近衛 基前(このえ もとさき、旧字体:近󠄁衞 基前󠄁)は、江戸時代後期の公卿。
天明3年(1783年)に生まれる。父は近衛経熙。母は有栖川宮職仁の第四王女・泰宮董子。「基」の字を与えた広幡基豊は猶子とみられる。内大臣(1799年 - 1814年)、右大臣(1814年 - 1815年)、左大臣(1815年 - 1820年)などを歴任。1792年(寛政4年)5月25日叙従三位。従一位(1805年(文化2年)3月28日叙)。文政3年(1820年)死去。
近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。
後陽成天皇の男系八世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。 詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
基実 - 基通 - 家実 - 兼経 - 基平 - 家基 - 家平 - 経忠 - 経平 - 道嗣 - 兼嗣 - 忠嗣 - 房嗣 - 政家 - 尚通 - 稙家 - 前久 - 信尹 - 信尋 - 尚嗣 - 基熙 - 家熙 - 家久 - 内前 - 経熙 - 基前 - 忠煕 - 忠房 - 篤麿 - 文麿 - 文隆 - 忠煇
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