1988年のヤクルトスワローズ(1988ねんのヤクルトスワローズ)では、1988年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。
この年のヤクルトスワローズは、関根潤三監督の2年目のシーズンである。
概要
ホーナー旋風の余韻が冷めやらない中、チームは1987年のドラフト1位で長嶋一茂を獲得。またホーナーとレオン・リーの退団を受けて外国人もダグ・デシンセイとテリー・ハーパーに一新したが、ハーパーはわずか10試合に出場したのみで右膝の治療のため帰国しそのまま退団、また入団時すでに37歳のデシンセイも東京ドームの公式戦第1号や2試合連続サヨナラ本塁打など存在感は示したが、持病の腰痛の悪化で8月下旬に帰国しそのまま退団・引退した。期待のルーキー長嶋は父の長嶋茂雄が巨人でつけていた背番号「3」が与えられたが、プロの壁は厚く、衰えが目立つデシンセイからレギュラーを奪うまでには至らなかった。一茂フィーバーに沸き立つ打撃陣は「イケトラコンビ」の広澤克実・池山隆寛がこの年も主砲として打ちまくったが、両者ともに三振が多く、本塁打は147本と1位ながらも打率は.246とリーグ5位。前年の4位躍進を受け、チームは1980年以来のAクラス入りを期待されたが開幕ダッシュには失敗。6月には4位ながらも首位の巨人に3ゲーム差と迫るが、それ以降は失速。後半戦以降は大洋との4位争いが続いたが、優勝の中日に22ゲーム差を付けられた。投手陣は11年目の尾花高夫やこの年抑えに転向した伊東昭光が活躍したが、高野光・荒木大輔が途中ケガで離脱する。伊東の最多勝という明るい話題はあり、防御率も3.79と良化したが、尾花と伊東の活躍に依存しており、層の薄さは変わらなかった。退団したハーパーの代わりに6月に入団したボブ・ギブソンが層の薄い先発ローテーションに加わるも、防御率はリーグ最下位と低迷。ギブソンは勝ったほうが4位となる大洋との最終戦に先発し、9回まで無失点に抑えるも味方の援護がなく、10回に決勝点を喫して敗れ、関根監督の2年目は前年より順位を1つ落として5位で終了した。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1988年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
--
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広島 |
--
|
巨人 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
2位
|
巨人 |
4.5
|
巨人 |
1.5
|
広島 |
0.5
|
巨人 |
1.0
|
広島 |
6.5
|
広島 |
7.0
|
巨人 |
12.0
|
3位
|
阪神 |
5.0
|
阪神 |
2.5
|
中日 |
1.0
|
広島 |
1.5
|
巨人 |
7.5
|
巨人 |
8.0
|
広島 |
15.0
|
4位
|
ヤクルト |
5.5
|
大洋 |
4.0
|
ヤクルト |
3.0
|
大洋 |
5.0
|
大洋 |
12.0
|
大洋 |
17.0
|
大洋 |
20.5
|
5位
|
大洋 |
7.0
|
中日 |
4.5
|
阪神 |
6.5
|
ヤクルト |
9.5
|
ヤクルト |
12.0
|
ヤクルト |
17.0
|
ヤクルト |
22.0
|
6位
|
中日 |
8.0
|
ヤクルト |
5.5
|
大洋 |
7.0
|
阪神 |
10.0
|
阪神 |
19.0
|
阪神 |
23.0
|
阪神 |
29.5
|
オールスターゲーム1988
- 広沢克実
- 伊東昭光
- 尾花高夫
- 池山隆寛
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[3]
表彰選手
リーグ・リーダー
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選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
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伊東昭光
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最多勝利 |
18勝 |
初受賞
|
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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