1960年の南海ホークスでは、1960年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の15年目のシーズンである。
概要
過去4度も日本シリーズで対戦しながらも敗れた巨人の壁をようやく崩したこの年、鶴岡監督は打線の大型化に着手。自身と同郷の広瀬叔功を1番打者に据え、岡本伊三美の故障で二塁に入った半田春夫を2番に据えるなど機動力も兼ね備えた野球で連覇を目指した。チームはこの年も開幕好調で、5月には大毎に3.5ゲーム差を付けて首位に立つなど順調だった。しかし、6月以降大毎が18連勝で南海に代わって首位に立つと次第にゲーム差が広がり、8月14日からBクラスの阪急、近鉄戦3タテを含めて9連敗。終盤追い上げたものの時すでに遅く、連覇はならなかった。投手陣は入団から2年間大車輪の活躍を見せたエース杉浦忠の負担を軽くするため、ジョー・スタンカが開幕前に入団。スタンカは大リーグでの経験がなく、鶴岡監督や蔭山和夫ヘッドコーチはじめ、評論家から「スタンカは活躍できるのか」と心配された。しかし、鶴岡監督らの不安を吹き飛ばすように開幕からローテに入り17勝、防御率2.48でチームに貢献し杉浦の負担軽減の役目を果たす活躍を見せた。打撃陣は4番の野村克也をはじめ広瀬、半田などの活躍でリーグ1位の103本塁打を記録したが、得点がリーグ3位の519点に終わった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
|
大毎 |
--
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南海 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
2位
|
南海 |
1.0
|
大毎 |
3.5
|
南海 |
2.0
|
南海 |
2.5
|
南海 |
5.0
|
南海 |
4.0
|
3位
|
東映 |
2.0
|
東映 |
6.5
|
西鉄 |
13.0
|
阪急 |
7.0
|
阪急 |
11.0
|
西鉄 |
12.0
|
4位
|
阪急 |
2.0
|
西鉄 |
8.0
|
阪急 |
14.0
|
西鉄 |
14.5
|
西鉄 |
12.5
|
阪急 |
17.0
|
5位
|
近鉄 |
3.5
|
阪急 |
8.0
|
東映 |
17.0
|
東映 |
26.0
|
東映 |
30.5
|
東映 |
30.0
|
6位
|
西鉄 |
3.5
|
近鉄 |
10.0
|
近鉄 |
20.0
|
近鉄 |
29.0
|
近鉄 |
34.0
|
近鉄 |
39.0
|
オールスターゲーム1960
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
杉浦忠
|
最多奪三振 |
317個 |
2年連続2度目
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脚注
注釈
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |