長田 栄二(ながた えいじ、1955年5月29日 - )は、東京都出身の音楽プロデューサー、作曲家、芸能プロダクション「(株)オフィス・タッチ」の社長。かつてジャニーズ事務所に所属し、男性アイドルグループ・フォーリーブスの元メンバーである。堀越高等学校卒業。趣味・車。特技・ブルースハープ。愛称は英ちゃん、英坊。旧芸名は永田英二、八田英士など。他にも「NPO OJPC」理事、「NPO 国際薬物対策センター」が主催する薬物乱用防止キャンペーンの音楽LIVEイベント「POWER of ART PROJECT(POAP)」の特別顧問、Executive Producer、「株式会社 ライティング・タッチ」取締役、「株式会社 マスター&ピューピル」特別顧問、「一般財団法人 映像文化振興協会」理事、「社団法人 世界孔子協会」専務理事、「財団法人 日中影視動漫協会」専務理事 といった肩書きを持つ。
ジャニーズ時代の参加ユニット
ジャニーズ退所後の参加ユニット
改名歴
- 永田英二 → 八田英士 → 永田英士 → 長田栄二(本名) → 永田英二(2014年『58』発売時)
人物・来歴
- 劇団若草での子役を経て、父親がジャニーズ事務所でダンスの講師をしていた関係から1966年に入所。 「永田英二」の芸名を与えられ、1967年4月1日にフォーリーブスの結成に参加するも、当時まだ小学6年生で年齢が低すぎるという理由で、半年ほどでメンバーから外される。
- 1968年9月、既存グループだった「ハイソサエティー」にボーカルとして加入し、「永田英二とハイソサエティー」として活動。
- 1969年8月、ハイソサエティでの活動と平行して、東芝音楽工業(エキスプレスレーベル)(現: ユニバーサル ミュージック)よりソロシンガーとして『あこがれ』でレコードデビュー。キャッチフレーズは「ヤング・パワー No.1!!」。
- 同年10月、「第2回・新宿音楽祭」にて銀賞を受賞。
- 1970年9月にフォーリーブスと共にアメリカへ約1ヶ月のダンス留学。『THIRTEEN PLACE』という曲をレコーディングした。
- 1973年4月、「スーパーエイジス」を結成。
- 1974年4月、CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)に移籍し、「八田英士」の名で『別れないでおくれ』で再デビュー。
- 1977年5月、ジャニーズ事務所を退社。RVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ(アリオラジャパンレーベル))に移籍し、今度は「永田英士」の名で『青春挽歌』で再々デビュー。
- 男性5人組の企画ロックバンド「東京コンジョレス」名義で、1980年2月にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)よりシングル『コンジョレス東京』にて再再々デビュー。 ボーカル担当。
- 1987年3月3日、「株式会社オフィス・タッチ」という音楽事務所を設立し、代表取締役になる。 以後、IZAMなどを育てた。 また、代表としての仕事のみならず、音楽プロデューサー、作曲家などとしても活動中。
- 2004年に肺過誤腫を患うが克服。
- 2011年5月29日、56歳の誕生日に、南青山・gigabar TOKYOにて「長田栄二“アラ還”記念ライブ」を開催。 参加したゲスト陣の一人にアイドル時代の同僚であるフォーリーブスの北公次がいた。北が翌2012年2月22日に逝去した際に、翌23日放映されたワイドショー番組『情報ライブ ミヤネ屋』にインタビュー出演した。
- 2014年3月にユニバーサルミュージック(EMI RECORDSレーベル)から「永田英二」名義で新アルバム『58 - フィフティ エイト-』を発売し、第56回日本レコード大賞で「企画賞」の一つに選ばれた[1]。
主な出演作品
テレビ
ラジオ
- 集まれ歌謡曲 (ニッポン放送、司会:藤村有弘)
- 全国各地からの公開録音番組。フォーリーブス、ジューク・ボックスと共演。
- 平凡アワー スターハイライト・ショー (ニッポン放送)
- 全国各地からの公開録音番組。1972年2月19日(土)の群馬音楽センターの公録では、ハイ・ソサエティー、ジューク・ボックス、郷ひろみと共演。
- ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?電撃的スペシャル(2011年9月23日、NHKラジオ)ゲスト出演
ミュージカル
- 王様と私 (1965年4月・梅田コマ劇場、1965年12月2日 - 27日、東京宝塚劇場)「劇団若草」時代に第一王子役で出演した。本名の「長田栄二」名義。
- いつかどこかで~フォーリーブス物語 (1967年6月、大阪フェスティバルホール、脚本:ジャニー喜多川、主催:民音)
- フォーリーブスヤングサプライズ 「少年たち -小さな抵抗-」(1969年12月、大阪フェスティバルホール・日生劇場)
- 少年たちシリーズ ~ フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 「生きていくのは僕たちだ!」(昭和46年度文化庁芸術祭参加作品ミュージカル。 原作:『17歳の絶唱』。1971年10月29日&31日・帝国劇場。大阪・名古屋公演も有り)
