藤岡 重慶(ふじおか じゅうけい、1933年11月19日 - 1991年7月23日)は、日本の俳優、声優。兵庫県神戸市出身[3]。本名は読みが「ふじおか しげよし(漢字表記同じ)」。
父親は警察官[3]だったが、小学校しか出てなかったためエリートコースに乗れず、晩年は資格を取って弁護士になった[3]。重慶は旧制姫路中学(現 兵庫県立姫路西高等学校)を経て、父と同様弁護士を目指し[3]、早稲田大学法学部に進む[3]。在学中の1955年、第七期生として、劇団俳優座の養成所に入る。同期には田中邦衛、露口茂、山本學、井川比佐志らがいた。
1958年に劇団青年座に参加。創作演劇の舞台に立ちながら、同年NHKで、放送をスタートした長寿ドラマ『事件記者』に遠藤刑事役で出演。
1962年には食うために日活と本数契約を結んで[3]、年12・13本コンスタントに映画にも出演[3]。敵役として石原裕次郎や渡哲也らと多く共演、強面の悪役俳優として頭角を現した[3]。66年からはフリーの立場で東映を中心に各社のスクリーンに登場。千葉真一主演「やくざ刑事シリーズ」での上司役、テレビドラマでもコンスタントに続け、時代劇や刑事ドラマでヤクザの親分、悪徳警官、凄腕用心棒などさまざまな悪役を務めた。
レギュラーの悪役では1973年より関西テレビで制作されたドラマ『どてらい男』における、主演の西郷輝彦をいじめ抜く坂田軍曹役が知られる。後年、同作品の舞台公演に藤岡が出演した際は、悪役ながら拍手喝采が巻き起こったという。西郷とはCM共演もしている。
その一方、子供向けの特撮作品などでは本来の人柄を活かして頼もしい善人役を演じる機会も多かった。声優としての活躍も著名で、アニメ『あしたのジョー』での丹下段平役は、代表作として今なお挙げられる[3]。本人は、段平オリジナルの声を創っていくことを楽しんでいたと語っている[4]。
晩年はバラエティ番組にも出演。「コワモテだけど実はいい人」という、バラエティ的役柄以外にも丹下段平絡みで笑いを取り、本人が自らコスプレをして丹下段平を演じたこともある。藤岡自身の積み上げてきたキャリアも余すところなく生かされ、若年層にもその名が広まった。
若林・藤村・別当・土井垣・本堂・白坂の時代からの阪神ファンだったが[3]、田淵が入った頃から嫌いになり[3]、1966年の『ある勇気の記録』に出演して広島に縁ができ、同じ年に佐々木久子が「カープを優勝させる会」を作ったため仲間入りし、広島カープファンになった[3]。
1991年5月の大阪・新歌舞伎座の「五木ひろし公演」出演中に体調不良を訴え、神奈川県相模原市の北里大学東病院に入院。同年7月23日午前8時6分、脳内出血のため死去(57歳没[5])。当時出演していた『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』内では追悼企画が行われ、生前の彼を悼んだ。