Maurice Etchetto)
非公開
飛行可能
AD-4NA A-1D
127888 7903
アメリカ ミシガン州
エア・ズー航空宇宙科学博物館 [29]
公開
静態展示
[30]
AD-4N
127894 68 7909
写真
南アフリカ ハウテン州
南アフリカ空軍博物館 [31]
公開
保管中
AD-4W
127922 WT987 SE-EBL 7937
アメリカ カリフォルニア州
空母ミッドウェイ博物館 [32]
公開
静態展示
[33]
AD-4W
127945 WV185 SE-EBI 7960
スウェーデン カールスコーガ
スカイレイダーAB社 (Skyraider AB)
非公開
修復中
修復の為に所有者の空軍博物館 より貸与されている。
AD-4W
127947 WT949 SE-EBB 7962
写真
スウェーデン ストックホルム
アーランダ・フライトコレクション (ストックホルム・アーランダ空港 )
公開
保管中
AD-4W
127960 WT962 SE-EBC 7975
スウェーデン
スヴェディノス自動車航空博物館 [34] (Svedinos Bil- och Flygmuseum)
公開
修復中
[35]
AD-4B
132261 8369
写真
アメリカ ネヴァダ州
エアパーク [36] (ファロン海軍航空基地 隣接)
公開
静態展示
かつての塗装 写真
AD-5 A-1E
52-0247
写真
アメリカ ユタ州
ヒル航空宇宙博物館 [37] [38]
公開
静態展示
[39]
AD-5 A-1E
132436 9453
ベトナム ハノイ
ベトナム軍事歴史博物館 [40]
公開
静態展示
AD-5W EA-1E
132443 9460
アメリカ テキサス州
歴史航空記念博物館 [41]
公開
静態展示
[42] [43]
AD-5 A-1E
132463 9480
アメリカ カリフォルニア州
カリフォルニア航空宇宙博物館 [44]
公開
静態展示
[45]
AD-5N A-1G
132534 8929
アメリカ オレゴン州
エヴァーグリーン航空宇宙博物館 [46]
公開
静態展示
[47]
AD-5N A-1G
132598 8993
アメリカ
記念航空公園 (ハールバート・フィールド 隣接)
公開
静態展示
空軍の52-598として塗装されている。
AD-5 A-1E
132649 52-132649 9506
アメリカ オハイオ州
国立アメリカ空軍博物館 [48]
公開
静態展示
現存する唯一の空軍名誉勲章を授与された機体。[49]
AD-5 A-1E
132683 9540
アメリカ カリフォルニア州
最高世代海軍博物館 (Greatest Generation Naval Museum)
公開
飛行可能
[50]
AD-5W EA-1E
132789 9385
アメリカ カリフォルニア州
マーチフィールド航空博物館 [51]
公開
静態展示
[52]
AD-5W EA-1E
135152 10229
アメリカ テキサス州
キャヴァナー飛行博物館 [53]
公開
飛行可能
[54]
AD-5W EA-1E
135178 10255
アメリカ ミズーリ州
ミッドウェスト・ワイルド遺品避難社 (Midwest Wild Relics Refuge Inc)
非公開
飛行可能
[55]
AD-5W EA-1E
135188 10265
写真
アメリカ マサチューセッツ州
コリングス財団 [56]
公開
飛行可能
かつての塗装 写真 [57]
AD-5Q EA-1F
132532 8927
アメリカ フロリダ州
国立海軍航空博物館 [58]
公開
静態展示
135018の塗装で展示されている。[59]
AD-5Q EA-1F
135018 10095
アメリカ アリゾナ州
ピマ航空宇宙博物館 [60]
公開
静態展示
[61]
AD-6 A-1H
134636 9280
ベトナム ハノイ
ベトナム軍事歴史博物館
公開
静態展示
AD-6 A-1H
135300 9944
