2010年のバレンシアグランプリ
レース詳細
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2010年のロードレース世界選手権 全18戦中第18戦
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決勝日
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2010年11月7日
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開催地
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バレンシア・サーキット
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開催コース
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常設サーキット 4.051km
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MotoGP
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Moto2
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125 cc
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2010年のバレンシアグランプリは、ロードレース世界選手権の2010年シーズン最終戦として、11月5日から7日までスペインのバレンシア・サーキットで開催された。
概要
125ccクラス
ライダーズチャンピオンの決定が、3クラス中唯一最終戦まで持ち越された125ccクラス、ポイントリーダーのマルク・マルケスはランキング2位のニコラス・テロルに対し17ポイント差を築いており、テロルが勝ったとしてもマルケスは8位以上でフィニッシュすればタイトルを獲得できる有利な状況となっていた。土曜日の予選ではそのマルケスがシーズン12回目となるポールポジションを獲得、テロルは2番グリッドからのスタートとなった[1]。
日曜日の決勝では、3番グリッドからスタートしたブラッドリー・スミスが終始レースをリードし、シーズン初優勝を遂げた。これにより、2009年のダッチTT以降26戦続いていたスペイン人ライダーの連勝記録に終止符が打たれた。続いてテロルとのバトルを僅差で制したポル・エスパルガロが2位に入った。マルケスはリスクを避けてバトルに加わらず、4位フィニッシュでタイトルを手中に収めた。17歳と263日でのチャンピオン獲得は、ロリス・カピロッシ(1990年)に次ぐ史上2番目の最年少記録となった[2]。
Moto2クラス
Moto2クラスでは、翌シーズンからのMotoGP復帰が決まっているトニ・エリアスがシーズン3度目となるポールポジションを獲得した[3]。ライダー部門では既に初代チャンピオンを確定させているエリアスだったが、今回のレースにはモリワキのコンストラクター部門逆転制覇が懸かっていた。またエリアスは日曜日のセッションには、まぶしく輝くシルバーのスペシャルペイントのマシンで登場した[4]。
決勝序盤はアンドレア・イアンノーネがレースをリード、後続との差を徐々に引き離しにかかっていた。8周目には2番手を争っていたGP2戦目のケナン・ソフォーグルがメインストレートでステファン・ブラドルと接触し、コースアウト・転倒となった。またブラドルも12周目に単独転倒、リタイヤを喫することとなった。
その後レース終盤にかけては、フリアン・シモン、エリアス、カレル・アブラハムらがイアンノーネに追いつき、抜きつ抜かれつの激しいバトルを展開することとなった。ファイナルラップにはエリアスが無理な仕掛けでイアンノーネと接触、その混乱の隙をついてアブラハムがトップに立った。翌シーズンからのMotoGPクラス昇格が決まっているアブラハムは、Moto2クラス最後のレースを自身グランプリ初優勝という最高の形で締めくくった。転倒を免れたイアンノーネが2位、シモンが3位に入り、年間ランキングではシモンがイアンノーネに僅か2ポイント差で2位の座を守った。
エリアスは上述の接触によりコースアウト・転倒を喫し、その後復帰したものの30位に終わった。この結果コンストラクター部門ではスッターがMoto2初代王者に輝くこととなった[5]。
MotoGPクラス
MotoGPクラス予選では、翌シーズンからのホンダワークス移籍を決めており、今回がドゥカティでの最後のレースとなるケーシー・ストーナーがシーズン4度目のポールポジションを獲得した。2番手には今回スワロフスキー・クリスタルを1800個埋め込んだ金色のスペシャルヘルメットで登場した、新チャンピオンのホルヘ・ロレンソが続いた[6]。3番手には自身クラス初のフロントロウ獲得となるマルコ・シモンチェリが入った[7]。
日曜日の決勝レースは、序盤はストーナーがトップを維持、ロレンソはシモンチェリとの接触により体勢を崩し、一時は9番手にまで落ちていた。しかしその後ロレンソは巻き返しを見せ、12周目にはバレンティーノ・ロッシを抜いて2位に、23周目にはストーナーを抜いてトップに浮上、そのまま逃げ切ってシーズン9勝目を遂げた。これでロレンソは383ポイントという、シーズン獲得ポイントの史上最多記録を樹立した[8]。
翌シーズンからのドゥカティ行きを決めているロッシは、3位表彰台でヤマハ最後のレースを締めくくった。ウィニングラン中にマシンをコース脇に停めたロッシは、ヤマハ移籍後初のレースで勝利を遂げた2004年の南アフリカGPと同じようにYZR-M1にキスをし、7年間を共にした愛車に別れを告げた[9]。
MotoGPクラス決勝結果
Moto2クラス決勝結果
125ccクラス決勝結果
脚注
参考文献