群馬工業高等専門学校(ぐんまこうぎょうこうとうせんもんがっこう、英称:National Institute of Technology, Gunma College)は、群馬県前橋市にある日本の国立高等専門学校である。1962年(昭和37年)に設置された。略称は群馬高専。本科5学科、専攻科2専攻を擁する。学校内に高崎市と前橋市の市境が存在する。
2005年(平成17年)5月に専攻科「生産システム工学専攻・環境システム工学専攻」教育プログラムが工学(融合複合・新領域)関連分野で、日本技術者教育認定機構(JABEE)の認定を受けた。
定員は各学科とも1学年各40名。年度・学科にもよるが、実際は定員より若干名多く合格させる傾向がある。
各学科のより高度な学習・研究はもちろん、横断的な内容も取扱う。
校章は、上毛三山をモチーフとした図柄に「高専」の字を入れたものである。
校歌は、1963年(昭和38年)12月19日に披露された。佐藤春夫作詞、信時潔作曲。現在は音楽の科目が廃止されたため、校歌を歌える学生は少ない。入学式及び卒業式で流れる。
学生は、入学と同時に学生会の会員になる(学生準則第19条)。学生会には、さまざまな機関が置かれている。
全会員によって構成される最高議決機関。
学生総会に次ぐ議決機関。
学生総会や評議委員会での決定事項を執行する最高執行機関。
学生会執行部の下に置かれる。
ただし特別委員会は、次の場合に置くことができる。
評議委員会の議決により設置される。会長・副会長を選出する選挙を運営する。
隔年で開かれる学園祭「工華祭」がある。2日にわたって行われ、2日目の夜には花火が打ち上げられるのが伝統であったが、予算の関係で近年は実施されていない。一般的な文化祭と同じく学生による食べ物などの出店(でみせ)やお化け屋敷等のレジャーに近い出し物など文化祭らしい一面もあるが、ロボコンの展示、学生自身(の物)のバイク展示なども行われたこともあり、高専らしさ溢れる学園祭である。
昭和39年8月に当時の日本政府が米国政府に対し、原子力潜水艦の横須賀港への寄港を承諾した。それに対し群馬高専では、3年生4名が学内に「代表者を横須賀に送ろう」と題したビラを掲示した。この一件は群馬高専の学生初の政治的意見表明とされている。昭和42年11月10日付の群馬高専新聞に「学生運動と我々」という論説が掲載される。同紙には、群馬高専の一部学生が参加した羽田闘争等に関する記述がされている。また、1969年12月に羽田闘争に関連して逮捕された学生の獄中記である「獄中より全ての学生諸君へ」と題した文章が群馬高専新聞23号に掲載される。なお、群馬高専新聞のアーカイブは群馬高専図書館にて閲覧が可能である。学生が校内または校外において、学校名を使用してビラまたはポスター類を掲示する場合は、責任者または団体名を明記の上、当該掲示物を学生主事に提出して、許可を受ける必要がある(掲示物取扱いに関する規則第2条)。この規則は、令和2年11月15日に学生ホール内に学生有志名で「菅政権による日本学術会議の人事介入、及び中曽根康弘の合同葬に際する国立大学法人、独立行政法人への弔意要請に抗議する」旨のビラが掲示されたことによって、同年内に改正がなされた。これは、当該掲示物が「本校名」を使用しておらず、同規則第2条に該当しないという反論を受けてのことである。
この項目は、群馬県の学校に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育/PJ学校)。