長谷 健(はせ けん、1904年10月17日 - 1957年12月21日)は、日本の小説家、児童文学者。
来歴
福岡県山門郡東宮永村下宮永北小路(現・柳川市下宮永町)生まれ。ちなみに、東宮永小学校は琴奨菊関の母校でもある。旧姓は堤、本名は藤田正俊。1925年(大正14年)福岡師範学校卒業。柳川の城内小学校教師をしたのち1929年(昭和4年)に上京、神田区の芳林小学校に勤務。このころからペンネームを長谷健とする。1932年(昭和7年)浅草区浅草小学校に転勤。1934年(昭和9年)に同人誌『教育文学』を創刊し、1936年(昭和11年)には『白墨』を創刊する。小学校教師として教育にあたり、文学者としても活動を行う。
1939年(昭和14年)、浅草での教師体験をもとにした「あさくさの子供」を『虚実』に発表し、第九回芥川賞を受賞する。
1944年(昭和19年)に柳川へ疎開し、国民学校に勤務する。同人誌『九州文学』の同人として5年間を郷里で過ごした後、再び上京し火野葦平の旧宅に同居し、日本ペンクラブ、日本文芸家協会の要職につく。児童文学の著述とともに、北原白秋を描いた『からたちの花』(1955)、『邪宗門』(1957)などを発表した[1]。
1957年(昭和32年)12月19日、東京都新宿区西大久保にて、忘年会の帰りに寄った屋台を出て道路を渡ろうとしたところ、タクシーにはねられる交通事故に遭い、搬送先の国立東京第一病院で2日後の12月21日に死去。53歳。葬儀委員長は火野葦平が務めた。
著書
- 『生活の皺』(文園社) 1934
- 『火のくにの子供』(モナス) 1940
- 『あさくさの子供』(改造社) 1940
- 『明かるい朝 少年少女小説集』(四海書房) 1941
- 『開拓村の子供 長篇少年小説』(四海書房) 1941
- 『私の舗道』(厚生閣) 1942
- 『友情記』(帝国教育会出版部、少国民文芸選) 1943
- 『新星座』(今日の問題社) 1943
- 『神まうで 2・3年の童話』(三光社) 1943
- 『アサノミチ』(四海書房) 1943
- 『国民学校』(講談社) 1944
- 『愛情』(文化建設社) 1946
- 『少年部落』(大日本雄弁会講談社) 1947
- 『氷の部屋』(中央公論社) 1948
- 『九州路抄』(日本交通公社) 1948
- 柳川市立東宮永小学校校歌 1949 - 文語調の校歌
- 『春の童謡』(二葉書店) 1950
- 『ナポレオン』(あかね書房、小学生伝記文庫) 1955
- 『からたちの花』(新潮社) 1955
- 『静かなる怒濤』(三笠書房) 1956
- 『当世怪談集』(河出書房) 1956
- 『邪宗門』(新潮社) 1957
- 『虹の立たない国』(理論社、創作少年文学シリーズ) 1961
脚注
- ^ 志村有弘『福岡県文学事典』2010年、勉誠出版P81
参考文献
関連項目
外部リンク
|
---|
1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回) |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
|
1960年代 - 1970年代(第43回 - 第82回) |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
|
1980年代 - 1990年代(第83回 - 第122回) |
---|
1980年代 |
- 第83回 該当作品なし
- 第84回 尾辻克彦「父が消えた」
- 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」
- 第86回 該当作品なし
- 第87回 該当作品なし
- 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/ 唐十郎「佐川君からの手紙」
- 第89回 該当作品なし
- 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」
- 第91回 該当作品なし
- 第92回 木崎さと子「青桐」
- 第93回 該当作品なし
- 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」
- 第95回 該当作品なし
- 第96回 該当作品なし
- 第97回 村田喜代子「鍋の中」
- 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/ 三浦清宏「長男の出家」
- 第99回 新井満 「尋ね人の時間」
- 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/ 李良枝「由煕」
- 第101回 該当作品なし
- 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」
|
---|
1990年代 | |
---|
|
2000年代 - 2010年代(第123回 - 第162回) |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
|
2020年代 - 2030年代(第163回 - ) |
---|
2020年代 | |
---|
|
カテゴリ |