アメリカ フロリダ州
国立海軍航空博物館
公開
静態展示
[62]
AD-6 A-1H
135344 9988
写真
ベトナム トゥアティエン=フエ省
トゥアティエン博物館 [63]
公開
静態展示
AD-6 A-1H
137602 10678
写真
アメリカ カリフォルニア州
リムーア海軍航空基地
公開
静態展示
AD-6 A-1H
139606 10838
アメリカ テキサス州
キャヴァナー飛行博物館
公開
飛行可能
かつての塗装[64]
AD-6 A-1H
139665 10897
写真
アメリカ テネシー州
テネシー・ミュージアム・オブ・エイヴィエーション [65] (Tenessee Museum of Aviation)
公開
飛行可能
[66]
AD-6 A-1H
139674 10906
ベトナム ホーチミン
戦争証跡博物館 [67]
公開
静態展示
[68]
AD-6 A-1H
139723 10955
写真
ベトナム ハノイ
ベトナム人民空軍博物館ハノイ館 [69]
公開
静態展示
[70]
AD-7 A-1J
142072 52-142072 11552
タイ バンコク
タイ王国空軍博物館 [71]
公開
静態展示
[72]
登場作品
機体の地味な性格ゆえか、主役 よりは脇役 としての登場・活躍が目立つ。
映画
『イントルーダー 怒りの翼 』
終盤、脱出したパイロット 救出のため、A-1がRESCAP任務で登場する。
『トコリの橋 』
空母 「オリスカニー 」(劇中名「サヴォー」)の艦載機 として登場。横須賀 への空母接岸時、甲板 で対向して係留されたA-1がプロペラ を回し、推力 で接岸を助けるシーンがある。また、終盤で主人公の搭乗するF9F パンサー が撃墜 され、HO3S-1 救難ヘリコプター が救助に赴く際、護衛として地上の共産軍を攻撃するシーンがある。
『ファイアーフォックス 』
登場は一瞬だが、主人公が墜落しベトナム ゲリラ に捕まった時、ヘリコプター と共に助けに来たのが本機。女の子が本機の攻撃を受けて炎に包まれ死亡し、それが主人公のトラウマ となる。
『ワンス・アンド・フォーエバー 』
ヘリボーン 降下したアメリカ陸軍 部隊 の近接航空支援 にA-4 スカイホーク ・A-6 イントルーダー ・F-4 ファントムII ・F-100 スーパーセイバー と共に登場する。グレー系の塗装からアメリカ海軍 所属機ということがわかる。
『ディヴォーション マイ・ベスト・ウィングマン 』
漫画
『エリア88 』
主役 陣が搭乗したことはないが、脇役 として時折顔を出す。主人公の親友の上官が操縦していたF-14 トムキャット を誤って撃墜 したのがこの機体。他にも飛行中に天蓋を開閉できるといった、低速のレシプロ機ならではの芸当を生かしたエピソードもある。
小説
『侵攻作戦パシフィック・ストーム』
アメリカ合衆国海軍の艦載機として「AD1」の名称で登場。地上施設や日本海軍艦への攻撃に使用される。
『征途 』
航空自衛隊機として架空型「A1HJ」が登場。ヴェトナム戦争に派遣されており、味方の海上自衛隊河川舟艇を掩護すべく航空支援を行う。
ゲーム
『War Thunder 』
プレイヤーが操縦可能な機体として、アメリカ軍に空軍 との名称統合前の「AD-2」「AD-4」「A1-H」の名称で登場。
『空戦乙女-スカイヴァルキリーズ- 』
萌え擬人化 されて『兵装女子』となったものがアメリカ空軍 基地にて攻撃機 として登場する。上記の「#逸話 」の節で述べた逸話を基にしたイベントミッション「冬との別れ」の実質的メインキャラで、本イベントではさらにコタツ を搭載しようとしており、未遂のバスタブを除いていずれも専用武装として登場している。
『バトルフィールド ベトナム 』
アメリカ海兵隊 の攻撃機 として登場する。
参考文献
関連項目
外部リンク
攻撃機 (A) 爆撃機 (B) 爆撃戦闘機 (BF) 爆撃雷撃機 (BT) 偵察爆撃機 (SB) 雷撃機 (T) 雷撃爆撃機 (TB) 雷撃偵察機 (TS)