酒井 忠得(さかい ただえ)は、江戸時代中期の上野国前橋藩(のち播磨国姫路藩)の世嗣。官位は従四位下・河内守。
前橋藩9代藩主(のち姫路初代藩主)・酒井忠恭の次男として誕生。母は榊原政邦の娘・考(孝子)。
当時上野国前橋藩主だった忠恭の嫡子として生まれ、延享4年(1747年)に徳川家重に御目見する。宝暦2年(1752年)には叙任されたが、家督を継ぐことなく宝暦5年(1755年)に18歳で早世した。
代わって、弟・忠宜が嫡子となった。