- ミュージカル 「フォーリーブス物語 星に帰った若者」(1973年3月)
- 見上げてごらん夜の星を (1973年6月17日 - 8月、フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル)
- ライブ・ミュージカル 『少年たち ~フォーリーブス・不朽の名作~』(1975年4月5日 - 5月5日)「八田英士」名義
- タッチ (1980年)「永田英二」名義
日本劇場でのステージ
- 第33回ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日)
- 第34回ウエスタン・カーニバル (1968年1月15日- 22日)
- 第35回ウエスタン・カーニバル (1968年5月4日- 10日)
- 第36回ウエスタン・カーニバル (1968年8月26日- 9月2日)
- 第37回ウエスタン・カーニバル (1969年1月14日- 21日)
- 第38回ウエスタン・カーニバル (1969年5月5日- 12日)
- 第39回ウエスタン・カーニバル (1969年8月25日- 9月1日)
- 第40回ウエスタン・カーニバル (1970年1月15日 - 22日)
- 第41回ウエスタン・カーニバル (1970年5月2日 - 8日)
- 「永田英二とハイ・ソサエティー」リサイタル (1969年11月3日、京都新聞ホール)
- 永田のデビューシングル『あこがれ』の30万枚突破記念として行われた、関西初のリサイタル。 1日2回公演。 主催は関西アマチュア音楽文化連盟と、当時京都でアマチュアバンドのコンサートを企画・支援していた団体「AGSクラブ」による共催。「永田英二とハイ・ソサエティー」は同年10月12日に京都・十字屋四条店にてサイン会も行っている。
- 第42回ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日)
- 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日)
- 第44回日劇ウエスタン・カーニバル ~ みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日)
- 第45回ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日)
- 第46回ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日)
- 第49回ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」 (1973年5月4日、小井戸秀宅と共に北公次が振付を担当)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」 (1973年5月5日 & 6日)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「ヤング・アイドルショー」(1973年5月7日 & 8日、渡辺茂樹が音楽担当)
- 第49回の3ステージは全て「永田英二とスーパーエイジス」名義で出演。
- 長田栄二“アラ還”記念ライブ (2011年5月、南青山・gigabar TOKYO)
- POWER OF ART PROJECT 5th LIVE 2011 ~人と人との繋がりが・・・心を変える!「絆」~(2011年10月20日、原宿・ASTRO HALL) バックバンドのドラムは長沢悟
ディスコグラフィ
シングル
- 「永田英二」名義
- 「八田英士」名義
- 「永田英士」名義
- 青春挽歌 c/w 訣別(アデュー) (1977年5月)
- 「東京コンジョレス」名義
- コンジョレス東京 c/w ロックるロックンロール (1980年2月)
4曲入りEP
- 「永田英二」名義
- 悲しきトレイン北国行き / 恋をあげよう / あこがれ / ダイアナ
アルバム
- 「永田英二」名義
- JUST CONTROL(TBS系『アッコにおまかせ!』2014年3月度エンディングテーマ)
- I WILL SAY GOOD-BYE BABY
- BIRD
- ENDLESSLY(TBS系『ひるおび!』2014年4月度エンディングテーマ)
- つまずきBLUES
- BACK STREET CRAWLER
- 笑っておくれ
- FLASH BACK
- DON’T YOU CRY
- TOUCH
- TIME PASSENGER
- I AM A ROCK
- あこがれ
- 「八田英士」名義
他、延べ、シングル12枚 / アルバム7枚 / セッション・アルバム3枚をリリース。
非売品レコード
- インタビューレコード
- アルバム『テネシー・ワルツ/思い出のポピュラー・ヒットを歌う!!』の購入者が応募できる懸賞プレゼント盤として制作された。「永田英二」名義。
主な作曲提供作品
脚注
関連項目
外部リンク