『赤い陣羽織』(あかいじんばおり)は、木下順二の戯曲、およびそれを原作とする歌舞伎、オペラ、テレビドラマ、映画、バレエ作品。
初出は、1947年4月刊行の『別册文藝春秋』。発表時の原題は、『赤い陣羽織−A Farce−』[1]。ペドロ・アントニオ・デ・アラルコンの短編小説『三角帽子』(1874年)をもとにした喜劇とされているが、木下は本作とは別に、アラルコン作、会田由訳の岩波文庫版をもとに戯曲『三角帽子』(未來社、1951年)を刊行している。戯曲を元に歌舞伎化、オペラ化が取り組まれ、テレビドラマは2回製作され、そのうち、日本テレビが1959年4月15日に放送した番組は、日本のテレビドラマ史上初のカラースタジオドラマとされる。バレエ化は松山バレエ団が実現した。
木下は、わざわざト書きで「自由な装置や扮装や演出が望ましい」[1]と書き、時代設定をこだわらないことを示した。
女好きで派手な赤い陣羽織を羽織っているお代官が権力を傘に来て、おやじの女房に言い寄ることから始まる。おやじは、大事な女房をお代官に口説かれて心配するばかりだ。一方、なんとしてもおやじの女房を我がものにしようとするお代官も、実は自分の奥方に頭があがらない。
記録を確認できるもっとも早い上演は、1948年の劇団文化座。1955年1月に歌舞伎座で上演され、今日まで歌舞伎の定番レパートリーとなっている。アマチュア劇団ながら、横浜市の劇団葡萄座が1959年に上演している。木下と繋がりのある劇団による上演としては、1963年のぶどうの会があげられる。小沢昭一らの俳優小劇場も、1967年以後上演した。
木下順二原作・大栗裕作曲のオペラ「赤い陣羽織」(全3幕)は、武智鉄二演出による関西歌劇団の創作歌劇第1回公演として、1955年6月11日、6月12日に大阪・三越劇場で上演された[2]。木下原作の民話オペラは、「夕鶴」(1952年)や「きき耳ずきん」(1954年、原題「聴耳頭巾」)として結実しており、こうした実績を踏まえて、狂言オペラという新しい形式に挑戦した。関西歌劇団にとって、「赤い陣羽織」は東京、沖縄公演を含め創立50年を迎えるまでに100回を越える演目となった[3]。
2008年4月15日、「大栗裕の世界」の演目としていずみホールで上演。
円光寺雅彦指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団、浅川和宏によるオーボエ独奏。
武智鉄二原演出、井原広樹演出。
1957年7月28日に、ラジオ東京テレビ(現TBS)『東芝日曜劇場』第35回にて放送。演出は岡倉士朗と岡本愛彦。
1959年4月15日に、日本テレビ『ヤシカゴールデン劇場』でカラー生放送。日本のテレビドラマ史上初のカラースタジオドラマだった。[4][5][6]
『赤い陣羽織』は、1958年に歌舞伎座が製作し、松竹が配給した日本映画。
十七代目中村勘三郎の映画初出演作。カラーの松竹グランドスコープとして製作された。木下順二の戯曲を原作として、高岩肇がシナリオを書いた。雑誌『シナリオ』1958年8月号に発表された。歌舞伎役者である中村と三島雅夫ら新劇系の役者、フリーの香川京子、にんじんくらぶの有馬稲子が出演した。スタッフとし、山本薩夫監督を支える撮影の前田実、美術の久保一雄、編集の河野秋和が参加している。
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