簾内 政雄基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
秋田県山本郡二ツ井町(現:能代市) |
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生年月日 |
(1945-05-12) 1945年5月12日(79歳) |
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身長 体重 |
176 cm 75 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1967年 ドラフト2位 |
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初出場 |
1968年4月14日 |
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最終出場 |
1975年8月27日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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簾内 政雄(すのうち まさお、1945年5月12日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
満州で生まれるもすぐに引き揚げた。能代高では1963年、3年生の時にエース、四番打者として夏の甲子園に出場[1]。1回戦は長浜北高を大差で降すが、続く2回戦で林田真人(早大-クラレ岡山)のいた岡山東商業高に敗退した[2]。
高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立へ入社[1]。1965年の都市対抗野球に日立製作所の補強選手として出場。同じく富士重工業から補強された高橋恒夫と左右の二本柱を組み、チームの準々決勝進出に貢献[3]。これを含め都市対抗野球大会には3年連続出場した。
1965年のプロ野球ドラフト会議で東京オリオンズから5位指名を受けるも拒否し、日本鉱業に残留。1967年の第22回東京スポニチ大会では4試合完投、決勝で日本石油の平松政次からホームランを打ち初優勝に貢献、自らも最高殊勲選手に選出された。
同年のプロ野球ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団[1]。
1968年10月1日には読売ジャイアンツから初勝利を記録、10月3日には初先発を果たす。1970年には中継ぎとして38試合に登板、翌1971年には5勝を挙げるが、その後はあまり活躍できず、1976年限りで現役を引退[1]。
スリークォーターからのスライダー、大きなカーブ、フォークを武器とした。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1968
|
サンケイ アトムズ ヤクルト
|
6 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
-- |
1.000 |
61 |
15.0 |
13 |
1 |
7 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
7 |
5 |
3.00 |
1.33
|
1969
|
14 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
-- |
-- |
.000 |
93 |
21.0 |
27 |
4 |
8 |
0 |
0 |
12 |
0 |
0 |
18 |
17 |
7.29 |
1.67
|
1970
|
38 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
-- |
-- |
.500 |
324 |
76.1 |
73 |
6 |
37 |
3 |
2 |
56 |
0 |
0 |
40 |
35 |
4.14 |
1.44
|
1971
|
31 |
2 |
0 |
0 |
0 |
5 |
2 |
-- |
-- |
.714 |
297 |
72.2 |
50 |
8 |
44 |
2 |
2 |
54 |
3 |
0 |
21 |
21 |
2.59 |
1.29
|
1972
|
11 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
-- |
-- |
---- |
109 |
25.0 |
22 |
4 |
17 |
0 |
1 |
15 |
0 |
0 |
17 |
17 |
6.12 |
1.56
|
1974
|
16 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
-- |
.000 |
115 |
28.0 |
26 |
6 |
10 |
1 |
0 |
20 |
0 |
0 |
16 |
15 |
4.82 |
1.29
|
1975
|
19 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
2 |
-- |
.500 |
107 |
24.0 |
27 |
4 |
12 |
1 |
0 |
19 |
0 |
0 |
13 |
12 |
4.50 |
1.63
|
通算:7年
|
135 |
11 |
0 |
0 |
0 |
9 |
9 |
2 |
-- |
.500 |
1106 |
262.0 |
238 |
33 |
135 |
7 |
5 |
181 |
4 |
0 |
132 |
122 |
4.19 |
1.42
|
- サンケイ(サンケイスワローズ)は、1969年にアトムズに、1970年にヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団名を変更
記録
- 初登板:1968年4月14日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、7回表1死から4番手で救援登板、1回2/3を2失点
- 初勝利:1968年10月1日、対読売ジャイアンツ24回戦(後楽園球場)、7回裏から3番手で救援登板・完了、3回1失点
- 初安打:同上、9回表に菅原勝矢から二塁打
- 初先発登板:1968年10月3日、対読売ジャイアンツ27回戦(後楽園球場)、3回4失点で勝敗つかず
- 初先発勝利:1971年6月10日、対阪神タイガース11回戦(明治神宮野球場)、6回1/3を1失点
背番号
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、301ページ
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
関連項目
外部リンク