近衛 経熈(このえ つねひろ、旧字体:近󠄁衞 經熈)は、江戸時代中期の公卿。官位は従一位・右大臣。近衛家25代当主。
経歴
太政大臣・近衛内前の子。安永4年閏12月2日(1776年1月22日)左近衛大将に就任。安永8年3月29日(1779年5月15日)内大臣となる。
安永10年1月8日(1781年1月31日)左近衛大将を辞し、同日従一位に叙される。天明7年5月26日(1787年7月11日)内大臣を辞任。
天明7年5月26日(1787年7月11日)右大臣となる。寛政3年11月28日(1791年12月23日)右大臣を辞す。
寛政11年(1799年)、薨去。
系譜
- 正室:泰宮薫子 - 有栖川宮職仁第四王女
- 婚約者:多鶴 - 毛利親著娘
- 生母不明の子女
- 男子:亮深 - 大覚寺43代門跡
- 男子:義海(1788-1832)
- 女子:近衛熙子 - 東本願寺二十代法主達如室
- 養子
系譜
近衛家
近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
皇室との関係
後陽成天皇の男系七世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
脚注
注釈
- ^ 外様大名出身の茂姫を御台所とすることに難色を示した幕府に配慮し、鎌倉時代より近衛家と島津氏が擬制同族関係にあったこと、近衛家が以前から島津氏出身の正室を迎えていた縁から、近衛家養女となった。詳細は「広大院」参照。
出典
参考文献
関連項目