ハイソサエティーは、過去に芸能事務所の「ジャニーズ事務所」に所属していたバンドグループである。 ジャニーズやフォーリーブスのバックバンドとして活動した。 このグループ名は、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川の夫であり作家の、藤島泰輔の1965年発表の小説『日本の上流社会―高貴なる秘境を探検する』に由来する。 愛称は「ハイソ」。 後に「スーパーエイジス」と「アニメーション」の2つのバンドに枝分かれしていった。
メンバー
解散後リューベン&カンパニーを経て来生たかお、アンルイス、桑名正博、ジョー山中等のコンサート、レコーディング セッション。 再結成後のフォーリーブスのツアーにも。The Lowgunsを結成、とセッション活動中。三軒茶屋で音楽食堂 夢弦を経営。
- 元持勲(サイドギター)
- もともち いさお。グループ加入以前は、音楽家兼ピアニストの栗原茂に師事して音楽を学んだ。伯母が清川虹子。
- 現在ハワイ在住。地元日本語ラジオKZOO放送、毎週現地時間16時30分から2時間、
『Isaoと京子の弾丸炸裂トーク』に出演中。
また、
ツアー会社を経営、自ら運転しガイドもする。
ジャニーズに所属していたことから芸能界の裏話、
日・米のプロ野球の話題など豊富な話題で、
リスナー、ツアー客の人気を集める。
週に数回レストランでの弾き語りも好評。
- 横内健亨(ギター)
- よこうち たけひろ。 後に「ウォッカ・コリンズ」→「オレンジ」→「TENSAW」といったバンドへ次々に参加したり、ムッシュかまやつのバックを担当した。 現在は「横内タケ」に改名。
- この他にもまだ数名が参加。メンバー構成は実に流動的で入れ替わりが激しく、最終的には延べ15名以上の人間が参加した。
脱退メンバー
- 粟野敏和(あわの としかず。粟野トムの兄)
- 粟野トム(あわの とむ。粟野敏和の弟)
- 佐山たけし(ドラム)
- 途中から「佐山タケシ」に改名。喜劇俳優・佐山俊二の長男。後にマジシャンに転向。
- 新庄一(ベース)
- しんじょう はじめ。脱退後は「新庄ハジメ」に改名して、1970年10月に「寺内タケシとブルージーンズ」に加入。バンド「ザ・スピリッツ」の新城みのる(本名:新城一)は別人。
- 山岡国士(途中から「山丘邦夫」に改名。本名は山岡國士。)(エレクトーン)
- 永田英二(愛称・英坊、英ちゃん)
- 一時期、「永田英二とハイソサエティー」として、ボーカルで参加していた。当時中学1年生。
- 柳瀬薫(ドラム)
- すぐに脱退して半年ほど事務所を離れた後、「やなせかおる」の名で「ジューク・ボックス」のメンバーとして復帰した。
概要
ディスコグラフィ
シングル
- 不思議な恋の物語 c/w 君を奪いたい(高橋洋一ソロ)(1971年10月、EPIC)
アルバム
主な出演作品
ミュージカル
日本劇場でのステージ
- 第30回ウエスタン・カーニバル(1966年8月27日 - 9月2日)
- 第31回新春日劇ウエスタン・カーニバル(1967年1月15日 - 21日)
- 第33回ウエスタン・カーニバル(1967年8月26日 - 9月1日)
- 第34回ウエスタン・カーニバル(1968年1月15日- 22日)
- 第35回ウエスタン・カーニバル(1968年5月4日- 10日)
- 第36回ウエスタン・カーニバル(1968年8月26日- 9月2日)
- 第37回ウエスタン・カーニバル(1969年1月14日- 21日)
- 第38回ウエスタン・カーニバル(1969年5月5日- 12日)
- 第39回ウエスタン・カーニバル(1969年8月25日- 9月1日)
- 第40回ウエスタン・カーニバル(1970年1月15日 - 22日)
- 第41回ウエスタン・カーニバル(1970年5月2日 - 8日)
- 第42回ウエスタン・カーニバル(1970年8月25日 - 9月1日)
- 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル(1971年1月15日 - 22日)
- 第44回日劇ウエスタン・カーニバル~みんなで踊ろう!(1971年4月23日 - 29日)
- 第45回ウエスタン・カーニバル(1971年8月27日 - 9月2日)
- 第46回ウエスタン・カーニバル(1972年1月15日 - 22日)
- 第49回ウエスタン・カーニバル(1973年5月4日)
脚注
- ^ 略歴 - 高橋洋一 公式サイト
関連項目
外部リンク