1968年の中日ドラゴンズでは、1968年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、杉下茂監督の復帰1年目である。
概要
1964年のシーズン途中に杉浦清監督の休養辞任を受けて指揮を執った西沢道夫監督が年明け早々に胃潰瘍の悪化で辞任したため、急遽OBの杉下茂が再び就任。チームは4月こそ首位で終えるが、5月には一気に負けが込んで8連敗。しかし板東英二がリリーフで投げすぎた反動から右ひじ痛に陥り、また前年首位打者の中利夫も目の病気で欠場するなど主力の離脱があり最下位に転落。その後も5月29日から11連敗、6月13日から7連敗と大型連敗が続き、最下位に定着すると杉下監督は前半戦終了を待たず休養。1954年初優勝時の主力だった本多逸郎代理監督が指揮を執ったものの、成績不振がなおも続き最後は4連覇の巨人に27ゲーム差を、5位の大洋に9ゲーム差も離された。投手陣は板東の故障離脱、前年まで大車輪の活躍だった小川健太郎の不振もありチーム防御率が3.72のリーグ最下位に転落した。打撃陣はチーム本塁打2位の142本を記録したものの、中の欠場もあり盗塁数がリーグ5位に落ちた。後任には1967年まで東映の監督だった水原茂を迎え、水原新監督のもとチームの立て直しを図ることになる。対戦成績ではこの年Aクラス入りの広島に12勝14敗と健闘するも、優勝の巨人には9勝17敗1分と大きく負け越した。
なお、この年のみユニフォームはノースリーブデザインであった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1968年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
|
5月終了時
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6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
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中日 |
--
|
巨人 |
--
|
広島 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
広島 |
1.5
|
広島 |
2.5
|
巨人 |
1.0
|
広島 |
6.5
|
阪神 |
1.5
|
阪神 |
3.0
|
阪神 |
5.0
|
3位
|
巨人 |
3.5
|
中日 |
6.0
|
大洋 |
7.0
|
サンケイ |
8.5
|
サンケイ |
7.0
|
広島 |
8.5
|
広島 |
9.0
|
4位
|
大洋 |
5.0
|
阪神 |
7.0
|
サンケイ |
8.5
|
阪神 |
10.5
|
広島 |
8.5
|
サンケイ |
11.5
|
サンケイ |
13.0
|
5位
|
サンケイ |
5.5
|
サンケイ |
8.5
|
阪神 |
9.5
|
大洋 |
11.0
|
大洋 |
15.0
|
大洋 |
16.5
|
大洋 |
18.0
|
6位
|
阪神 |
5.5
|
大洋 |
9.0
|
中日 |
13.0
|
中日 |
14.5
|
中日 |
16.0
|
中日 |
23.5
|
中日 |
27.0
|
[1]
オールスターゲーム1968
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
ドラフト
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |