細谷 治嘉(ほそや はるよし、1912年(大正元年)9月21日[1] - 1997年(平成9年)1月19日[2])は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。衆議院議員(9期)、大牟田市長(2期)、福岡県議会議員。従三位。勲一等。
略歴
千葉県長生郡白子町に生まれる[1]。1933年横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)応用化学学科を卒業[1][3]。同年、三井化学三池染料工業所に勤務[1]。三井化学労働組合委員長、全日本化学労働組合委員長を務めた[3]。
1947年福岡県議会議員に選出され2期在任[1]。1955年、大牟田市長選挙に出馬し現職の田中忠蔵を、305票差で破り初当選。1959年、再選。1962年、次回の選挙の不出馬を表明。
1963年、第30回衆議院議員総選挙福岡3区に日本社会党から出馬し、初当選。以後9期連続当選。1977年12月、衆議院石炭対策特別委員長[4]。1988年8月、衆議院本会議で永年在職議員として表彰される。1990年2月、第39回総選挙に出馬せず息子の細谷治通が地盤を引き継ぐ。同年4月、勲一等瑞宝章を受章する。1997年、死去。
親族
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
衆議院石炭対策特別委員長 |
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定数5 |
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↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。 |