韓 悳洙(ハン・ドクス、韓国語: 한덕수、1949年6月18日 - )は、韓国の政治家、官僚、外交官[1]。同国国務総理(第38代・第48代)。2024年12月14日以降は弾劾訴追により職務停止となった尹錫悦大統領に代わり大統領代行を務めていた[2]が、同月27日に自身の弾劾訴追が可決されたため職務停止となった[3][4]。
来歴
全羅北道出身。本貫は清州韓氏[5]。ソウル大学校経済学科卒。ハーバード大学大学院卒。1996年に特許庁長官を務めた事を皮切りに、2001年に経済協力開発機構(OECD)韓国代表部の大使を務めた。2002年、金大中大統領の経済首席秘書官を務めていた時に、中国産ニンニクの緊急輸入制限の発動を撤廃するという合意を秘匿していたために一度更迭された。2005年に経済副首相(朝鮮語版)兼財政経済部長官に就任。2006年3月15日、李海瓚国務総理(首相)が辞職し、同年4月19日まで国務総理代行を務めた。同年、米韓自由貿易協定(KORUS FTA)の締結支援委員会委員長兼韓米FTA特別補佐官を務めた。2007年3月に国務総理に就任(下記参照)、2009年2月に駐米韓国大使に就任した。2012年2月、駐米韓国大使を辞任し、韓国貿易協会(朝鮮語版)に会長に就任した。
国務総理
2007年3月9日から盧武鉉大統領が退任する2008年2月24日まで第38代国務総理を務めた。
2022年4月3日、大統領選挙で当選した尹錫悦次期大統領は韓悳洙を次期国務総理に指名した[6]。2022年5月20日に国会の認証を受け、尹大統領は2022年5月21日に韓を国務総理に任命した[7]。国会が少数与党の状態の中、ソウル梨泰院雑踏事故、世界スカウトジャンボリーでの混乱、福島第一原子力発電所事故に伴うALPS処理水海洋放出、水害中の海兵隊兵士殉職事件などを理由として2023年9月18日に野党が国務総理からの解任を求めて国会に建議案を提出し、9月21日の採決では賛成175、反対116、棄権4票となり可決された。国務総理解任建議が可決されたのは憲政史上初のことであったが、拘束力はなく職務は続行[8]。2024年4月10日に執行された第22代総選挙で与党は大敗し、翌11日に国務総理からの辞任を表明した[9]。しかし尹大統領が野党も同意するような首相候補の選定に慎重になったこともあり、一向に後任が指名されず首相の座に留まり、5月21日には在任2年を迎え、通算の首相在任期間が民主化後で最長となるに至った[10]。
大統領代行
2024年12月14日、国会は尹が12月3日に布告した「非常戒厳」を巡る混乱に係る2度目の大統領の弾劾を求める議案の採決を行い、弾劾案が可決された。尹の大統領職務が停止されることとなり、憲法の規定により国務総理であった韓が大統領代行となった[2]。
国会での弾劾案可決
12月26日、尹大統領の弾劾を審理する憲法裁判所の裁判官の欠員について、韓首相が補充の任命を阻止したことから[注釈 1]、最大野党の共に民主党と対立し、韓悳洙への弾劾案が提出された[11][4]。
12月27日、自身に対する弾劾案が国会で審議、可決されたため職務停止となった[3]。大統領代行の首相まで弾劾訴追されるのは韓国では民主化以降、初めての事態である[4]。
採決にあたり与党側は大統領代行の弾劾訴追には大統領の場合と同じく200票の賛成を要すると主張したが野党側は国務総理の弾劾に必要な151票(在籍議員300人の過半数)で足りると主張し、禹元植国会議長が野党側の主張を支持したことから与党側は採決前に退席し、訴追案は賛成192票で可決された[4]。与党側はこの採決は無効であると主張し、憲法裁判所に対して弾劾議案の効力停止を求める仮処分を提起。
職務停止となった韓は国会の主張を尊重するとし、憲法裁判所の迅速かつ賢明な決定を待つとコメントした[12]。権限代行として崔相穆(チェ・サンモク)経済副首相兼企画財政相が担うこととなった[4]。弾劾審査は憲法裁判所へ移行することとなる[注釈 2]。
家族
子女がいない。歴代の国務総理の中でも唯一子供がいない人物である[5]。
脚注
注釈
- ^ 憲法裁の裁判官は定員9人で、少なくとも6人が大統領の罷免に賛成する必要があり、現在の憲法裁は3人欠員のため、裁判官が1人でも反対すれば、尹大統領は罷免を免れることになる[4]。このため野党は、欠員3人を補充することで尹氏罷免の可能性を高めようとしていた[4]。
- ^ 韓国憲法の規定に基づき、憲法裁判所が180日以内に可否を判断する。
出典