名古屋市道
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名古屋市道錦通
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地図
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錦通(にしきどおり)は、名古屋市の中心部を東西に貫く幅員40m、6車線の幹線道路である。
太平洋戦争後の名古屋市の都市計画の中で都心部の高速度鉄道建設用地として確保されていたものが、名古屋市営地下鉄1号線(現:東山線)の建設工事後に道路となったものである[1]。名前の由来は古今和歌集収録の和歌とされている[2]。
概要
錦通は、西の愛知県道68号名古屋津島線(同線で通称名駅通と呼ばれる部分)交点である笹島北交差点と東の池下北交差点をその両端とする、名古屋市屈指の市街地(名駅・伏見・栄・今池)の中を東西に伸びる幹線道路である。
元々は太平洋戦争後の名古屋市の復興都市計画の中において伏見駅 - 栄駅を除き高架線で計画され用地の確保が行われていた名古屋市営地下鉄東山線が、路線沿線地域との協議の結果地下線による建設に変更されたため、その地上部を道路としたものである[注 1][3]。そのため全線にわたり地下に地下鉄東山線が走っている。用地の確保が行われていたことから、地下鉄工事は事業費節減のために露天掘りで行われた[注 2]。また、錦通の南側を広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線)が、少し離れた北側を桜通(愛知県道68号名古屋津島線の一部・国道19号の一部・名古屋市道都通布池線)が並行している。
錦通の名は古今和歌集収録の素性法師の和歌「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」に由来するとされている。新設される道路は北側を走る桜通と南側を走る広小路通の間を走ることとなるため、素性法師の和歌の「柳」を広小路通南の柳薬師[注 3]に、「桜」を桜通に見立て、和歌の下の句「錦なりける」から錦通と名づけられた[2]。中区の錦通沿線には、命名の経緯を記した石碑が建てられている[注 4]。また、1984年(昭和59年)に名古屋市が市内の道路の愛称を公募した際に、従来から用いられていた通称をそのまま道路の愛称として制定した[4]。
通過する自治体
交差する道路
沿線の主な施設
中村区
中区
東区
千種区
沿線交通機関
鉄道
名古屋市営地下鉄東山線
その他
バス路線
錦通は東山線の真上にあるため通常時の走行ルートとしている市バス路線は少ないが、名古屋まつりなどのイベント開催時は並行する広小路通が車両通行止めとなるため、広小路通を通常の走行ルートとする多くの系統が錦通を迂回経路とする。
また、ジェイアール東海バス・ジェイアールバス関東等が運行する高速バスの路線で、東名高速道路名古屋インターチェンジ方面に向かう車両は錦通を通常の走行ルートとしているものが多い(ただし乗車可能なバス停は錦通上に設けられていないが、東名ハイウェイバスの栄バス停があるオアシス21は錦通沿いにある)。
ギャラリー
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名鉄百貨店メンズ館・名鉄バスターミナルビル(中村区)
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ミヤコ地下街(中村区)。錦通直下に所在する。
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センチュリー豊田ビル(中村区)
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堀川右岸、錦橋の袂にある命名の由来の石碑(中村区)
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伏見地下街(中区)。地下鉄東山線線路と並行して錦通地下に所在する。
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夜のサンシャイン栄(中区)
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夜の錦通(中区)
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久屋大通公園夜景(中区)
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中部電力本店ビル(東区)
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メルパルク名古屋(東区)
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住友生命千種ニュータワービル(東区)
脚注
注釈
- ^ 『名古屋の街 戦後復興の記録』(伊藤德男著、1988年7月2日中日新聞本社開発局発行)P151 - P154では、復興都市計画における鉄道沿線整備について、錦通と地下鉄東山線を中心にまとめられている。なお、著者の伊藤は戦後の1946年から名古屋市復興局で戦災復興都市計画事業を担当した経歴を持つ。
- ^ 地下鉄工事実施時において名古屋市電(栄町線・覚王山線)が通っていた広小路通ではこの工法は採用できず、高架線計画が変更になった後も当初予定どおり錦通の地下に建設された。なお、地下鉄1号線の池下以東への延伸に際しては、広小路通上の路面電車を休止(実質は廃止)して工事を行っている。
- ^ 2012年6月現在における広小路本町交差点付近にあった。
- ^ 中区錦一丁目の東松錦ビル・NEC中部ビル前、錦二丁目の瀧定名古屋ビル前、および堀川右岸の錦橋の袂にある。
出典
- ^ 土木学会日本土木史編集委員会 『日本土木史:昭和16年-昭和40年』 土木学会、1973年4月。
- ^ a b 伊藤・沢井『堀川』2014. pp.298-299.
- ^ 『名古屋の街 戦後復興の記録』伊藤德男(1988年7月2日発行)中日新聞本社開発局
- ^ 『広報なごや』1985年(昭和60年)1月号 p11. 名古屋市鶴舞中央図書館蔵
参考文献
関連項目