酒井 忠仰(さかい ただもち)は、江戸時代中期の播磨国姫路藩の世嗣。官位は従四位下・備前守。
略歴
上野国前橋藩主・酒井忠恭(のち姫路初代藩主)の長男(庶子)として誕生。母は側室・石原氏。
庶子だったため、ただちに嫡子となることはできなかった。寛延元年(1748年)に小姓となって3000俵の新封を受け、翌寛延2年(1749年)に叙任する。その後、嫡子だった次弟・忠得、三弟・忠宜が相次いで早世したため、宝暦11年(1761年)に嫡子となる。しかし、忠仰も家督相続を果たせず、明和4年(1767年)に早世した。代わって忠仰の長男・忠以が忠恭の嫡子となった。
系譜
- 父:酒井忠恭(1710-1772)
- 母:石原氏 - 側室
- 正室:里姫 - 玄桃院 - 松平乗祐の長女
- 生母不明の子女