『こんな女に誰がした』(こんなおんなにたれがした)は、1949年(昭和24年)、山本薩夫が監督し、東横映画が製作、大映が配給して公開した日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。
略歴・概要
第二次世界大戦後、従来興行会社であった東横映画が大映との協定を結び、1947年(昭和22年)、「大映第二撮影所」(現在の東映京都撮影所)を借りて同撮影所を「東横映画撮影所」とし、製作を開始、3年目に製作された現代劇が本作である[1][2][3][4]。本作の題名「こんな女に誰がした」は、1947年10月にテイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)が菊池章子の歌唱を録音して売り出したレコード『星の流れに』のラストフレーズであり、本作が製作された年の春ごろにヒットの兆しがあったとされる[5]。前年1948年(昭和23年)8月10日に東宝が配給して公開された、太泉スタヂオ(現在の東映東京撮影所)が製作した映画『肉体の門』でも、『星の流れに』は挿入歌に使用されていた[5]。
伊藤武郎は日本映画演劇労働組合(日映演)初代委員長であり、東宝争議をめぐって最終的に東宝を退社した人物である[6]。主演の岸旗江、伊豆肇は、1946年(昭和21年)11月、争議を原因に「十人の旗の会」を結成して労働組合を脱退したメンバーである。築地小劇場の土方与志、劇団民藝の宇野重吉、清水将夫、滝沢修らの舞台俳優が出演している[1][2][3][4]。
本作に「映倫番号」が付されているのは、公開直前の同年6月14日に「映画倫理規程管理委員会」(旧映倫)が結成されたからで、1954年(昭和29年)8月まではレイティングは行われていない[7]。東横映画を配給するために東京映画配給(現在の東映)が設立されるのは、同年10月1日なので、本作は従来通り大映が配給した[1][2][3][4]。
東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリント等を所蔵していない[8]。
作品データ
スタッフ
キャスト
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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