この項目では、日本野球連盟に加盟する茨城県のクラブチームについて説明しています。茨城県を本拠地とする独立リーグ の球団については「茨城アストロプラネッツ 」をご覧ください。
茨城ゴールデンゴールズ (いばらきゴールデンゴールズ、IBARAKI GOLDEN GOLDS )は、萩本欽一 が2005年に創設し日本野球連盟 へ加盟する、社会人硬式野球 クラブチーム 。萩本自らがオーナー(部長)を務め、佐藤企画 代表取締役 の佐藤宏栄(佐藤宏榮)が球団の代表を務める[ 1] 。プロ野球マスターズリーグ 事務局の支援を受けている。別名「欽ちゃん球団 」、略称「茨城GG 」、「GG 」。
概要
茨城県 稲敷市 に本拠地を置いている。
萩本は「社会人野球の実業団(企業)登録球団が相次いで廃部の傾向にあること、またプロ野球 も再編の波に押されるなど、野球界全体が揺れ動いていることを憂い、少しでも野球界の活性につながれば」とこのチームを結成することを決心する。
チーム命名者は糸井重里 。社会人野球の頂点(金メダル)を目指して取り組む姿勢、更に、萩本が運営するチームということで「金 の中の欽 」という意味合いも兼ねて付けられる。なお、萩本は選手やコーチに自らを監督ではなく「欽督 」と呼ばせている。また、農作業や地域のボランティア 活動も練習の一環として捉え、「筋トレ」ならぬ「欽トレ 」と名づけて取り入れている。
練習試合(オープン戦 )に限り個人スポンサー制度を取り付け、スポンサーのついた選手については「企業(またはブランド)名+名前」を組み合わせた選手名を使用していた[ 注 1] 。また、その練習試合も全国各地を巡業、その地域の主力社会人クラブチームと対戦しており、萩本がハンドマイクを片手に試合の解説や選手の激励などを行う興行形式の試合を行うなど、従来のクラブチームとは運営方法が大きく異なっていた。しかし2006年に解散問題が発生(後述)、また2011年に片岡安祐美 が監督に就任した際にはチームの運営方針を巡って従来の興行路線を維持したい萩本と地域密着型の運営に回帰したい片岡との間で見解の相違が起き、結果的に片岡側の意向に沿ったチーム運営が行われることとなった。これ以降、萩本はチームの運営には関与していない。
創立当時、テレビゲーム の『実況パワフルプロ野球12 』でサクセスモード にチームが登場。プロ以外の実在球団が登録されたのはこれが初めてのケース。エースはシーケル仁平(仁平翔)、4番は副島孔太 であった。
沿革
主要大会の出場歴・最高成績
女子部について
2024年に硬式クラブの「茨城ゴールデンゴールズ女子チーム 」(いばらきゴールデンゴールズじょしチーム)を創設した。創設者・初代監督は片岡安祐美[ 2] [ 3] 。全日本女子野球連盟 および全日本女子硬式野球クラブ連盟、関東女子硬式野球連盟 に加盟している。片岡は男女両方の監督として指揮を執る方針で進めている[ 4] 。活動初年は互いに選手数確保のため、全府中女子硬式野球倶楽部 の選手 (片岡はコーチ)として派遣され合同チームで活動した。
主な出場大会
主な在籍者
球団創設時から所属している。2011年より、選手兼任監督 として二代目に就任。大学卒業後の2009年4月より佐藤企画にもタレントとして所属している(選手として唯一)。
女子部
元プロ野球選手の競技者登録
女子部
過去に在籍した選手
元プロ野球選手 (男子部)
過去に在籍した監督・コーチ・スタッフ
萩本欽一 (初代監督として2010年まで務めた。背番号は「コント55号 」から取って55番。球団オーナー(部長)は、監督辞任後も務める)
鹿取義隆 (ヘッドコーチ。2005年限りで退団)
松沼博久 (2006年 - 2009年ヘッドコーチ。2010年も欽ちゃんリーグのときのみコーチを務めた)
羽生田忠克 (2006年コーチ。2007年に岩手21赤べこ野球軍団 の監督に就任)
鈴木康友 (2006年在籍)
副島孔太 (外野手兼コーチ。2006年在籍)
山崎慎太郎 (投手コーチ。2006年在籍)
スタッフ
チームマスコット
黄色の帽子をかぶり、「欽ちゃん走り」をしているパンダ。目が「ゴールデンゴールズ」の頭文字「G」になっている。チームの名付け親でもある糸井重里によって作られ、自ら「丼丼 (どんどん)」と名づけている(どんぶり勘定の「どん」、丼めしの「どん」、「欽ドン! 」の「どん」などに由来)。
姉妹チーム構想
2005年6月、宮崎県 日向市 (春季キャンプ会場)での練習試合後、萩本は「宮崎にもゴールデンゴールズを作りたい」と、日向市を本拠とした姉妹チームを結成したい構想を明らかに、その後宮崎ゴールデンゴールズ が結成された(2018年解散)。
不祥事・解散報道
2006年 7月16日に行われた『函館太洋倶楽部 』の創立100周年記念試合の対戦相手として招待されたが、その2日後の7月18日に、同市滞在中に所属選手だった山本圭一 が、7月15日に函館市内にて、17歳の少女と飲酒や少女に淫らな行為をしたとして、北海道の函館西警察署 に事情聴取されていたことが発覚。山本は7月18日、都内にて、所属事務所である吉本興業から解雇が言い渡された。さらに、山本の他に選手2名も少女に酒を飲ませたとして事情聴取を受けており、このため萩本は道義的責任を取るとして、7月19日に時期未定ながらチームの解散を発表した。
8月22日に行われた球団の農場開園式にて、選手数を半分以下にするなど球団改革を行うと発表、選手全員を対象として試合実績や練習態度などを評価し、2週間後をめどに約20人を選抜、チームの再編を目指すとして、9月10日球団事務所にて所属選手の半数近くを削減するリストラ を正式に発表した。所属の40選手中、山本に関わっていた2人を含む16選手が退団。5選手は自主退団を拒否、この事により5選手は試合には出場できないが、退団もしない「処分保留」となった。なお、山本については最も重い「除名処分」となっている。山本はその後、2007年の日向キャンプにも訪れたりしているが、萩本によりすぐに追い返された。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
女子部
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
代表取締役社長:佐藤宏榮 所属タレント 旧所属タレント 関連項目